流儀が分かりません

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今回初めての投稿なので、流儀がよく分かりません。諸先輩方のご教示よろしくお願いいたします。--冬浦 2005年3月27日 (日) 17:10 (UTC)冬浦返信

政治との関わり

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「政治との関わり」について、Wikipediaの方針に従った、記事の訂正が必要だと思われます。2006年9月2日付東京新聞の記事で、社会部長によるインタビューに対し石原慎太郎都知事が以下のとおり答えています。「新宿の二丁目と歌舞伎町は美観とはいえないよね。銀座でもごてごてと色があるし。景観法ができたし、規制力のある条例を今年中に作ります。」。現在、出典をネットで閲覧するのは有料サービスのようですが、個人のブログで同様の引用が山のように引っかかります。発言自体を「デマ」と言い切るには根拠が必要だと思うのですが、いかがでしょうか?219.215.92.93 2007年9月18日 (火) 11:40 (UTC)返信

  • 引用した文章において石原都知事は、二丁目に対する不快感を述べているだけで「二丁目をつぶす」とは言ってませんし、2006年の発言において「今年中に作る」と述べた「規制力のある条例」が実際にはできてない(提案すらされていない)事実を見れば、「デマ」という表現で決して間違ってないと思いますよ。--Melonmelon 2007年9月18日 (火) 23:30 (UTC)返信
  • 街の規模や一般人への浸透性から見て、歌舞伎町と銀座を挙げるのは適切だが、二丁目をわざわざ名指ししたのはもともとネガティブな感情があったからといわざるを得ず、デマと言い切る根拠としては弱いと思いますよ。規制の提案すらされていないというが、任期はまだまだあるわけで、規制を断念したとは言えないと思います。2007年12月23日 (日) 18:01 (UTC)
    • デマかデマでないか、真実が闇の中である以上これは水掛け論だと思いますので「デマの可能性もあり」と手直しをするのはいかがでしょうか。反対派の方が類似案件でブロックを受けているようですので、とりあえず変更します。--Springtide 2008年1月8日 (火) 05:25 (UTC)返信

中立的な観点への疑問

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「政治との関わり」の文章は、3つの事例それぞれについて、一見したところ両論を併記しているように見えますが、その「両論」の扱いは、表現や文章量のバランスを著しく欠き、対等ではありません。百科事典としての分(検証可能な客観的な事実のみを掲載する)を越え、中立的な観点に欠けた、筆者個人の意見が記述されているように思われますが、いかがでしょうか。--Tetsu5670 2007年9月2日 (日) 11:27 (UTC)返信

  • 「中立的な観点に欠けた」とは、具体的にはこの記事中何を意味しているのでしょうか?あなたの考えを示して頂かないと議論が進みません。--Melonmelon 2007年9月2日 (日) 23:48 (UTC)返信
    • 「客観的な事実」と「その事実に関するメディア等の評価の例」の区別が明確ではなく、事実の説明の中に評価的な表現が使用されている点が気になりました。一例を挙げます。最後の文「尾辻は結局、一部関係者の活発な運動にも関わらず、当選ラインに遠く届かない惨敗を喫したことで、関係者の間の分裂は必至と見られる。」という部分ですが、どこまでが「事実」で、どこまでが「評価の例」なのかがわかりません。尾辻氏の選挙結果の「客観的な事実」は「38,230.380票(民主党内35人中29位、全名簿掲載者159人中89位)を獲得し、落選した」ことだけであって、それを「健闘した」と見るか「惨敗した」と見るかは、見る者の立場や考え方によって違うはずです。もし筆者が、「客観的な事実」として「惨敗した」という表現を使用されているのだとすれば、それは中立的な観点に欠けていると思うのです。「客観的な事実」と「その事実に関するメディア等の評価の例」を明確に区別し、後者には出典を示すべきだと思います。--Tetsu5670 2007年9月3日 (月) 04:56 (UTC)返信
      • 惨敗という言葉の適用について問題があるという考えについて「落選した」に語句訂正をするのには賛成します。また、二丁目が分裂した、という点に関しても出典が必要と考えます。このくだりを削除するに当たっては「出典を用意するのは書き込む側」という原則に則して賛成いたしますし、前項と同様に反対派の方がブロックのようですのでとりあえず削除します。--Springtide 2008年1月8日 (火) 05:19 (UTC)返信
        • 変更後特に意見がないようですので、とりあえず中立的な観点の疑問および独自研究の部分の修正を行ったということでこの二つのタグを取り外させていただきます。--Springtide 2008年1月10日 (木) 16:52 (UTC)返信

