ノート:皇太子徳仁親王妃雅子/過去ログ1

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記事名について

明治以降、婚姻によって皇族に入った女性についてですが、一条美子九条節子徳川喜久子と臣籍?にあったときの姓による例と雅子 (皇室)美智子 (皇室)という(皇室)を使う例が混在してますが、統一したほうが良いのではないでしょうか。Safkan 04:08 2004年2月28日 (UTC)

明治時代とかは側室制度がありましたけど、現在はありませんので、結局はこの形が解りやすくて良いのではないでしょうか。多分そのために自然にこうなっているのではないかと思います。--Kadzuwo 19:09 2004年3月22日 (UTC)

僕も以前はそう思っていたのですが、喜久子妃殿下はご存命の現役皇族ですし、側室制度のない昭和天皇以降の時代に属する方なので統一性が必要と考えたのですが。Safkan 12:03 2004年3月24日 (UTC)

なるほど。また、女性の名前を呼び捨てにするのは無礼だし、「○○さま」という言い方すらそうだという意見もありますね (高島俊男『お言葉ですが…』ISBN 4163521100 ISBN 4167598027 とか)。してみると、やはり旧姓とともに示した方が良いのかも知れません。
正直ここが自分の個人サイトだったらどちらにしていただろうかと、自分でも迷っています。皆さんのご意見はいかがですか?>>All --Kadzuwo 13:44 2004年3月24日 (UTC)

もうひとつ、高松宮宣仁文仁の例の不一致というのもありますね。個人的には前者のほうが良いと思います。Safkan 05:49 2004年4月2日 (UTC)

気付いたら良子女王というのもできましたね。この人は最初から皇室ですが。さてどうしましょ。Safkan 09:33 2004年5月19日 (UTC)

香淳皇后へ記事名を変更しては? 向こうのノートへ書くべきかもしれませんが。 けんち 13:41 2004年6月5日 (UTC)

皆さん議論されていますが、何かしらの形で統一したほうがいいと僕も思います。 私案ですが、一条美子(昭憲皇太后)、九条節子(貞明皇后)などの皇后は、嫁いだからこそ歴史に名を残しており、夫の天皇との並びで言っても、やはり諡を記事名にするべきです。

天皇、皇太子とその妃は、今あるように明仁、徳仁、雅子でいいとして、徳川喜久子や川嶋紀子などが問題です。 徳川喜久子も嫁ぐ前の名前なので、これで立項するのは避けたほうがいいでしょう。 高松宮宣仁親王妃喜久子殿下がもっとも長い正式名称なのですが、高松宮妃喜久子というのが一番なじみのある名前でしょう。徳川喜久子(皇室)でも飛べるようにしておけばよいのではないでしょうか。 そうすると、三笠宮崇仁の妻、「百合子」とその子供、三笠宮寬仁の妻「信子」も同じ規則であらわせるのではないでしょうか。 okamich 2004年8月11日 (水) 16:07 (UTC) と思ったけど、三笠宮寬仁の妻「信子」はもっと問題が複雑でした。下にまとめます。okamich 2004年8月16日 (月) 17:57 (UTC)

妻を意味する「妃」という文字を含めると、三笠宮信子の場合には「三笠宮妃信子」ではなく夫の名前まで入れて「三笠宮寛仁妃信子」としなければなりません。「妃」は入れる必要ないのではないでしょうか? Sh 2004年8月14日 (土) 12:58 (UTC)
※文中の「寛仁」は「寬仁」に読み替えて下さい。Sh 2004年8月14日 (土) 21:56 (UTC)

愛子も最近報道(AERAなど)で敬宮さまという表記も出てきました。 秋篠宮とは位置づけが違うのですが、統一性を求めるなら敬宮愛子としておくのがよいのでしょうか。 さーやも紀宮清子なのでしょうか。 okamich

「_(皇室)」などと余分な文字列を含んだ現状の記事名よりは「敬宮愛子」、「紀宮清子」の方が適切だと思います。Sh 2004年8月14日 (土) 12:58 (UTC)

かつて井戸端へ提案しましたが議論に参加してくださる方が少なかったので喜ばしく思います。「妃」の字を避けるお考えに対して初歩的質問なのですが、結婚して「三笠宮妃」になった人は「宮家」の一員なのでしょうか? そうであれば「妃」字は無くとも良いと思いますし、逆に「三笠宮」本人のみを「宮」と呼ぶのが正しいのならば、「妃」字は外せないと思います。「敬宮愛子」については、個人的にはokamichさん、Shさんに賛成なのですが、いずれ名前が変わるであろうことを考えると、面倒に思う人もいるかも知れませんね。 けんち 2004年8月14日 (土) 13:36 (UTC)

