ハリケーン照
ハリケーン照(ハリケーンてる、本名照喜名 俊三(てるきな しゅんぞう)、1952年2月3日 - 2014年1月)は、日本の元プロボクサー。第34・36代日本バンタム級王者。プロ現役時代は石川ボクシングジム所属。
基本情報 | |
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本名 |
照喜名 俊三[1] (てるきな しゅんぞう) |
階級 | バンタム級 |
身長 | 164cm[2] |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1952年2月3日[2] |
出身地 | 沖縄県那覇市[1] |
死没日 | 2014年1月?日[1] |
死没地 | 東京都福生市[1] |
スタイル | オーソドックス[2] |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 51 |
勝ち | 35 |
KO勝ち | 15 |
敗け | 13 |
引き分け | 3 |
沖縄県那覇市出身。沖縄県立沖縄工業高等学校卒業。
来歴
編集沖縄工業高校在学中はアマチュアで活動[1]。
卒業後に上京し、1970年9月23日、石川ジムよりプロデビュー。
1979年7月16日、阿南弘生を2回KOで倒し日本バンタム級王座奪取。
初防衛戦で阿南とのダイレクトリマッチを返り討ちにする。
1980年1月28日、モントリオールオリンピック日本代表からプロ転向した石垣仁に判定で敗れ王座陥落。
リングネームをハリケーン・テルからハリケーン照に改め、ダイレクトリマッチで9回KO勝利し王座に返り咲く。
日本王座4度防衛後、1981年9月22日に愛知県体育館でルペ・ピントールのWBC世界バンタム級王座に挑戦、健闘を見せるも最終15回に力尽きKO負け[1]。
その後日本王座返上。1982年1月28日、その日本王座を獲得した磯上修一に挑むも判定負け。
11月16日、磯上に再挑戦も敗れ引退。
一時は運送会社に勤務しながら後進の指導に当たっていた[1]。
2014年1月17日、東京都福生市の自宅で死亡しているのを発見された[1]。死後1週間から10日経過していたと見られる[1]。享年62。
戦績
編集- プロボクシング:51戦35勝 (15KO) 13敗 3分け
獲得タイトル
編集- 第34代日本バンタム級王座(防衛1)
- 第36代日本バンタム級王座(防衛4=返上)
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i “訃報 ハリケーン・テルさん亡くなっていた”. Boxing News. (2014年2月12日)
- ^ a b c “Hurricane Teru - Boxer”. Boxrec.com. 2014年2月13日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集前王者 阿南弘生 |
第34代日本バンタム級王者 1979年7月16日 - 1980年1月28日 |
次王者 石垣仁 |
前王者 石垣仁 |
第36代日本バンタム級王者 1980年5月3日 - 1981年10月5日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 磯上修一 |