ノーム・ラーカー
ノーマン・ハワード・ジョン・ラーカー(Norman Howard John Larker, 1930年12月27日 - 2007年3月12日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州カーボン郡ビーバーメドウズ出身のプロ野球選手(内野手)。
ロサンゼルス・ドジャース時代 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ペンシルベニア州カーボン郡ビーバーメドウズ |
生年月日 | 1930年12月27日 |
没年月日 | 2007年3月12日(76歳没) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 185 lb =約83.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 1949年 |
初出場 |
MLB / 1958年4月15日 NPB / 1965年4月10日 |
最終出場 |
MLB / 1963年9月28日 NPB / 1966年10月9日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集ヘイズルトン高校を卒業後、1949年にマイナーリーグでプロとしてのキャリアをスタートさせた。8年間のマイナーリーグ生活の後、1958年4月15日にロサンゼルス・ドジャースでメジャーデビューを果たした。間もなくギル・ホッジスから一塁手のポジションを奪い、レギュラーに定着。翌1959年には108試合に出場し、打率.289と活躍。同年のワールドシリーズにも出場し、チームの世界一に貢献した。そして1960年にはオールスターゲームにも出場。最終的に打率.323を記録し、首位打者争いで2厘差でディック・グロート(ピッツバーグ・パイレーツ。打率.325)に敗れるも、リーグ2位の好成績を残した。1961年シーズン終了後、エクスパンションドラフトによりヒューストン・コルト45'sに移籍。その後、1963年にはミルウォーキー・ブレーブスおよびサンフランシスコ・ジャイアンツでプレーした。
1964年オフに日本プロ野球(NPB)の東映フライヤーズから勧誘を受ける。入団交渉に際して、ラーカーは他のメジャー出身者同様の高年俸や特典を要求したが、東映側は「日本でプレーするなら、日本の環境に順応してもらわなければ困る」としてこれを拒絶。ラーカーは折れて年俸15,000ドル(推定)で入団した。これについて、これまで「日本の球団は外国人選手に対して弱腰過ぎる」と批判していた日刊スポーツは、「元メジャーリーガーの至福の日々は終わった」と記事を書いている[1]。前年まで在籍したジャック・ラドラを上回る長打力を期待されての入団だった。
1年目の1965年は打率.280と意地を見せたが、1966年は.253と成績を落としてしまい、また本塁打も2年間で14本と期待に応えることはできなかった。また、1966年のある試合で平凡な打球の処理を誤って走者を刺し損ない、監督の水原茂から罰金と出場停止処分を受ける。ラーカーは痛む右足を庇おうとしただけと弁解するが、水原からはチームのやる気を挫く行為として反省を命ぜられた。仲裁人から謝った方がいいと忠告を受けて、ラーカーは早速水原の元へ行き「後悔している。今後はもっと態度に気をつけたい」と約束。これに喜んだ水原はすぐにラーカーを復帰させ、さらに後年には雑誌の『私の好きなガイジン』と題するコラムでラーカーを取り上げている[2]。同年限りで現役引退。なお、ドジャースでチームメイトだったドン・ジマー(彼も1959年の世界一メンバーである)とは、1966年の1シーズンだけ東映でもチームメイトだった。
人物
編集穏やかでチームに溶け込んだラドラと違い、気性が荒く喧嘩っ早かったことから「ケンカ屋ラーカー」の異名を取る[3]。1965年には1シーズンでヘルメットを8個も壊すなど、興奮癖は当時よく知られており、ある雑誌に足でヘルメットを砕き、手でバットをへし折っているラーカーの風刺画が書かれたこともあった。これに対してラーカーは「ヘルメットを壊したりバットをへし折る方が、三振したのにニコニコしながらベンチに引き上げるよりよっぽどまし」とコメントしている[4]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1958 | LAD | 99 | 291 | 253 | 32 | 70 | 16 | 5 | 4 | 108 | 29 | 1 | 1 | 1 | 5 | 29 | 0 | 3 | 21 | 8 | .277 | .352 | .427 | .779 |
1959 | 108 | 351 | 311 | 37 | 90 | 14 | 1 | 8 | 130 | 49 | 0 | 1 | 8 | 4 | 26 | 1 | 2 | 25 | 12 | .289 | .344 | .418 | .762 | |
1960 | 133 | 493 | 440 | 56 | 142 | 26 | 3 | 5 | 189 | 78 | 1 | 0 | 7 | 9 | 36 | 2 | 1 | 24 | 9 | .323 | .368 | .430 | .798 | |
1961 | 97 | 312 | 282 | 29 | 76 | 16 | 1 | 5 | 109 | 38 | 0 | 0 | 2 | 3 | 24 | 7 | 22 | 11 | 3 | .270 | .326 | .387 | .713 | |
1962 | HOU | 147 | 590 | 506 | 58 | 133 | 19 | 5 | 9 | 189 | 63 | 1 | 1 | 4 | 3 | 70 | 7 | 7 | 47 | 10 | .263 | .358 | .374 | .732 |
1963 | MLN | 64 | 177 | 147 | 15 | 26 | 6 | 0 | 1 | 35 | 14 | 0 | 2 | 1 | 2 | 24 | 2 | 2 | 24 | 2 | .177 | .297 | .238 | .535 |
SF | 19 | 16 | 14 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | .071 | .188 | .071 | .259 | |
'63計 | 83 | 193 | 161 | 15 | 27 | 6 | 0 | 1 | 35 | 14 | 0 | 2 | 1 | 2 | 26 | 2 | 2 | 26 | 3 | .168 | .288 | .224 | .512 | |
1965 | 東映 | 103 | 417 | 368 | 46 | 103 | 16 | 1 | 8 | 145 | 46 | 2 | 3 | 1 | 2 | 43 | 1 | 3 | 37 | 10 | .280 | .358 | .394 | .752 |
1966 | 121 | 397 | 359 | 24 | 91 | 12 | 1 | 6 | 123 | 39 | 0 | 0 | 5 | 2 | 29 | 2 | 2 | 31 | 11 | .253 | .311 | .343 | .654 | |
MLB:6年 | 667 | 2229 | 1953 | 227 | 538 | 97 | 15 | 32 | 761 | 271 | 3 | 5 | 23 | 26 | 211 | 19 | 16 | 165 | 53 | .275 | .347 | .390 | .736 | |
NPB:2年 | 224 | 814 | 727 | 70 | 194 | 28 | 2 | 14 | 268 | 85 | 2 | 3 | 6 | 4 | 72 | 3 | 5 | 68 | 21 | .267 | .335 | .369 | .704 |
記録
編集- MLB
- 初出場:1958年4月15日、対サンフランシスコ・ジャイアンツ1回戦(シールズ・スタジアム)、ドン・ベセントの代打として出場し、ルーベン・ゴメスの前に二ゴロ
- 初先発出場:1958年4月25日、対セントルイス・カージナルス回戦(ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム)、2番・左翼手で先発出場
- 初安打・初打点:同上、5回裏にフランク・バーンズから中越2点適時三塁打
- MLBオールスターゲーム選出:1回 (1960年)
- NPB
背番号
編集- 5 (1958年 - 1961年、1966年)
- 10 (1962年)
- 9 (1963年 - 同年途中)
- 18 (1963年途中 - 同年終了)
- 4 (1965年)
脚注
編集参考文献
編集- ロバート・ホワイティング著、松井みどり訳『菊とバット』文藝春秋〈文春文庫〉、1991年
- 『決定版日本プロ野球外国人選手大鑑 (BBmook―スポーツシリーズ 224)』ベースボールマガジン社、2002年
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)