宮内庁サイトの「皇室の構成」には「宮家の皇族方は,秋篠宮(4方),常陸宮(2方),高松宮(1方),三笠宮(2方),寬仁親王(4方),桂宮(1方),高円宮(4方)の各宮家の18方です」と記されており、外部から嫁いできた女性も数に含まれています。「三笠宮」などの宮号については当主個人を指すものとしても用いられていますが、現代においては妻子を含む一家(宮家)全体を表す称号なのではないでしょうか?
「名前が変わる」ことについては、落語家や歌舞伎役者など芸能人にも見られることで内廷皇族に限った話ではありません。それに、ウィキペディアでは#REDIRECT機能を使えるため、リンク元に影響を及ぼすような問題にもならないと思います。Sh 2004年8月14日 (土) 21:56 (UTC)

okamichです。私は「高松宮喜久子」派なのですが、その根拠にしているのは、宮内庁のサイトの天皇皇后両陛下・皇族方のご活動宣仁親王妃喜久子殿下(高松宮) という表記があること。NHKや新聞社でも高松宮妃喜久子という表記がなされているということ。そして、中央公論社から出版した本人の本の著者名が、高松宮妃喜久子となっていることの3点からです。ISBN: 4120028399 高松宮喜久子、秋篠宮紀子という表記の仕方は、実際にあるのでしょうか?
もしかしたら、喜久子(高松宮)という表記もありうるのかもしれませんが、高松宮妃喜久子のほうがいいでしょう。ただ、秋篠宮家の眞子、佳子の表記の仕方としては、ここで項目立てする場合には、眞子(秋篠宮)、佳子(秋篠宮)とせざるを得ないかもしれません。「秋篠宮」という項目から、4人にそれぞれリンクを貼ればいいのかも知れませんが。宮家の表記の難しいところです。 okamich 2004年8月16日 (月) 13:02 (UTC)

記事名の変更を厭わないのであれば、「天皇明仁」「皇后美智子」「皇太子徳仁」等を提案します。「皇太子雅子」は・・・? けんち 2004年8月14日 (土) 22:24 (UTC)

実際に使いやすいほうにすべきなのか、正式な呼称にこだわるのか悩ましいところです。天皇、皇后などは、宮家とは位置づけが違うので、天皇明仁と、秋篠宮文仁を同列に扱うことは抵抗があります。明仁は、小泉純一郎と同じで、これがフルネームなのだから、「天皇明仁」という表記は、「内閣総理大臣小泉純一郎」と同じことです。「苗字+名前」という形式にこだわらず、本当は「明仁」のみでいいと思います。明仁(皇室)と今なっているのは、議論があって今の形になっているとおもうので、これに関しては、異論ありません。繰り返しになりますが、僕の考えとしては、現状どおり明仁、美智子、徳仁、雅子に関しては、名前だけでいいのではないかと思います。
ただ皇太子も、海外などで署名をするときは、「浩宮徳仁」と署名するそうで、これまた宮号の使い方の不思議なところです。ちなみに天皇が署名するときには「明仁」のみ。okamich 2004年8月16日 (月) 13:02 (UTC)

  1. 国際花と緑の博覧会公式記録によれば、現在は「徳仁」とのみ署名しているようです。--211.124.255.135 2005年8月16日 (火) 02:32 (UTC)

ご指摘の通り、天皇・皇后・皇太子夫妻については、正式な呼称よりも使い勝手を意図した提案です。大逆事件#虎ノ門事件の摂政・[[裕仁]]や正力松太郎での[[昭和天皇|摂政宮]]、宮中某重大事件での[[皇太子]]裕仁親王([[昭和天皇]])など、皆さん苦労が偲ばれますが、[[摂政裕仁]]・[[皇太子裕仁]]などと書いてそのまま#REDIRECTできたら便利だろうと思っただけです。賛同する方がおられなければ撤回します。
また、眞子_(秋篠宮)、佳子_(秋篠宮)は面倒なので、秋篠宮眞子、秋篠宮佳子が駄目ならば_(皇室)のままが良さそうです。
その他については、合意が得られそうな部分からまとめませんか。以下見出し分けを提案しますので、いじって見て下さい。(この提案、ルール違反じゃないですよね?) けんち 2004年8月16日 (月) 15:41 (UTC)

