ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト
ハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンスト(チェコ語: Heinrich Wilhelm Ernst, 1814年5月6日 - 1865年10月8日)は、オーストリア帝国(現在のチェコ)生まれのヴァイオリニスト・作曲家。
ハインリヒ・ヴィルヘルム・ エルンスト Heinrich Wilhelm Ernst | |
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エルンストのリトグラフ。下に直筆のサインが書かれている。 | |
基本情報 | |
生誕 |
1814年5月6日 オーストリア帝国、ブリュン |
死没 |
1865年10月8日(51歳没) フランス帝国、ニース |
学歴 | ウィーン音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 |
ヴァイオリニスト 作曲家 |
担当楽器 | ヴァイオリン |
音楽・音声外部リンク | |
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エルンストの作品を試聴する | |
シューベルトの「魔王」による大奇想曲 Op.26 - ヴァディム・レーピン(ヴァイオリン)の演奏、Warner Classics提供YouTubeアートトラック | |
ヴェニスの謝肉祭による変奏曲 Op.18 - ヨゼフ・シュパチェクとゴードン・バック(ピアノ)の演奏、NAXOS of America提供YouTubeアートトラック | |
悲愴協奏曲 嬰へ短調 Op. 23 - アーロン・ローザンド(ヴァイオリン)とルイ・ド・フロマン指揮ルクセンブルク放送交響楽団の演奏、NAXOS of America提供YouTubeアートトラック |
経歴
編集1814年、モラヴィア地方ブリュン(現ブルノ)生まれ。9歳のころからヴァイオリンをはじめ、神童と言われた。ウィーン音楽院でヨーゼフ・ベームにヴァイオリンを習い、作曲をイグナーツ・フォン・ザイフリートに師事した。1828年にニコロ・パガニーニの演奏を聴いて超絶技巧のヴァイオリン演奏に目覚め、人前で決して練習を見せないパガニーニの演奏をこっそり聞くなどして苦心の末に彼の作品を再現。後にパガニーニを含む聴衆の前で『ネル・コル・ピウ変奏曲』を弾き、作曲者であるパガニーニを吃驚させたといわれている。
パガニーニを髣髴させる変奏曲や幻想曲を多く残し、生前は『ヴェニスの謝肉祭による変奏曲』作品18が彼の代名詞となっていた。パガニーニの後継者と目され、ヨーロッパ中を演奏して回ったエルンストは、1862年に神経痛のため引退し、その後も作曲を続けていたが1865年にパガニーニと同じくニースで没した。
現在では、難曲として知られるヴァイオリン独奏曲「フランツ・シューベルトの『魔王』による大奇想曲」作品26、「悲愴協奏曲」作品23などごく一部の作品が演奏されている。
外部リンク
編集脚注
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