ハーマン・ペリー(Herman Perry, 1922年5月16日 - 1945年3月15日)は、アメリカ合衆国の軍人。アフリカ系アメリカ人第二次世界大戦中、アメリカ陸軍の兵士として従軍していたが、後に将校を殺害した上で脱走した。

1922年、ノースカロライナ州モンロー近くにて生を受ける。陸軍入隊後は第849工兵大隊(849th Engineer Battalion)の一員として中国・ビルマ・インド戦線英語版に派遣され、レド公路の建設にも参加している[1]

1944年3月3日、ペリーの上官だったハロルド・キャディ中尉(Harold Cady)は、職務怠慢を理由に彼を逮捕して現地の軍刑務所に送ろうと試みた。ペリーは以前にもその刑務所に収監されたことがあり、虐待が横行していることを知っていた。キャディに発見されると、ペリーは小銃を構えて自分に近づくなと警告し、「後ろに下がれ」(Get back)と繰り返した[1]

それでも前に進もうとしたため、ペリーはキャディを射殺した。その後、追跡を逃れてジャングルへと逃げ込んだペリーは、インド北東部やビルマ北部に暮らすナガ族が送っていた「首狩り族」風の生活様式を真似ながら生き延びていくことになる。陸軍によって2度逮捕されたが脱走に成功している。また、2度目の逮捕時には殺人について有罪判決を受け、1944年9月4日には軍法会議によって死刑が宣告された[2]。最終的には1945年3月9日にアッサム州にて逮捕され、3月15日に絞首刑が執行された。

2008年、ブレンダン・I・コーナー英語版ジョージ・P・ペレケーノスによるペリーの伝記『Now the Hell Will Start: One Soldier's Flight From the Greatest Manhunt of World War II』が出版された[3]

脚注

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  1. ^ a b Koerner, Brendan I. 'Now the Hell Will Start: One Soldier's Flight from the Greatest Manhunt of World War II'. New York: Penguin Press, 2008: 142. ISBN 978-1-59420-173-8
  2. ^ Koerner, Brendan I. The Greatest Manhunt of World War II. Slate Magazine, March 29, 2008.
  3. ^ Marco Vigevani Agenzia Letteraria » Maintenance Mode”. 1 March 2017閲覧。

外部リンク

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