ノート:野田・福島の戦い (1570年)
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改名提案
編集以下、2記事の改名を提案します。
- 野田城・福島城の戦い → 野田・福島の戦い (1570年)
- 野田・福島の戦い → 野田・福島の戦い (1614年)
- 改名後、野田・福島の戦いの跡地は曖昧さ回避ページとします。
改名の理由としては、本項(野田城・福島城の戦い)で取り上げる合戦について「野田城・福島城の戦い」という呼称(またはそれに類する「野田城・福島城合戦」など)が使われた例を、管見では本記事作成以前に確認できないということがあります。
改名先とする「野田・福島の戦い」に類する名称については、以下に挙げるように複数見られます。
- 「野田福島合戦」
- 「野田・福島の陣」
- 『大阪府史 第4巻 中世編 II』(大阪府、1981年) - 451頁の見出しに「野田・福島の陣」[4]( 要登録)。国立国会図書館デジタルコレクションで調べたところ、本書以外にも「野田・福島の陣」という言葉は見られるが、概ね合戦名でなくこの戦いの際に布いた陣を指す。
- 「野田・福島攻め」
- 谷口克広『戦争の日本史13 信長の天下布武への道』(吉川弘文館、2006年) - 93・95頁に「野田・福島攻め」。
本項の初版で参考文献に挙げられる『戦国合戦大辞典 第四巻 大阪 奈良 和歌山 三重』(新人物従来社、1989年)12頁に「野田・福島砦の戦い」とあり、本項のタイトルもこれを参考にしたものと思われますが、同書によると大坂冬の陣の野田・福島の戦い(この戦いを解説した箇所の見出しは「鴫野・今福・野田・福島の戦い」)においても、野田・福島それぞれに砦が築かれていたとのことです(41頁)。そのため、本書に従い「野田・福島砦の戦い」にしても大坂冬の陣の「野田・福島の戦い」と区別が付かないため、改名先の候補にはしていません。
また、単純に砦を城に置き換えた「野田・福島城の戦い」というような呼称も私が調べた限りでは見つけられていません(それぞれの城を指して「野田・福島城」と呼ぶ例自体はありましたが)。
本記事の改名については影響が大きいとも考えられますので、議論期間は長めに1か月設けたいと思います。その間に反対意見が寄せられない場合は、改名を実行したいと思います。--YasuminB(会話) 2025年1月6日 (月) 10:01 (UTC) 修正。--YasuminB(会話) 2025年1月6日 (月) 10:17 (UTC)
- 追記 上記書き込み後、塩谷菊美『石山合戦を読み直す』(法藏館、2021年、ISBN 978-4-8318-6268-6)にて「野田・福島の戦い」が用いられているのを確認しました(36頁2–3行目、元亀元年9月12日の本願寺による織田勢攻撃を書いた直後の丸括弧内にて)。--YasuminB(会話) 2025年1月31日 (金) 13:03 (UTC)
- 報告 改名しました。これから両記事へのリンクの修正を行っていきます。--YasuminB(会話) 2025年2月6日 (木) 18:09 (UTC)
- 済 リンクの修正および「野田・福島の戦い」の曖昧さ回避ページ化を完了しました。--YasuminB(会話) 2025年2月6日 (木) 19:58 (UTC)
- 報告 改名しました。これから両記事へのリンクの修正を行っていきます。--YasuminB(会話) 2025年2月6日 (木) 18:09 (UTC)