ノート:何咸

最新のコメント:17 年前 | 投稿者:219.2.71.47

「正史にも演義にも名は載っておらず」とありますが、出典は何なのでしょうか? また、「仔細は現在のところは不明」でありながら、「何進の子で何晏の父」と推測する根拠は何なのでしょうか。Kanoe 2005年11月5日 (土) 12:38 (UTC)返信


これで何咸に関する資料(ソース?)がまとまって、一安心。

「魏晋南北朝南陽文学」ってのは外部リンク先の名前であって文献名ではありません。一応ググって引っかかるようですから全くの妄想ではないでしょうが、せめてソースが解るまでは他の記事では書かないでください。らりた 2006年4月17日 (月) 13:57 (UTC)返信


「何晏別伝」によると、何進の子の何咸は父が殺される前に早世し、その時に何晏自身が生まれてるか、生まれてないかのどちらからしい。その後、未亡人になった尹氏は知り合いの曹操の側室となって、曹矩を産んだということらしい。ただ、この「何晏別伝」の出典がどこから来てるのかはわからない。


確かに何咸のソースは今のところ存在しないけど、中国では古くからあるようだし。 それは孫堅の父とされる孫鍾も南宋の文献では、瓜売りの商人と記されるようだし。 それはこれからの歴史学者の検証と研究次第では変わると思うし…

ま、原則としては百科事典ということだから、そうなるのはわかるけど… もう少し柔軟点が欲しいかと…いろんな人が見てるわけだし。自分にはなんともいえんけどね。

ま、このことであなたがスルーするとかシカトするのはあなたの勝手だけど…


あ、補正しとく“インターウィキで存在しない”を誤って解釈したら悪いと思うし、ごめんだけど。 元々はピンイン関連で調べて見つけたもの…

それだけかな。

孫鍾に関してはどの文献に載っているかが解っているので載せるのは構わないと思います(単独項目にするのはどうかと思うけど)。
しかしこの何咸に関してはそこら辺がさっぱり解らないので、載せるのは時期尚早に思います。ソースがはっきりしてからで良いのではないでしょうか?ウィキペディアを完成させるのに焦る必要は無いのですから。歴史学者の研究が確定してから載せても問題は無いと思います。らりた 2006年5月7日 (日) 12:41 (UTC)返信


とりあえず、もとの文章をすべて書き直して出所を明示しましたが、そもそもこの項目を立てる必要が本当にあるのかどうかというところから吟味する必要があると思います。個人的には削除すべきと考えます。219.2.71.47 2007年2月10日 (土) 05:45 (UTC)返信

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