宮家の子女について 宮家の子女のについては、もう少し議論が必要でしょう。

  • 秋篠宮家 内親王の眞子・佳子について

1.眞子_(秋篠宮家) 2.眞子_(皇室) 3.秋篠宮眞子 4.秋篠宮_眞子/秋篠宮・眞子などが考えられるが、普通は秋篠宮家の長女、眞子内親王っていわれるのではないかと思っています。3の秋篠宮眞子という表記がどこまで一般的か僕にはちょっと判断しかねます。1は、一番正確なのだけど、ここまで詳しくなくてもいいかもしれない。4も辞書の見出しとしては今ひとつ。2については、なんでも皇室にまとめてしまうと、わかりにくくなってしまうかも知れないが、これが一番適当なのでしょうか。okamich 2004年8月16日 (月) 17:57 (UTC)

  • 三笠宮家 三笠宮寬仁とするかどうか?

まず、三笠宮崇仁の息子、寬仁親王を、三笠宮寬仁と表記するかどうかについて。宮内庁ではこういう表記はしない。宮様は一人という考え方なのでしょう。が、一般には比較的使われているようではある。これを慣用として認めるかどうか。ちなみに彼が総裁を務める恩給財団済生会の役員等一覧でも寬仁親王という表記にとどめています。三笠宮寬仁としないなら、眞子・佳子にならい、寬仁_(皇室)とすべきでしょうか?そのとき「三笠宮寬仁」にもリンクを貼るべきでしょうか?またその妻信子は、三笠宮妃信子とせず、信子_(皇室)となるのでしょう。三笠宮寬仁親王妃信子というのも見出しとしてはいかにも長いし、三笠宮妃が、崇仁の妻百合子のほかに二人いるのも変だし。okamich 2004年8月16日 (月) 17:57 (UTC)

宮号は、1947年に11宮家が皇籍を離脱した際には「宮」を省いて姓としたように、姓に相当するものとして そのまま名前の前に附けるのが一般的だと思います。昭和天皇の妻・香淳皇后も結婚前については「久邇宮良子」の呼称が一般的ではないでしょうか。
三笠宮寬仁の関係団体が宮号を附けずに個人名だけで表記しているのは、寬仁の要望に従ったためと思われます。寬仁は「私は、「三笠宮」(父の宮号)では無く、「寬仁親王」」日本職業スキー教師協会(SIA)機関誌『SIA NEWSVol.115(2002年2月発行号)「総裁コラム」)だと主張し、名前に「三笠宮」を附けられることを望んでいません。しかし、分家を本家から切り分ける宮家制度の本質から考えれば、分家に生まれた時点で自動的に当該分家に属するものと解釈すべきだと思われます。宮内庁長官官房審議官も1990年5月の衆議院大蔵委員会で「三笠宮家の御長男でいらっしゃいます寛仁親王家、これは宮号は同じ三笠宮でございます」(「衆議院会議録情報 第118回国会 大蔵委員会 第11号」[衆議院])と明言しています。
外部から嫁いできた女性については、現代においては宮家の一員に数えられており、夫・子どもと同様に“宮号+個人名”として問題ないはずです。閣僚を総裁に招いて4年に一度 開かれている全国菓子大博覧会のサイトでも「名誉総裁 高松宮宣仁親王殿下 高松宮喜久子妃殿下 秩父宮勢津子妃殿下」(「第19回全国菓子大博覧会」[全国菓子工業組合連合会])との記述が見られるように一般的な表記です。また、“宮号+妃”という表現は、特定個人との続柄を表す言葉であって名前ではないため、附けるべきではありません。なお、名前を個人名だけにした上で、曖昧さ回避の手段として名前の後ろに“_(宮号+妃)”と附け足すことは許容範囲内だと思います。Sh 2004年8月16日 (月) 22:13 (UTC)

