ハクズイコウ
ハクズイコウは1960年代に活躍した日本の競走馬である。1966年の天皇賞(春)で記録したレコードは長く破られなかった。
- 特記しない限り馬齢は現表記(満年齢)とする。
ハクズイコウ | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1961年3月19日 |
死没 | 不明 |
父 | Imbros |
母 | マッサリア |
生国 | 日本(北海道苫小牧市) |
生産者 | ランチョトマコマイ |
馬主 | 西博 |
調教師 | 尾形藤吉(東京) |
競走成績 | |
生涯成績 | 18戦11勝 |
獲得賞金 | 2575万7500円 |
戦績
編集三冠馬シンザンと同世代である。デビューが遅れクラシックへの出走は無かった[1]。デビュー後は10戦して2着1回のみ他全勝で天皇賞(秋)に駒を進める。7連勝中ということもあり未知の魅力で2番人気に押されたが、シンザンの2着に敗れた。有馬記念もシンザンの4着。5歳になりカブトシローを破ってアメリカジョッキークラブカップで重賞制覇。天皇賞(春)で大レースを制した。
天皇賞はカブトシロー、キーストン、ダイコーター、チトセオー、エイトクラウンと言った下の世代の強豪も出走していたが、1着ハクズイコウ、2着ウメノチカラとシンザン世代が上位を占めた。着差はウメノチカラに対して2馬身半差であった。また、勝ちタイム3分19秒4は非常に優秀で、従来のレコードを1.9秒縮めた。これはその後モンテプリンスに破られるまで長らくレコードであった。
その後休養に入る。復帰後は調子を落としており、3戦したが有馬記念7着など振るわずそのまま引退した。産駒は東京王冠賞を勝ったダイドウスター、戸塚記念に勝ったハクセイショウなどがいる。1987年種牡馬引退。
尾形は自著『競馬ひとすじ』の中でハクズイコウに対して最大級の賛辞を贈っている。
脚注
編集- ^ ハクズイコウはいわゆる持込馬であるが、当時持込馬へのクラシック出走制限はまだ設定されていなかった。というか持込馬自体が通常の内国産馬という扱いであった。