転記

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新宿二丁目#室内発展場の隆盛から、クルージングスペースに一部転記しました。なお、転記元の記述も転記するのもどちらも同じ者です。--182.171.36.221 2013年4月26日 (金) 11:37 (UTC)返信

蘭屋は要町から移転したのか

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本項「売春防止法以降: 要町から現二丁目へ」という節で、「売春防止法施行以降、蘭屋は、要町から新宿御苑に近い緑園街に(2度目の)移転をした」「緑園街の区画整理を受けて蘭屋は、新宿二丁目不動通りに3度目の移転をした」とあります。そして「以降、不動通り北側にゲイバー出店が相次いだ」とあります。しかし、1986年刊行の「オトコノコのためのボーイフレンド」P81には、「今でも蘭屋は要町に残っている」とあります。ブログなどでも、1980年代に蘭屋に行った思い出を語っているゲイの方もいます。正しくは、蘭屋は要町から移転はせず、元の店舗はそのままで、新たな店を出して事業を広げたということではないでしょうか。

仮の話で、86年以降に要町から移転したのだとしても、「以降、不動通り北側にゲイバー出店が相次いだ」という記述との脈絡がなくなってしまいます。不動通り北とは、今の2丁目の大部分が含まれ、1986年当時、不動通り北界隈には既に沢山のゲイバーや売り専があったからです(1985年のゲイ雑誌の広告を見ても、不動通り北側の住所の店《例えば第3天香ビルなど》の広告が大量に載っています。1970年代後半オープンのMAKOも不動通り北です)。そう考えると、緑園街の区画整理は1970年代(の前半?)以前のことで、その時に緑園街から不動通りに事業を移転させたのは事実と思われます。しかしその前の「要町から緑園街に蘭屋を移転」という記述は疑問です。当該記述は、==参考文献==という節で6冊の著書が提示されたのと同時にUPされており、具体的にどの著書からの引用なのかが分かりません。こういう出典の示し方はWikiでは推奨されていないと思いますが、移転したのではないことは私が提示した出典からも事実のようです。それか蘭屋2号店を緑園街に出したということかも知れません。この辺りの事情にお詳しい方、情報をお寄せ下さい。取り敢えず、蘭屋は少なくとも80年代までは要町で営業を続けており、「移転」から新規出店などに表現を変更しようかと考えています。--123.198.19.187 2013年11月22日 (金) 01:34 (UTC) 加筆及び訂正--123.198.19.187 2013年11月22日 (金) 01:38 (UTC)--123.198.19.187 2013年11月22日 (金) 03:20 (UTC)返信

訂正

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旧版で「売春防止法施行以降、蘭屋は、要町から新宿御苑に近い緑園街に(2度目の)移転をした」とありましたが、三橋順子さんの「新宿・千鳥街を探して その1」[1]によると「蘭屋は、1954年に銀座から『千鳥街』に移転し、すぐに《1955年頃》要通りに移転してしまう」とあります。この記述が事実なら、当初の引用部分はどの書物からのものか不明ですが、どうやら間違いのようです。とすると、「1954年に蘭屋が銀座から緑園街に移転し、1955年ころに要町に移転した。その後、緑園街の区画整理(1962年7月以降)で千鳥街が立退きになり、そこの店の一部が新千鳥街に移った」というのが真相のようです。丁度のこの頃は売春防止法が施行され赤線が廃止になった時期なので、蘭屋オーナー前田氏も不動通り近辺に土地を買ったということかもしれません。元の記述では、「要町 → 緑園街(旧千鳥街)→ 不動通り」という順序でゲイタウンが広がった様に読めましたが、要町と緑園街(千鳥街)は同時期かそれほど期間は空いていないようです。--123.198.19.187 2013年11月26日 (火) 10:49 (UTC)返信

「オーストラリアではゲイバーへの女性客の入店を合法的に制限することが認められた」を削除しないで下さい

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「なお、オーストラリアではゲイバーへの女性客の入店を合法的に制限することが認められた。理由は女性客がゲイ男性を捕食し、ヘテロにしようとして不安にさせるからというものだった」(出典:"Australian gay bar wins right to ban 'predatory females' ". Nothing To Do With Arbroath. JUNE 11, 2011.)を削除しないで下さい。--110.66.174.54 2015年12月18日 (金) 04:05 (UTC)返信

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