「総裁コラム」でいみじくも言っているように、三笠宮は父、崇仁の宮号であり、寬仁親王の宮号ではないことを先ず押さえることが大事だと思います。また宮内庁長官官房審議官の発言にあるように、三笠宮嫡流である寬仁親王家の宮号は、三笠宮である。(しかし、寬仁親王の宮号ではない。)この二つを押さえた上で、三笠宮寬仁という慣用を認めるかどうかが議論されるべきです。正式には“宮号+個人名”という表記をするわけではないのです。しかし利用者の使い勝手を考えて、三笠宮寬仁(宮家の次期当主)なり、高松宮喜久子(当主の妻)なり、秋篠宮眞子(その子)という表記を認めていくのか、どうかということになるかと思います。三笠宮寬仁は次期当主であるため使われている例を散見しますし、久邇宮良子はある程度の市民権を得ていると思います。しかしそれ以外に関しては、どれほど実際に使われているかは疑問です。全国菓子大博覧会のサイトにある「高松宮喜久子妃殿下」は慣用というよりも誤用なのではないでしょうか。「皇太子雅子妃殿下」みたいなものかと。「高松宮喜久子」という表記は公文書や報道などしかるべきところで使われている例はあるのでしょうか。ジーサーチの雑誌・新聞横断検索で、検索したところ・・・

  •  秋篠宮妃紀子 800件  秋篠宮紀子 96件
  •  高松宮妃喜久子 604件 高松宮喜久子 23件
  •  三笠宮妃信子 17件   三笠宮信子 17件 (同じでした。)

しかも「秋篠宮紀子」を見出しに使っている記事も本文中では、「秋篠宮妃紀子」を使っていることもあり、「秋篠宮紀子」は見出しを短くするために使用されることもある許容されるべき通称というところなのでしょう。「秋篠宮妃紀子」が彼女を表現するのに最も一般的な名前なのだと思います。また、「三笠宮寛仁」は1814件でかなりの記事が書かれている反面、本人の要望で寛仁親王と記事の訂正を求めている記事もありました。(毎日新聞2004.08.05朝刊山形版27ページ)。久邇宮良子13件で意外と少なかったのですが、最近の記事が多かったことも影響しているのですが、実はあまり使われない表記なのかもしれません。まあこれは、香淳皇后とすればいいとおもうので、これ以上追求しませんでした。 okamich 2004年8月18日 (水) 16:35 (UTC)

議論の収束を目指して見出し分けの提案をしたのですが、少し早すぎましたね。^^ゞ なお、リンクの転送の議論は不要と思います。記事名を移動すれば自動的に転送となりますし、仮にここで「転送しない」と議決したとしても、誰かがやるでしょうから。(Shさんのご指摘などにより、下記内廷皇族の項目を一部修正しました。) けんち 2004年8月20日 (金) 16:33 (UTC)
いえいえありがとうございました。過去の皇后・皇太后、現在の天皇・皇后・皇太子・皇太子妃・内廷皇族・宮号をもっている皇族については、ほぼ収束したでしょう。実際の作業に入ってもいいのではないでしょうか?雅子_(皇室)が複数いる件に関しては、その雅子について項目ができたところで、あいまいさの回避をすればいいと思います。okamich 2004年8月21日 (土) 15:51 (UTC)
宮号が個人ではなく家系に与えられた称号である件と、「三笠宮妃」が百合子だけである件は、ご理解いただけたのでしょうか? Sh 2004年8月21日 (土) 16:31 (UTC)

けんちさんに誘っていただいたのですが、記事名については井戸端に書いた(個人的には本名或は元の名前がすきなのですが)他に私からは意見はありません。ShさんSafkan辺りのご意見が妥当かと思われます。 本文について、何時誰から贈られた名前・称号諡号等なのか、何による伝記なのか等を明記していただいた方が記事の信頼性に繋がるかと思われます。johncapistrano 2004年8月22日 (日) 06:53 (UTC)

Shさんが作業を開始してくださったようで、ありがとうございます。過去の皇后・皇太后についても、okamichさんがおっしゃるように議論収束と考えて良いのでしょうね。作業を開始したいのですが、手順が良くわかりません。REDIRECTの削除依頼でいいのかな。 けんち 2004年9月19日 (日) 07:36 (UTC)

とりあえず、25日付でWikipedia:リダイレクトの削除依頼に出しました。 けんち 2004年9月26日 (日) 07:00 (UTC)

過去の皇后・皇太后

一条美子(昭憲皇太后)、九条節子(貞明皇后)、良子女王(香淳皇后)などの皇后・皇太后は、昭憲皇太后、貞明皇后、香淳皇后などとする。 けんち 2004年8月16日 (月) 15:41 (UTC)

