ハインリヒ33世・ロイス・ツー・ケストリッツ
ハインリヒ33世・ロイス・ツー・ケストリッツ(Heinrich XXXIII. Prinz Reuß zu Köstritz, 1879年7月26日 - 1942年11月15日)は、ドイツの貴族、軍人。
ハインリヒ33世 Heinrich XXXIII | |
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ロイス=ケストリッツ家 | |
出生 |
1879年7月26日 オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン、マウアー |
死去 |
1942年11月15日(63歳没) ドイツ国、シュトンスドルフ |
配偶者 | ヴィクトリア・マルガレーテ・フォン・プロイセン |
アリーン・テュー | |
子女 |
マリー・ルイーゼ ハインリヒ2世 |
父親 | ハインリヒ7世・ロイス・ツー・ケストリッツ |
母親 | マリー・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼンナハ |
経歴
編集ロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ7世とその妻でザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公カール・アレクサンダーの娘であるマリーの間の第2子、次男として、父の赴任先であるウィーン郊外のマウアーで生まれた。プロイセン陸軍に入隊し、近衛軍第2竜騎兵連隊(2. Garde-Dragoner-Regiment „Kaiserin Alexandra von Rußland“)の少尉まで登った。また大使館書記官としても働いた。
1913年5月17日にポツダムの新宮殿において、プロイセン王子フリードリヒ・レオポルトの娘ヴィクトリア・マルガレーテと結婚した。夫妻は間に2人の子女をもうけたが、第1次世界大戦後の1922年に離婚した。1929年4月10日にパリにおいて、アメリカ人ソーシャライトアリーン・テュー(1876年 - 1955年)と再婚するが、1935年に離婚した。
1935年5月1日、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党し、同党の360万3963人目の党員となる[1]。しかしその後、同党から除名される。ナチ党の反ユダヤ主義に抵抗していたフリーメイソンのドイツ・グランド・ロッジ(1934年解散)に、1932年頃まで所属していたのが発覚したためだった[注釈 1]。
子女
編集- マリー・ルイーゼ・フリーデリケ・ヴィクトリア・ヴィルヘルミーナ・レナータ・シャルロッテ(1915年 - 1985年) - 1941年にエーリヒ・タイゼンと結婚(1946年離婚)、1954年にアレクサンダー・ボディと再婚(1956年離婚)
- ハインリヒ2世(1916年 - 1993年)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ Petropoulos, Jonathan (2006). Royals and the Reich: The Princes von Hessen in Nazi Germany. New York: Oxford University Press. p. 385
参考文献
編集- Brigitte Lob: Albert Schmitt O.S.B. Abt in Grüssau und Wimpfen, Böhlau Verlag, Köln - Weimar 2000, ISBN 3412042005, S. 100
- Josef Henke: England in Hitlers politischem Kalkül 1935–1939, Verlag: Boppard, Boldt 1973, ISBN 3764615753, S. 203
外部リンク
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