ノート:白河郡
最新のコメント:10 年前 | トピック:統合提案 | 投稿者:検見川町
統合提案
編集- 白河郡の西白河郡への統合を提案します。両郡は郡区町村編制法施行時に改名しただけで同一の郡です。プロジェクト:日本の市町村#記事作成基準2-2に準じる形で、現在の地名の項目に統合すべきと考えます。--検見川町(会話) 2014年2月8日 (土) 15:11 (UTC)
- (反対)白河郡は本文にも記載のある通り、当初は現在の西白河・東白川・石川・田村を含む大郡で、ここから平安時代以後に高野(東白川)・石川・田村がそれぞれ分立、江戸時代には一時白河・高野・石川が統合されたが、ほどなく再度白川・石川を分割したという経緯が有り、白河郡と西白河郡を「改名しただけで同一」と見なして統合すべきではなく、西白河郡とは別に記事を存置しておくべきと考えます。近代以降の沿革部分についてのみ西白河郡の項目に移記し、「明治(近代)以降については西白河郡の項を参照のこと」とすれば足りるかと思います。--220.211.2.177 2014年2月11日 (火) 15:01 (UTC)
- 最上郡のように領域が変わっても1つの記事になっているものがあります。どのような変遷があっても、消滅時には西白河郡と同一の領域になっていますので、最終的な名称を記事名にするのが妥当と思われます。--検見川町(会話) 2014年2月12日 (水) 06:07 (UTC)
- 「最上郡のように領域が変わっても1つの記事になっているものがあります」との仰せですが、最上郡と村山郡は単に太閤検地の際に名称が逆転しただけであって、また最上郡の項目も村山郡の項目も共にきちんと存在しているのですから、今回のように西白河郡の項目のみを残して白河郡の項目を消滅させるような事例とは到底同一視し得るものではありません。白河郡の項は単独で存置する意義が有り、安易にこれを抹殺すべきでは無いと考えます。--220.211.3.51 2014年2月12日 (水) 14:27 (UTC)
- いかに領域が変わろうとも、「白河郡」と「西白河郡」は同一の郡であり、別の項目として存置する意義が見出せません。「近代以降の沿革部分についてのみ西白河郡の項目に移記し、「明治(近代)以降については西白河郡の項を参照のこと」とすれば足りるかと思います」と仰られていますが、それなら西白河郡の項目に白河郡が大郡だった時代の記述(それほど分量は多くありません)を移し、1郡1記事にした方が自然です。また、白河郡が後の西白河郡の区域に確定したのは11世紀と相当古い話であり、「白河郡」を存置したとしてもスタブ記事にすぎません。--検見川町(会話) 2014年2月13日 (木) 13:23 (UTC)
- 「それなら西白河郡の項目に白河郡が大郡だった時代の記述(それほど分量は多くありません)を移し、1郡1記事にした方が自然です。また、白河郡が後の西白河郡の区域に確定したのは11世紀と相当古い話であり、「白河郡」を存置したとしてもスタブ記事にすぎません」という貴殿の見解には何ら納得すべき点はなく、改めて反対の意思を表明致します。私はこれを以て意見の表明を終了致しますが、意見欄において賛成者が一切居ない現状でも敢て統合を望まれるのでしたら、統合の理由として挙げられているプロジェクト:日本の市町村の参加者の方を説いて、貴殿以外の統合賛同者を最低でもお一人は用意すべきと存じます。--218.110.91.165 2014年2月16日 (日) 04:55 (UTC)
- なぜ理論的裏づけもなく個人的な主観で「何ら納得すべき点はなく」と断言できるのかわかりませんが、プロジェクトに議論を提起しました。また、こういった議論に参加される場合は匿名で意見を表明するのではなく、アカウントを作成されることをおすすめします。--検見川町(会話) 2014年2月16日 (日) 05:17 (UTC)
- プロジェクトへの提起、確認致しました。お一人でもプロジェクト参加者の方からの賛同が得られたのであれば、それを理由に移動を決行なされば宜しいかと存じます。なお当方はアカウントを作成するつもりは一切ございません。--218.110.91.165 2014年2月16日 (日) 05:46 (UTC)
- なぜ理論的裏づけもなく個人的な主観で「何ら納得すべき点はなく」と断言できるのかわかりませんが、プロジェクトに議論を提起しました。また、こういった議論に参加される場合は匿名で意見を表明するのではなく、アカウントを作成されることをおすすめします。--検見川町(会話) 2014年2月16日 (日) 05:17 (UTC)
- 「それなら西白河郡の項目に白河郡が大郡だった時代の記述(それほど分量は多くありません)を移し、1郡1記事にした方が自然です。また、白河郡が後の西白河郡の区域に確定したのは11世紀と相当古い話であり、「白河郡」を存置したとしてもスタブ記事にすぎません」という貴殿の見解には何ら納得すべき点はなく、改めて反対の意思を表明致します。私はこれを以て意見の表明を終了致しますが、意見欄において賛成者が一切居ない現状でも敢て統合を望まれるのでしたら、統合の理由として挙げられているプロジェクト:日本の市町村の参加者の方を説いて、貴殿以外の統合賛同者を最低でもお一人は用意すべきと存じます。--218.110.91.165 2014年2月16日 (日) 04:55 (UTC)
- いかに領域が変わろうとも、「白河郡」と「西白河郡」は同一の郡であり、別の項目として存置する意義が見出せません。「近代以降の沿革部分についてのみ西白河郡の項目に移記し、「明治(近代)以降については西白河郡の項を参照のこと」とすれば足りるかと思います」と仰られていますが、それなら西白河郡の項目に白河郡が大郡だった時代の記述(それほど分量は多くありません)を移し、1郡1記事にした方が自然です。また、白河郡が後の西白河郡の区域に確定したのは11世紀と相当古い話であり、「白河郡」を存置したとしてもスタブ記事にすぎません。--検見川町(会話) 2014年2月13日 (木) 13:23 (UTC)
- 「最上郡のように領域が変わっても1つの記事になっているものがあります」との仰せですが、最上郡と村山郡は単に太閤検地の際に名称が逆転しただけであって、また最上郡の項目も村山郡の項目も共にきちんと存在しているのですから、今回のように西白河郡の項目のみを残して白河郡の項目を消滅させるような事例とは到底同一視し得るものではありません。白河郡の項は単独で存置する意義が有り、安易にこれを抹殺すべきでは無いと考えます。--220.211.3.51 2014年2月12日 (水) 14:27 (UTC)
- 最上郡のように領域が変わっても1つの記事になっているものがあります。どのような変遷があっても、消滅時には西白河郡と同一の領域になっていますので、最終的な名称を記事名にするのが妥当と思われます。--検見川町(会話) 2014年2月12日 (水) 06:07 (UTC)
(インデント戻します)プロジェクトにて賛成者が得られたため、統合しました。--検見川町(会話) 2014年2月17日 (月) 08:46 (UTC)