現在の天皇・皇后・皇太子夫妻

現状のとおり、明仁_(皇室)、美智子_(皇室)、徳仁_(皇室)、雅子_(皇室)などとする。 けんち

雅子_(皇室)」に該当する人物は、小和田 恆の長女以外にも醍醐天皇の娘など何人かいるようです。Sh 2004年8月17日 (火) 15:15 (UTC)
「雅子 (皇室)」が適切かどうかは別として、江戸時代以前の女性皇族については歴史用語として「○○内親王」「○○女王」「○○門院」が普通に使われて違和感のないところだと思われる(cf.式子内親王)のでここの議論からは捨象してよいのではないでしょうか。記事として立ちそうなのは江戸時代以前の皇族の雅子さんというと平安時代の斎宮の雅子さんにいるかなあと思いますが、普通「雅子内親王」というでしょう。Safkan 2004年8月22日 (日) 04:23 (UTC)
名前に身位を含めるか否かの境界については、明治維新ではなく、昭和天皇が“人間宣言”を発し、天皇の位置付けが「神聖ニシテ侵スヘカラス」存在かつ「国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」する存在から「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」に改められ、宮家が一挙に整理・縮小された1946年~47年を充てたいと思います。Sh 2004年9月4日 (土) 04:15 (UTC)

内廷皇族

宮号 称号をもっている内廷皇族は、紀宮清子 敬宮愛子、紀宮清子などとする。 けんち 2004年8月16日 (月) 15:41 (UTC)

「宮号」ではなく個人の持つ「称号」です。Sh 2004年8月16日 (月) 22:13 (UTC)
修正しました。けんち 2004年8月20日 (金) 16:33 (UTC)

内廷皇族である敬宮愛子と紀宮清子の2名は、検索の便を考え、その名前である「愛子」および「清子」からも転送できるようにする。okamich 2004年8月18日 (水) 09:36 (UTC) 下のshさんの指摘を受け修正しました。

okamichさんの仰る「このルール」とは、称号を附けることでしょうか、「転送できるようにする」ことでしょうか? Sh 2004年8月16日 (月) 22:13 (UTC)

宮家の皇族

宮号をもっている皇族は、高松宮宣仁、秋篠宮文仁などとする。 けんち 2004年8月16日 (月) 15:41 (UTC)

このルールにのっとるのは、現皇族では、秋篠宮文仁、常陸宮正仁、三笠宮崇仁、桂宮宜仁の4人。okamich 2004年8月16日 (月) 17:57 (UTC) 三笠宮寬仁については、別途検討。 okamich

宮家へ嫁いだ人

宮家へ嫁いだ人は、高松宮妃喜久子、秋篠宮妃紀子などとする。
なお、三笠宮妃信子について不都合な理由が良くわからないので、教えて下さい。 けんち 2004年8月16日 (月) 15:41 (UTC)

三笠宮信子を「三笠宮妃信子」とすることが誤りなのは、そもそも信子は「三笠宮妃」ではないからです。Sh 2004年8月16日 (月) 22:13 (UTC)
この意味は、
    1. そもそも三笠宮と呼ばれるのは三笠宮崇仁のみであり、三笠宮妃は百合子以外当てはまらない。
    2. 三笠宮寬仁を三笠宮と呼ぶのは問題ないが、三笠宮崇仁が当主であるから、三笠宮妃は百合子以外当てはまらない。
    3. 三笠宮寬仁を三笠宮と呼ぶのは許容範囲だが、三笠宮信子を三笠宮妃と呼ぶのは宮号の許容範囲を超える。
    4. 妃の字義から、三笠宮信子は厳密には妃に当てはまらない。(?)
のどれなのでしょうか。私は、Shさんの主張は2番ではないかと思っていますが。また、下にある通り妃字を避けるべきと主張されていることも承知していますが、ここは共通認識を作る為に、妃字とは切り離してお聞きしたいということでご理解下さい。 けんち 2004年8月22日 (日) 00:16 (UTC) 補筆-けんち 2004年8月22日 (日) 00:39 (UTC)
天皇」という言葉が2000年近く(神話上は2664年)に及ぶ歴史的存在を表す言葉であると同時に、この2004年においては明仁個人を指す言葉でもあるように、言葉の意味は文脈において変動し一定ではありません。
三笠宮」の宮号は大正天皇の四男・澄宮崇仁を祖とする家系を覆い表す言葉であると同時に、「三笠宮様」、「三笠宮殿下」などと用いた場合には崇仁個人を指す言葉にもなります。個人を指す「三笠宮」が崇仁を指している以上、「三笠宮妃」も崇仁の妻・百合子を指す以外にはあり得ません。Sh 2004年8月22日 (日) 04:57 (UTC)
明快な説明をありがとうございました。 けんち 2004年8月30日 (月) 15:24 (UTC)

