ノート:鶴見事故
このページは、ノート:鉄道事故#羽越線事故やその他重要事故に関する記述の分割での分割提案を経て過去に鉄道事故から分割されています。分割前の履歴については、分割元の履歴をご覧ください。 |
事故現場で
編集事故現場で、当日の午後10時05分から救助活動をしていた私は、何人かを何回も抱いて道路まで運び、通行する自動車を止め、病院まで負傷者の搬送を指示していた。 午後11時より少し前、橫須賀線下りの車両の中で、パジャマ姿の医者が、未救出の負傷者に、止血剤を注射している姿を見た、それは友人の前広進さんだった。 --以上の署名のないコメントは、203.155.190.5(会話/Whois)さんが 2006-09-18 10:10:22 (UTC) に投稿したものです。
競合脱線(新規記事)への統合提案
編集競合脱線(新規記事)への統合提案
記事を単発で記載するよりも、同種事故やインシデントをまとめて記載する方が一連の動きの見通しがよくなると考えます。競り上がり脱線の概要・メカニズムの解説を冒頭に置き、鶴見事故・東急横浜駅脱線事故・営団日比谷線脱線衝突事故とそれに類する営団地下鉄半蔵門線鷺沼車庫脱線事故等のインシデントを統合対象とします。--Station 2006年12月2日 (土) 11:10 (UTC)
- 情報 参考。上記提案投稿中にある「東急横浜駅脱線事故」は、1986年(昭和61年)3月13日に発生した「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#東急東横線横浜駅脱線事故」を指しています。なお、当統合提案の提出の背景として《ノート:営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故》や《ノート:鉄道事故#「兆候事故」は捨てないで!》等も参照。--Yumoriy(会話) 2024年9月24日 (火) 12:03 (UTC)
- 反対意見が多いとのことでタグは戻しますが、ダラダラ自説を長い文章で延々と書く某氏が来てから収拾がつかなくなっているような気がします。--Station 2006年12月8日 (金) 02:08 (UTC)
2024年のコメント
編集- 18年も前に持ち上がった議論に今さらながら意見するのも遅すぎると思いますが、敢えて書きます。この記事には特筆性があり、事故そのものも特異かつ歴史に残る甚大な鉄道衝突事故であることから、独立した記事として残すのは当然だと思います。競合脱線に統合する必要はないでしょう。長年議論が凍結されていることからしても、既に結論は出ていると考えられます。いまさらながら失礼いたしました。--Zeamonde(会話) 2024年5月8日 (水) 18:28 (UTC)
- 競合脱線は「様々な原因が重なって発生している脱線」という意味合いが強く、決まった発生メカニズムがあるわけでもないので、脱線と別記事にしたり、「競合脱線」とされる事故を一覧化したりするといったことはあまり意義がないのではと思われます。鶴見事故や営団日比谷線脱線衝突事故など事故規模が大きいものは独立記事にするとしても、東急横浜駅脱線事故(当時就役したばかりの9000系が脱線した事故)など人的被害の皆無な事故やインシデントまで収録する必要性は薄いでしょう。--Muyo(会話) 2024年5月9日 (木) 02:38 (UTC)
事故現場の位置および座標について
編集「要検証」テンプレートを貼付した事故現場の位置および座標について、実際の事故現場の位置とは約300mのズレがあります。どの事故の位置を「事故現場」とするのかによって見解は分かれると思いますが、脱線した貨物列車の貨車最後部3両が架線柱に激突し、旅客上り線側にはみ出した箇所を「事故現場」と見做すなら、正確な位置は「滝坂踏切から川崎寄りに210m」の場所になります。その根拠は、警察および国鉄が現場検証ではじき出したキロ程によります。滝坂踏切は「キロ程24.080km」に位置し、貨車が架線柱に激突した地点は「キロ程23.870km」地点ということで、計算上で滝坂踏切から約210m川崎寄りとなります。この210mの場所は、上り2000S列車が貨車と激突し下り2113S列車の4両目と5両目に突っ込むきっかけとなった地点でもあります。この地点が衝突事故の起点となる場所と考えられるので、座標位置を正確に変更する必要があると思います。
