ハンティントン・アベニュー・グラウンズ
ハンティントン・アベニュー・グラウンズ(Huntington Avenue Grounds)は、アメリカのマサチューセッツ州ボストンにかつて存在した野球場。1901年から1911年までMLBボストン・レッドソックスの本拠地球場として使用された。
ハンティントン・アベニュー・ グラウンズ Huntington Avenue Grounds | |
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施設データ | |
所在地 | Boston, Massachusetts |
開場 | 1901年5月8日 |
閉場 | 1911年10月7日 |
取り壊し | 不明 |
所有者 | 不明 |
グラウンド | 天然芝 |
建設費 | 不明 |
設計者 | 不明 |
使用チーム • 開催試合 | |
ボストン・レッドソックス | |
収容人員 | |
11,500人 | |
グラウンドデータ | |
球場規模 |
左翼 - 350 ft (約106.7 m) 左中間 - 440 ft (約134.1 m) 中堅 - 530 ft (約161.5 m:開場時) 、 635 ft (約193.5 m:1908年) 右中間 - 不明 右翼 - 280 ft (約85.3 m:開場時) 、 320 ft (約97.5 m:1908年) バックネット - 60 ft (約18.3 m) |
フェンス | 不明 |
1901年に球団創設されたボストン・アメリカンズの本拠地として同年に開場。アイルランド系移民が多く住む地区の一画に建設され、球場の周りには工場やビール醸造所、倉庫などが立ち並んでいた。また、線路を挟んだ向かいには、ボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)の本拠地サウス・エンド・グラウンズもあった。アメリカンズはその後サマーセッツ(1902年)→ピルグリムス(1903年~1906年)→レッドソックス(1907年~)と球団名を変えながら、1911年までハンティントン・アベニュー・グラウンズを本拠地にした。
1912年からレッドソックスはフェンウェイ・パークに移転した。使う球団がなくなったハンティントン・アベニュー・グラウンズは取り壊され、ノースイースタン大学が跡地に建設された。マウンドがかつてあった場所にはサイ・ヤングの銅像が建てられた。 ハンティントン・アベニュー・グラウンズで歌われていた応援歌は,ナフ・セッド・マグリーヴィ率いるロイヤル・ルーターズと呼ばれるファンの一団が、1902年のブロードウェイ・ミュージカルの「The Silver Slipper」で歌われた「Tessie」を熱唱していた。 この「Tessie」は1世紀後、地元ボストンのパンクバンド、ドロップキック・マーフィーズのアレンジで蘇り、2004年にワールド・シリーズを制した際に歌われた。 「Tessie」は今でもレッドソックスの応援歌で、レッドソックスが勝利すると、フェンウェイ・パークに流されている。
主要な出来事
編集- 1901年5月8日、アスレチックス戦で開場(アメリカンズ 12 - 4 アスレチックス)。
- 1901年7月12日、サイ・ヤングが通算300勝を達成。
- 1903年10月、第1回ワールドシリーズ開催。ハンティントン・アベニュー・グラウンズでは第1戦~第3戦(1日~3日)と第8戦(13日)が行われた。ピルグリムスが通算5勝3敗(ハンティントン・アベニュー・グラウンズで2勝2敗)でパイレーツを下し、初代ワールド・チャンピオンになった。
- 1904年5月5日、サイ・ヤングが20世紀初の完全試合を達成した。(レッドソックス 3 - 0 アスレチックス)。
- 1904年9月20日、サイ・ヤングが通算400勝を達成。
- 1911年10月7日、セネターズ(現ツインズ)戦で閉場(レッドソックス 8 - 1 セネターズ)。
前本拠地: n/a - |
ボストン・レッドソックスの本拠地 1901 - 1911 |
次本拠地: フェンウェイ・パーク 1912 - 現在 |