ハートマウンテン移住センター
ハートマウンテン移住センター(Heart Mountain Relocation Center)は、第二次世界大戦時にアメリカ合衆国ワイオミング州ハートマウンテン(Heart Mountain)近郊にあった日系アメリカ人収容所。イエローストーン国立公園から東へ60マイル (96.6 km)、モンタナ州との州境から 南へ 45マイル (72.4 km) に位置する。日系人の間では「心嶺山」の表記が当てられる事もあった。
Heart Mountain Relocation Center | |
所在地 | パーク・カウンティ(Park County, Wyoming) アメリカ合衆国 北緯44度40分18秒 西経108度56分47秒 / 北緯44.67167度 西経108.94639度座標: 北緯44度40分18秒 西経108度56分47秒 / 北緯44.67167度 西経108.94639度 |
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直近都市 | ラルストン(Ralston, Wyoming) |
座標 | 北緯44度40分18秒 西経108度56分47秒 / 北緯44.671666666667度 西経108.94638888889度 |
建設 | 1942年 |
建築家 | US Army Corps of Engineers; Hazra Engineering; Hamilton Br. Co. |
NRHP登録番号 | 85003167 |
指定・解除日 | |
NRHP指定日 | 1985年12月19日[1] |
NHL指定日 | 2006年9月20日[2] |
概要
編集1942年10月時点で、アメリカ西海岸の居住者を中心に1万人以上が収容されていた。戦後は、多くのものが元の居住地へ戻っていったが、ごく僅かな者が収容所近くに残り農業に従事した[3]。
徴兵抵抗運動
編集ハートマウンテンでは、他の収容所とは異なり徴兵抵抗運動が組織されたことで知られる。収容者に対する徴兵については、収容者同士でも意見の相違が起きたが、最終的に抵抗運動の組織者は扇動罪で連邦刑務所へ送致され、徴兵検査を忌避した者は懲役刑が言い渡された。1947年、ハリー・S・トルーマン大統領は、徴兵抵抗者に謝罪を行い名誉回復が行われた[4]。
ギャラリー
編集ハートマウンテン移住センター収容者で写真家のヒカル・イワサキによる作品
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歯科医師ナカハラ1943年11月18日
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眼科医ライト・カワカミ1943年11月18日
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X線検査をするヒデキ・ササイ1943年11月18日
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ダンスのレクレーション1943年11月24日
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フットボールチームジャックラビットとオールスターズの試合1943年11月25日
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上の写真の試合を氷点下の中見守る観客
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収容者の長時間の労働状況を写した写真。1943年11月21日撮影
脚注
編集- ^ National Park Service (23 January 2007). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service.
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: Cite webテンプレートでは|access-date=
引数が必須です。 (説明) - ^ “Heart Mountain Relocation Center”. National Historic Landmark summary listing. National Park Service. 2007年6月28日閲覧。
- ^ “ワイオミング州における日系人の歴史”. 日本国在デンバー総領事館 (2017年3月22日). 2018年9月1日閲覧。
- ^ “詩歌とエッセイの文芸誌『ハートマウンテン文藝』-その2/5”. ディスカバー・ニッケイ (2011年6月3日). 2018年9月1日閲覧。
著名な収容者
編集- ノーマン・ミネタ :元被抑留者。 サンノゼ市長(59代)、商務長官(33代)、運輸長官(14代)[1]
- ビル・ホソカワ :収容所内で新聞「ハートマウンテン・センチネル」(The Heart Mountain Sentinel)の編集を行ったジャーナリスト。
- ヒデオ・ダテ
- キャスリン・ドイ
- フランク・S・エミ
- S・ニール・フジタ
- イブリン・ナカノ・グレン
- メアリー・マツダ・グリューネヴァルト
- ジョー・ハヤシ
- エステル・イシゴ(ニー・ペック)
- ジョージ・イガワ ジャズビッグバンドのリーダー
- ジョージ・イシヤマ
- ヒカル・イワサキ
- リンカーン・カナイ
- キヨシ・クロミヤ
- ヨシ・クロミヤ
- ロバート・クワバラ
- レーン・ナカノ
- フサタロウ・ナカヤ カリフォルニア医師会会員、ロサンゼルス日本協会副会長の医師
- 岡茂樹
- ベンジ・オークボ
- ジェームズ・K・オークボ
- アルバート・サイジョ
- 千崎如幻
- テイコ・トミタ
- オットー・ヤマオカ
関連項目
編集- 日系人の強制収容
- 日系人収容所所在地
- マンザナー強制収容所
- 伝承 (日系アメリカ人)
- Heart Mountain Wyoming Interpretive Learning Center: 2011年8月開館[2]。収容所の写真、捕虜の遺品を展示[3]。
参照
編集- ^ Matthews, Chris (2002年). “A Pair of Boy Scouts”. Scouting Magazine. Boy Scouts of America. 2006年12月16日閲覧。
- ^ “Heart Mountain ILC Grand Opening, Pilgrimage Plans Unveiled” (PDF). Kokoro Kara: From The Heart (Heart Mountain Wyoming Foundation) (2010) July 25, 2011閲覧。.
- ^ “Success in Sight: A World-Class Learning Center Emerges”. Heart Mountain Wyoming Foundation. July 25, 2011閲覧。
外部リンク
編集- / Confinement and Ethnicity
- Heart Mountain Digital Preservation Project — History and photographs from the Hinckley Library, Northwest College, Powell, Wyoming.
- Fact sheet from the US National Park Service
- Casper Star Tribune article about the camp
- Heart Mountain Wyoming Foundation
- Images of Heart Mountain Relocation Center by Jack Richard, from Buffalo Bill Historical Center's McCracken Research Library
- Guide to the Heart Mountain War Relocation Papers at the University of Montana Contains publications and other items produced at the Relocation Center
- Boy's Life December 1970 Scout troop 379 of Heart Mountain