ハクシヨウ (1924年生)

1924年生

初代ハクシヨウ1924年5月8日生まれ[1]競走馬種牡馬帝室御賞典連合競走二哩一分(各内国産古馬競走)連覇、中山四千米と、戦前の大レースを数多く制した。

ハクショウ(初代)
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1924年5月8日
死没 1943年以降不明
コイワヰ
第四ヘレンサーフ
母の父 インタグリオー
生国 日本の旗 日本岩手県雫石村
生産者 小岩井農場
馬主 遠山芳三
調教師 尾形景造目黒
競走成績
生涯成績 35戦17勝
獲得賞金 64586円[1]
勝ち鞍 帝室御賞典(阪神・秋)(1928年)
各内国産馬連合競走(阪神・秋)(1928年)
各内国産古馬競走(秋)(1929年)
中山四千米(1930年)
各内国産古馬競走(春)(1930年)
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現役時代は尾形景造(尾形藤吉)厩舎に所属し、35戦17勝[1]。騎手兼調教師として、全レースに尾形が騎乗した。1929年の帝室御賞典(日本レース・倶楽部施行)の勝馬であるナスノとは同期であり、ライバル関係にあったとされる[1]

概要

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父は日本競馬黎明期の名馬であるコイワヰ、母はインタグリオーの直仔である第四ヘレンサーフという血統。戦前の競走馬生産において多大な功績を残した小岩井農場で生産された[1]。堀江鐵五郎が小岩井農場から購入し、尾形藤吉(騎手兼調教師)に預託[2]。後に遠山芳三が馬主となった[1][3]

体調に不安があり、デビューは5歳、1928年春の目黒競馬場と遅れた[4]。3戦2勝の戦績で帝室御賞典(横浜・春)に挑みエキストラの4着に敗れる。秋には当時最高峰のレースだった連合競走(東京・秋)に出走、ハツライに8馬身離された2着に敗れた。これを受け、尾形は連合競走の勝利を目標に阪神遠征を決定した。阪神では特ハン4着ののち帝室御賞典(阪神・秋)で優勝。さらに連合競走(阪神・秋)でも1着となり、当時の大レースを連勝する形で目標を達成した[5]

1929年、春に目黒の特ハンでナスノと対戦。7kgの差でハクシヨウが有利な斤量だったが4着に敗退。続いて当時の大レース、二哩一分(春)で再戦するも、ナスノに5馬身差の2着と再度敗北を喫した。秋は阪神・横浜・目黒と転戦。目黒では初戦の特ハンでフレスノの3着となるも、続く二哩一分(秋)でフレスノを2着に下して勝利を挙げた[5]

1930年、7歳春が初の中山競馬場となったが、奇しくもライバル・ナスノもまたこの年が初の中山だった。この春から創設される中山四千米にナスノが出走することがわかると、尾形はここをリベンジの機会と見て厳しい調教で入念に仕上げた[6]。当初の出走予定馬はハクシヨウとナスノの2頭のみ、最終的に3頭立てとなったが事実上のマッチレースであった[注 1]。レースは追込馬のハクシヨウが逃げの手を打ち、ナスノが2、3馬身差でそれを追う展開になった。3コーナーを回ってナスノが追い出したがハクシヨウも止まらず、そのまま直線でも寄せ付けず3馬身差で勝利した[7]。さらに目黒に転戦すると、二哩一分(春)で再びフレスノを2着に破り初の連覇を達成。これを有終の美として競走生活を引退した[8]

引退後は下総御料牧場種牡馬となり、のちに朝鮮の蘭谷牧場で供用されたが[2]、終戦の混乱期に行方不明となり、1943年以降の消息は不明である。

大レースを制した産駒はトクタカ(1938年中山大障害・春)がいた程度だった[8]。それでも二代目ハクシヨウとは違い、現在でもわずかながらではあるが血を引く馬は残っており、著名な活躍馬にはイナボレス(曾祖母の父が初代ハクシヨウ)、ハクタイセイ(4代母の父が初代ハクシヨウ)、アイネスフウジン(5代母の父が初代ハクシヨウ)がいる。

日本中央競馬会の雑誌『優駿』が2000年に企画した「プロの目で厳選した“20世紀のベストホース100”」にて、父のコイワヰとともに選定された[1]

競走成績

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血統表

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ハクシヨウ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 セントサイモン系
[§ 2]

コイワヰ
1908 鹿毛
父の父
Chatsworth
1901 黒鹿毛
Persimmon St.Simon
Perdita
Meadow Chat Minting
Stone Clink
父の母
*エナモールド
Enamoured
1897 鹿毛
Gonsalvo Fernandez
Cherie
Young Lady Y.Melbourne
My Lady

第四ヘレンサーフ
1911 黒鹿毛
*インタグリオー
Intaglio
1899 栗毛
Childwick St.Simon
Plaisanterrie
Cameo Thurio
Light of Other Days
母の母
*ヘレンサーフ
Helen Serf
1903 黒鹿毛
St.Serf St.Simon
Feronia
Helen Hampton Hampton
Helen Agnes F-No.16-c
母系(F-No.) ヘレンサーフ系(FN:16-c) [§ 3]
5代内の近親交配 St.Simon 4×4×4=18.75%、Hampton 5×4=9.38% [§ 4]
出典
  1. ^ [9]
  2. ^ [9]
  3. ^ [10]
  4. ^ [9]


祖母ヘレンサーフ小岩井農場の基礎輸入牝馬の一頭。母・第四ヘレンサーフの分岐からはブランドソールトキノキロクホウシユウクインアカネテンリュウらが出ている[11]

脚注

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注釈

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  1. ^ 当時の規定では最下位の馬には賞金が出なかったので、2頭立ての2着は賞金が受けられなかった。これを回避するため、馬主から手当を出してゴーケツという馬に出走してもらうこととなった[7]。ゴーケツは2着との着差100メートルの3着に入線している。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『優駿』2000年11月号、pp.10-11
  2. ^ a b 『サラブレッド系種牡馬名簿 第1巻』pp.165-166
  3. ^ 『日本の名馬・名勝負物語』p.27
  4. ^ 『日本の名馬』p.40
  5. ^ a b 『日本の名馬』pp.41-43
  6. ^ 『日本の名馬・名勝負物語』p.28
  7. ^ a b 『日本の名馬』pp.34-36
  8. ^ a b 『日本の名馬』p.44
  9. ^ a b c "ハクシヨウの血統表|競走馬データ". netkeiba.com. ネットドリーマーズ. 2024年6月21日閲覧
  10. ^ "ハクシヨウ 5代血統表". JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2024年6月21日閲覧
  11. ^ 『日本の名馬』p.39

参考文献

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  • 競馬ブック 2001年2月10・11日号 昭和十番勝負 (1) フェデリコ・天塩
  • 白井透 編『日本の名馬』サラブレッド血統センター、1971。
    • 岡田光一郎「ナスノ」pp.31-38
    • 岡田光一郎「ハクシヨウ」pp.39-44
  • 中央競馬ピーアール・センター 編『日本の名馬・名勝負物語』2版、中央競馬ピーアール・センター、1980年。
    • 高橋謙「初代ハクシヨウ - 典型的な長距離馬として大成」pp.26-29
  • 『サラブレッド系種牡馬名簿 第1巻』日本競馬会、1941年。

外部リンク

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