現在の記事の事故現場位置と座標は、「滝坂踏切から500m」とされています。提示されている出典に「500m」と具体的な数値が書かれていることから、それに従って座標を定めたのだろうと推測します。しかしながら、実際の事故資料からは290mもずれており、明らかな間違いだと思います。当時の報道写真や映像で多角的に検証しても「500m」に全く根拠がないというのは容易に理解できると思います。おそらく出典元の記事を書いたライターの独自感覚が優先され、「だいたい500mくらいかな?」と安易に取材や検証なしで書いたのでしょう。昔の新聞記事などには良く見られるパターンですね。また「おおよそ」という概念、範囲も人によって感覚や見解は異なると思います。ほぼ正確な位置を特定できる場合には、290mの誤差はあまりにも大きすぎると言わざるを得ません。当該部分を執筆された方が独自に再検証していただき、適切に正しく書き換えていただくようお願いいたします。--Zeamonde(会話) 2024年5月5日 (日) 07:25 (UTC)
事故発生時刻について
編集インフォボックスの発生時刻(事故発生時刻)に対して大いに疑問があるので要検証を貼らせていただきました。「21時40分」は誤りの可能性が極めて高いです。なぜなら、多重衝突事故のきっかけを作った下り貨物列車が新鶴見操車場を実際に発車した時刻は21時44分です(定刻から4分遅れ)。すでにこの時点で「21時40分」という事故発生時刻に信憑性が無いのは明らかです。貨物列車の事故当日の発車予定時刻が「21時40分」なのであり、その一点を以てしても事故発生時刻「21時40分」というのは完全な誤りであるといえます。新鶴見操車場から事故現場まで約6分間を要することからすれば、事故発生時刻は21時50分ないしは51分とするのが妥当でしょう。あとは上り2000S列車が横浜駅を実際に発車した時刻と下り2113S列車が川崎駅を実際に発車した時刻を検証すれば事実は明白になります。キロ程と運転速度は現在と事故当時とでは大きく変わっていないはずですから。貨物列車が脱線してから20~30秒後に下り2113Sが事故現場へ進入しており、上り2000Sは2113Sとほぼ同時に事故現場へ進入したとされていますので、その点も加味すれば事実が見えてきます。
ネット検索を見ると、21時40分派と21時50分派に大別できます。主要メディアが21時40分と報じているところもあり、誤りを広める一因になっているのではないでしょうか。事実を検証できる方のお力を必要とします。ぜひお願いしたいところです。--Zeamonde(会話) 2024年5月20日 (月) 16:05 (UTC)
- 鉄道ファン誌1986年8月号(通巻304号)107ページ(連載記事「鉄道保安要史その8」、久保田博)に「21時51分」という記述があります。--Muyo(会話) 2024年5月21日 (火) 09:08 (UTC)
- 返信ありがとうございます。Muyoさんが示された「21時51分」という時刻には信憑性があります。その時刻は、脱線した貨車と2000Sが衝突して2113Sの4両目と5両目を粉砕した時刻だと思います(正確には21時51分30秒頃)。「21時50分」は貨車が架線柱に激突して編成から切離された時刻でしょう(正確には21時50分45秒頃)。「貨車の脱線・横転・停電」が発生したとき、2113Sは京浜東北線との交差部分の手前(生見尾踏切付近)を走行していたとする資料があり、事故現場に減速進入したタイミングに若干の時間差があります。「2000Sによる貨車衝突・脱線・2113S粉砕」はほぼ同時に起きた出来事だとされています。事故に遭遇しかけたフリーアナウンサーの高嶋ひでたけ氏の証言によれば、氏の記憶だと事故当日の夜に東京駅13番線から2113Sに乗車した際、発車時刻は21時27分だった、というものがあります(定刻は21時25分発)。これは遠い記憶なので信憑性と信用性が担保できませんが、仮に正しいと仮定すると、東京駅から川崎駅までの所要時間は、おおよそ20分前後ですから、川崎着21時47分となり、すでに怪しい定説「21時40分」を超えています。川崎駅から事故現場までの所要時間は4分弱なので、事故発生「21時50分ないし51分」という時刻は、だいたいの辻褄は合うと思います。当時の時刻表、報道、資料を調べると、よりはっきりするかと思います。当該記事の信用性に関わる問題なので、時刻についても検証しなければなりません。事実と確認された場合は時刻を「21時50分ないし51分頃」に書き換えたいと思います。その前にどなたかが出典付きで修正していただいても構いません。--Zeamonde(会話) 2024年5月23日 (木) 16:55 (UTC)
(インデント戻します)2023年11月9日付東京新聞にて、当該事故電車運転士さんに関係する記事があります(参照:父の名は碑にないけれど 旧国鉄鶴見事故60年 刻まれなかった運転士遺族の思い「二度と事故起きぬよう願う」 )。この記事では「午後9時50分ごろ」と事故発生時刻が記載されています。念の為に記しておきますね。--利用者:Geogie(会話 / 投稿記録 / 記録) 2024年7月16日 (火) 15:58 (UTC)
- コメントありがとうございます。本記事の事故発生時刻の誤りは明らかなので、近々出典付きで時刻を書き直します。--Zeamonde(会話) 2024年7月19日 (金) 19:44 (UTC)
