ハイメ・ロドリゲス

エルサルバドルのサッカー選手

ハイメ・アルベルト・ロドリゲス・ヒメネス(Jaime Alberto Rodríguez Jiménez , 1960年1月17日 - )は、エルサルバドル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF(リベロ)。愛称はチェローナ(Chelona)[1]で、日本ではそれが登録名にもなっていた。

ハイメ・ロドリゲス
名前
本名 ハイメ・アルベルト・ロドリゲス・ヒメネス
Jaime Alberto Rodríguez Jiménez
愛称 ラ・チェローナ (La Chelona)
ラテン文字 Jaime Rodríguez
基本情報
国籍 エルサルバドルの旗 エルサルバドル
生年月日 (1960-01-17) 1960年1月17日(64歳)
出身地 サンサルバドル
身長 181cm
体重 80kg
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1975-1977 エルサルバドルの旗 アリアンサFC
1978-1979 エルサルバドルの旗 CD FAS
1980-1982 ドイツの旗 バイエル・ユルディンゲン
1982-1987 メキシコの旗 クルブ・レオン 139 (6)
1984-1985 フィンランドの旗 KPV 9 (2)
1987-1990 メキシコの旗 CFアトラス 67 (11)
1990 エルサルバドルの旗 アリアンサFC
1991-1992 日本の旗 NKK 15 (4)
1992-1993 日本の旗 横浜フリューゲルス 2 (0)
1994 エルサルバドルの旗 アリアンサFC
通算 232 (23)
代表歴
1982-1990 エルサルバドルの旗 エルサルバドル 50 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

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16歳でアリアンサFCとプロ契約、以来ドイツ、メキシコ、フィンランドの海外のクラブを渡り歩いた。1982年にエルサルバドル代表に選出され、同年のワールドカップ・スペイン大会を始め1990年までに50試合に出場した。

1991年秋に日本でのプレーを希望し来日[2]。当初はJリーグに参加予定だった日産自動車の練習に参加[2]。当時監督だった清水秀彦は彼のリベロとしての能力に注目し、「オスカー(元ブラジル代表主将)以上かもしれない」と評した[2]。しかし日産には井原正巳柱谷哲二らセンターバックの有望株が在籍していた上、翌年には小村徳男の加入も控えていたために獲得は見送られ、最終的に日本サッカーリーグ2部NKKに入団した[2]。NKK入りが決まると、母国の国民的英雄ということもあり、エルサルバドルの国営放送のクルーが送り込まれた[2]。活躍が認められ翌1992年にJリーグ横浜フリューゲルスへ移籍[2]加茂周監督の下でゾーンプレスを志向するチームの中心選手として期待されたが[2]、1年目は怪我、2年目は外国人枠の関係で出場機会は少なかった。

帰国後は引退試合サンサルバドルロサンゼルスで開催され、後者の試合は現地のエルサルバドル人出稼ぎ労働者が集まり4万人ものファンが来場した[2]

アリアンサFCの監督[1]、エルサルバドル代表のアシスタントコーチを経て、2009年6月にエルサルバドル国立スポーツ研究所スペイン語版(INDES) の会長に就任した[3]

所属クラブ

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日本での成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1991-92 NKK JSL2部 15 4 - - 15 4
1992 横浜F - J - 4 0 0 0 4 0
1993 2 0 0 0 0 0 2 0
通算 日本 J 2 0 4 0 0 0 6 0
日本 JSL2部 15 4 - - 15 4
総通算 17 4 4 0 0 0 21 4

出典

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  1. ^ a b “La Chelona” asume las riendas del deporte” (スペイン語). DiarioCoLatino.com (2009年6月1日). 2014年4月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h No.132 チェローナ エルサルバドルを率いる”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1996年1月9日). 2013年9月7日閲覧。
  3. ^ "Aquí hubo medallitis y se descuidó el deporte en general"” (スペイン語). La Pagina (2009年6月29日). 2014年4月3日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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