いずれも(川嶋紀子など)旧姓をリンクさせたほうがいい。okamich 2004年8月16日 (月) 17:57 (UTC)

「妃」は名前ではなく続柄であり附けるべきではない。Sh 2004年8月16日 (月) 22:13 (UTC)

信子さんは、明らかに尊称である殿下を取ると、「寬仁親王妃信子」と呼ぶべきなんでしょうけど。Safkan 2004年8月22日 (日) 04:23 (UTC)
近年の皇族については記事名に身位を含めないのが「ウィキペディア」上の慣例となっているようです。Sh 2004年8月22日 (日) 04:57 (UTC)
「三笠宮妃信子」の表記が避けられるのでしたら、“「妃」は附けるべきではない”という主張は取り下げます。Sh 2004年9月4日 (土) 04:15 (UTC)

けんちさんの 2004年8月14日 (土) 13:36 (UTC)の発言とjohncapistranoさんの 2004年8月22日 (日) 06:53 (UTC)について、井戸端の過去ログ整備より、リンク先のみ修正しました。--Suisui 2004年9月25日 (土) 22:32 (UTC)

宮家の子女

“宮号+個人名”とする。例、秋篠宮眞子秋篠宮佳子三笠宮彬子三笠宮瑶子高円宮承子高円宮典子高円宮絢子
ただし、皇族の身分を離れた者は離脱後の“姓+名”とする。例、近衞甯子千容子Sh 2004年8月22日 (日) 06:07 (UTC)

身位を含めるか否かについて

失礼します。既に議論として一応の判断がつかれているのかもしれませんが、改めて問題提起させて頂きます。 私は皇族方のページタイトルについて、お名前の下に身位をつけるべきであると考えます。 以下、提起のポイントについて申し述べたく思います。

  • 身位は即ち敬称ではない(よって中立性は犯さない)

Wikipediaの慣行として、一定の時期を境に身位をタイトルに含めるか否かというご指摘はあるのですが、いまいちどのような意味でそのようになっているのか、理解できませんでした。少なくとも、皇族としての敬称は身位の下に付す「陛下」ないし「殿下」であって、名前の下に身位をつけても敬称したことにはなりません。純粋な本名として、という意味で皇族方のお名前部分だけをタイトルにされているとしても、他の辞書では同じ用例はあまり見られず、少なくとも名前の下に身位があるのが通常ではないでしょうか。主張の根拠としていくつか挙げさせて頂くと

1.タイトルに「陛下」「殿下」「さま」という敬称とは一線を画すべき(身位を含めることは中立性を犯さない)。2.身位は皇室内での位置付けを示す意味でも理解されやすい。3.検索する上で不便である。4.昔の皇族との比較をする上でも複雑である。

ということが指摘できるのではないかと思います。 象徴天皇制での皇室が、戦前以前の折との位置付けも異なることは同意できますが、日本の歴史としては皇室制度には連続性があります。公私の別がつきにくいという側面はありますが、個人としてではなく、主として公的身分である皇族として、紹介されるわけです。社会的に敬称を付すかどうかは任意であるとしても、敬称を用いない場合の呼称について社会的に通用性があるのは、明らかに宮号と身位を含めたものであるという点は指摘できようかと思います。

  • たんにお名前だけであると誤解を招く側面もあるのでは

天皇・皇族の純粋な名前だけで呼称するケースが、天皇・皇室に反対する論調に傾斜しているという側面もあります。様々な論調があることも理解できますが、少なくとも中立ということを仰せになるのなら、そうした指摘も配慮されてしかるべきでしょう。敬称をつけることは、日本国内では任意ですが、身位は法律上の呼称であることには変わりありませんし、法律上の身分であるならばそれを呼称したとて公式な呼び名を用いたに過ぎず、偏りがある表現であるとは思いません。天皇にしてもそうです。明仁の項は今上天皇に統合したとて、問題はないように思いますが如何でしょう。

