バイゾーン
バイゾーン (Bizone) または バイゾニア (Bizonia) は、第二次世界大戦後の占領下のドイツにおけるアメリカ合衆国とイギリスによる連合国による占領区域である。トライゾネシアンの歌が用いられた。後にフランスの占領区域を加えてトライゾーン (Trizone) またはトライゾニア (Trizonia) もしくはウェストゾーン (Westzone) になった。1949年、トライゾーンはドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)になった。
1946年、ソビエト連邦がドイツの東側から工業化の進んだ西部への農産物の輸送を停止した。対抗策としてアメリカの軍の管理者であるルシアス・クレイ(Lucius D. Clay)はルール地方からソビエト支配地域への電力の供給を停止した。その結果、ソビエト連邦はアメリカの政策に反対する宣伝運動を展開して4つの地域に妨害を始めた。
アメリカとイギリスは、自らの占領地域に1947年1月1日「バイゾーン」を設け[1]、ドイツ西部に新しい政治秩序の構築を要求した。これが、ドイツが東ドイツと西ドイツへ分断される最初の段階となった。
英国軍の展開
編集アメリカ軍の展開
編集脚注
編集- ^ 河﨑信樹「アメリカのドイツ占領政策と米英統合占領地区の形成 : 占領費の分担比率をめぐる交渉を中心に」『経済史研究』第11巻、大阪経済大学日本経済史研究所、2008年3月、142-169頁、CRID 1390282763072680192、doi:10.24712/keizaishikenkyu.11.0_142、ISSN 1344803X。