- 「事故発生時刻」を参考文献および出典付きで修正しました。--Zeamonde(会話) 2024年8月13日 (火) 19:21 (UTC)
「要検証」箇所について
編集「要検証」を貼付した箇所について、記述内容が正確かどうか、確かめる必要があります。
●「概要」節の「貨物線(品鶴線)」ですが、事故現場の貨物線は品鶴線ではなく、東海道貨物線が正しいと思うのですがいかがでしょうか。品鶴線の実キロは起点の品川から17.8kmで、終点は鶴見駅構内の西端までです。そうであるなら本文の記述は明らかに誤りです。
●2000Sの進入速度についてですが、本文だと「90km/h前後という高速のまま進入した上り列車は」と書かれています。ですが実際には2000Sの運転士は事故現場手前の左カーブを抜けて滝坂踏切先の直線区間に入ったところで貨車の横転を発見して非常ブレーキを掛けています。貨車衝突時には約30~35km/h減速し、速度は約55~60km/hほどに落ちており、2113Sの4両目に激突したときには約40km/hであったと見られています。ノーブレーキングで貨車に突っ込んだかのような記述は正確性に欠けるでしょう。2000Sの車掌の証言でも非常ブレーキは明らかに掛かっているのであり、減速はしています。滝坂踏切を抜けて直線区間に入った場所から貨車横転の場所まで約130mの距離がありますから、2000Sの運転士が非常ブレーキを掛けることは可能でした。
また減速している状態で「高速」という表現もどうなのかと感じます。「時速××で衝突」などでよろしいのではないですか?
この記事は、事実と違うことが書かれている箇所がかなりあるようで、要検証を貼らざるを得ない感じですね。NHKのWEBサイトまでが事故発生時刻を「21時40分」と書いていることに私は衝撃を受けております。まさかWikipediaの当該記事を参考にしたのでしょうか?だとしたらデマが広まっているヤバい状況だと思いますし、鶴見事故の教訓が完全に風化してしまっているわけで、記事の信頼性と正確性を上げなければなりません。
今後「要検証」を貼る場合は、こちらのトピックにまとめて記述します。ぜひ執筆された方が御自身で検証され、正確に書き直して頂きたいと思います。--Zeamonde(会話) 2024年6月3日 (月) 15:08 (UTC)
●「原因」節の「貨物列車の機関士が脱線直後に発煙筒を焚いたが、短時間で消えてしまったこともあって上り列車の運転士(死亡)が見落とし、直前まで脱線に気付かず高速で貨車に激突、勢い余って横の列車を大きく破壊するに至ったものとされている」と記述されている箇所について疑問があります。
まず、そもそもが貨物列車の機関士と機関助士は、突然非常ブレーキが掛かったので、列車停止後にその原因を把握するため時間を費やしました。車掌との連絡手段は何もありませんから、発炎筒云々の話は貨車の脱線・編成からの脱落による非常ブレーキという原因を知らない機関士らについては何も関係ありません。実際に焚いたのは貨物列車の車掌です。次に焚いた物は「発煙筒」ではなくて「信号焰管」が正確なのではないですか?夜間の暗闇で発煙筒は焚かないでしょう。貨物列車の車掌は上り旅客線と上り貨物線の防護を念頭に信号焰管を焚きましたが、時間的余裕からしても、また見通せる位置の問題からしても上り2000H列車が見落としたも何もありません。以上の点が実際のところであり、正確な検証が必要でしょう。--Zeamonde(会話) 2024年6月25日 (火) 15:10 (UTC)
●「事故当日や現場について」節の以下の部分「また、これらの検証により貨物列車が約4分遅れで運行していたことがわかった。」と書かれている箇所についてですが、そもそも時間的な証拠は貨物列車の機関士と機関助士および鶴見操車場の係員から聴取すれば容易に「貨物列車は定刻から4分遅れの運行だった」と解りますし、テレビ番組の放映シーンを覚えていた事故現場付近の住民によって事故発生時刻を特定出来たのは素晴らしい成果でしょう。そこで疑問に思うのは、ほぼ正確に事故発生時刻を特定出来ているのに、なぜ事故発生時刻を「21時40分」と書いてしまうのでしょうか。事故当日、貨物列車の鶴見操車場発車は4分延の21時44分、下り2113Sの川崎発車は2分延の21時46分、上り2000Sの横浜発車は定刻の21時47分でした。以上の事実からして事故発生が「21時40分」などあり得ないと解ります。それと当該箇所の出典が東スポの記事というのはいかがなものかと感じます。テレビ番組で正確な事故発生時刻を特定出来た、と書いておきながら「21時40分」とするとは矛盾も甚だしく、いい加減にもほどがあります。東スポの出典は変えるべきだと思います。--Zeamonde(会話) 2024年7月3日 (水) 16:13 (UTC)