また、日本文化には皇族であるなしに関わらず、諱(忌み名)といって、実名を呼ぶことを避けた慣習もあり、その慣習は今日にも生きています。たとえば名字や地位で呼ぶことなどはそのなごりですし、中立性ばかりではなく、文化的背景は考慮されてもいいようには思います。もちろん、対論も少なからず、あることは承知のうえですが、総合的に見てどちらが中立かつ正確かという判断に立った時に、身位を含めない方が適切であるという認識には立てないのですが、如何でしょうか。皆様のご意見を伺えれば幸いです。 改正案について提案させて頂きます。

  • 第一案

改正案としては、直宮皇族であれば「宮号(またはご称号)、名前、身位」、宮号がない場合は「名前、身位」とし、皇太子妃、親王妃、王妃であれば身位であれば「宮妃、名前」とするのが良いのではないでしょうか。肝心の天皇陛下については今上天皇と統合して良いと思います。

  • 第二案

もしくは、タイトルは宮号がある皇族方の場合は宮号だけに限る。宮号がない場合は「ご称号」をもってタイトルとしてよいかと思います。称号がない場合は名前、身位とするということでもいいと思います。但し、この案ですと古代皇族と比較した際に見苦しいかもしれません。よって、あくまで第一案を第一候補として、選択肢のひとつとして第二案をも提示させて頂きます。

--Suifu 2005年9月3日 (土) 03:42 (UTC)

ノート:昭和天皇の方で皇室記事の扱いについて提案させて頂きました。--Suifu 2005年9月7日 (水) 08:38 (UTC)

呼称についての議論

日本の皇族の呼称についての議論は、記事名についてWikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族で一括して議論をする事が決まっていますので個々のノートでの議論はお控えください。--210.196.189.19 2005年12月7日 (水) 09:50 (UTC)

度重なるリバートについて

代言人さんが度重なるリバートを重ねている。 3リバートルールを適用して代言人さんをブロックするか、本記事の保護が必要。 Foo bar

編集合戦となるようなら、編集保護もいたしかたないでしょう。まずはノートにおける合意が必要かと思われます。私はご本人と直接の関係がないことから、[[Category:チッソ]]を挿入する意義はないものと思います。--Dojo 2006年3月4日 (土) 12:53 (UTC)

代言人さんの問題について有益な議論をかさねてください。Foo bar

この投稿の時点では代言人さんはThree Revertを行っておりません。ノートは個人攻撃をする場ではありませんから、、編集合戦の原因となっいる内容それ自体の議論が必要でしょう。以下に項目を分けます。--Dojo 2006年3月4日 (土) 13:15 (UTC)
編集合戦となっているようですので保護しました。なお、Dojoさんの指摘どおり保護当時 Three Revert の対象にはなっていません。―霧木諒二 2006年3月4日 (土) 19:51 (UTC)

カテゴリ付与について

徳仁親王妃雅子自身とチッソとに直接の関係がないことから、[[Category:チッソ]]の挿入は不要だと思います。--Dojo 2006年3月4日 (土) 13:15 (UTC)

  • チッソに勤務していたわけではないので、チッソのカテゴリーに入れるのは不要でしょう。--経済準学士 2006年3月5日 (日) 01:35 (UTC)
  • 国民からみるとチッソと雅子さんのおじいさんが関係があったことは重要で隠すべきことではない。--以上の署名の無いコメントは、220.42.28.50会話投稿記録)さんによるものです。
重要かどうかはさておき、それを隠すとは誰もいってないのだけれどもカテゴリにする必要はないでしょう。本文で触れられていればそれでいい。じいさんだからという理屈なら昭和天皇は明治維新のカテゴリに入れるのかね。--代言人 2006年4月27日 (木) 07:08 (UTC)

202.208.157.59の発言

経歴の最後の一行が、皇族テンプレに隠れて半分近く読めません。何とかして下さい!--202.208.157.59 2006年6月20日 (火) 01:58 (UTC)

202.208.157.59がページ最上部に書きこんでいるため下に移動。--218.114.132.211 2006年9月2日 (土) 19:29 (UTC)

世継ぎ出産に反対した件と天皇に中座させた件について

情報源は週刊文春です。--以上の署名のないコメントは、もりかわしみ会話投稿記録)さんが 2006年12月16日 (土) 07:20 (UTC) に投稿したものです。

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