ノート:ミルトン・フリードマン

最新のコメント:11 年前 | トピック:「思想」の項目について | 投稿者:182.165.171.59

BBCのニュースによるとフリードマン先生お亡くなりになったらしいのですが本当ですか!?

本当です。

チリにおける実験について。

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ピノチェト政権下のチリにおける実験と失敗について詳しく書かれたほうが良いとおもいますが?

白川方明

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シカゴ大学で修士を経たからなにやらマネタリズムの重大な影響下におかれているかのような印象を与えるためだけの文章になっており、さすがに事実関係のよくわからない(百科事典として異質の)情報であると考えリバートしました。①フリードマンの(あるいはその弟子の系列につながる人物の)薫陶を受けたとする明確な情報②あるいは白川の政策がマネタリズムであるとする明確な情報が必要です。当然のことですが、世界の中央銀行のトップを勤める人たちで「マネタリズム」について知識を持たない人はありえないとおもいますよ。大学卒業しただけで、その政策の多大な影響に拘束されるのなら、日本の経済学部卒業したエコノミストはみんなマル系主義者になります。そのような推論はさすがに乱雑にすぎる--大和屋敷 2010年9月6日 (月) 01:13 (UTC)返信

保護依頼

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保護依頼を提出しました。IPアドレス投稿者による独自研究の投稿のくりかえし--大和屋敷 2010年9月6日 (月) 17:20 (UTC)陰謀論はよしなさいっての。白川一件のような明確な陰謀論はどのような長文で擁護を試みようとしても生き延びる余地はないです。その他の長文についても独自研究なので削除対象なのだが甘く解釈したとしても「投稿場所がそもそも間違っています」。あきらめるところはあきらめてください。つまらない投稿ブロックが発動されるだけですよ。--大和屋敷 2010年9月6日 (月) 17:52 (UTC)そもそも白川がシカゴ大学で修士を得たからといって、「フリードマン個人やその学説」とどう関係があるのか全く記述できないでしょう。その関係性を示す資料をまず探すべきです。--大和屋敷 2010年9月6日 (月) 17:58 (UTC)返信

独自研究が多いように見受けられます。

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多角的な見解を出典付きで総合的に記述するという手法がとられていないように思われます。ある説に対する一方的な反論のみが出典なしで記述されています。執筆者が支持する意見があるのであれば、少なくともその学説の出典を明記するべきです。--Muneohouse 2010年12月16日 (木) 12:01 (UTC)返信

2011年8月1日の修正について

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本文を修正したとおりです。新自由主義に関して流布されている論説については、原典となる政府の資料の出典を示さず(事実と正反対の虚偽では出典の示しようもないが)伝聞で書いている記事が多いが、イギリスでもアメリカでも日本でも、自由放任主義政策や社会保障歳出の削減は行っていない。フリードマンの主張が実施された国は存在しない。フリードマンが主張した政府が行うべきでない14の政策を読めばわかるように、極論過ぎて現実の政治では議会や国民の多数派からは全く支持されず、実現される見込みは全くない。大統領や首相のような行政の最高責任者の場合はもちろん、国会議員でもフリードマンの政策を主張したら賛同は得られず、次の選挙で落選する可能性が高いので、誰も主張していない。大統領や首相や国会議員のように国民に責任を負い、現実社会の実現可能性の範囲内で政策判断する政治家と異なり、学者は国民に何の責任も負わず、どんな極論でも机上の空論でも主張できるので、政治家とは立場が全く異なる。チリの場合は、ピノチェト政権時代の国家社会統計は、チリ政府の国家統計部門のWebサイトでも、国連や国連傘下の国際機関や他の国際機関の国家社会統計サイトでも、全て空欄(独裁政権下ではそういう事例が多い)なので確認不可能である。

Wikipediaの編集方針では原典となる資料の出典を示さず、検証可能性を満たさない記事や、原典となる資料に照らして事実でない記事を、真実であるかのように表現し記載することは許容されない。新自由主義を非難し糾弾するためなら、事実と正反対の虚偽を真実のように表現したり、事実であることが証明されていない(または証明不可能な)仮説や伝聞を真実のように表現したり、政治的、社会的、商業的に宣伝や誘導したい方向に都合よい事実だけを選び、都合悪い事実は排除して偏った記事にすることも、いずれも、Wikiipediaの記事の信用性を貶め低下させることになるので許容されない(Wikipediaだけでなく新聞、テレビ放送、雑誌、Webなどでも同じなんだが、政治的、社会的、商業的な宣伝や誘導のためなら、どんな虚偽でも正当化したり、情報の真偽や偏りを検証する考えがなくて、社会で流布されている論説をコピーし伝播して結果としてデマを拡大している報道事業者が多いが、虚偽を宣伝し伝播しているのだから、結局は社会に虚偽や誤認や誤解を広めることにしかならない)。とにかく、Wikipediaの編集方針を順守して、原典となる資料を多種多様な観点から検証して、Wikipediaの編集方針と記事の正確性やバランスを考慮した編集が必要だということです。--Moegino 2011年8月1日 (月) 05:05 (UTC)返信

検証不能な独自研究箇所はすべてコメントアウトしました。Wikipeidaには「信頼できる」査読組織がございませんのでMoeginoさんのご研究が「正しいのか」「問題があるのか」検証しようがありません。提出されました出典のうち、記事に直接反映できる箇所は保存可能だと考えますが、投稿されました主題(イギリス、アメリカ・・・等においてフリードマンの政策が「完全な形」で導入されたことがあるかどうか、という主題)についての論考は、Wikipediaでの初稿公表は出来かねます。査読機関のある学術組織等で公表頂いた後、その成果をWikipediaにご紹介頂きますよう宜しくお願い申し上げます。--大和屋敷 2011年8月1日 (月) 05:58 (UTC)返信
Moeginoさんが追加しようとした内容が独自研究と判断された理由については、Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかをご覧ください。出典が示されていない文章について疑問がある場合はノートで議論をしてください。
このノートは利用者の編集方針について批判をする場所ではありませんので、Moeginoさんの大和屋敷さんへの批判は大和屋敷さんのノートページに書き込むかコメント依頼を出してください。--Zakinco 2011年8月2日 (火) 02:49 (UTC)返信

アカウント名Moeginoの編集の削除について

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先ほど編集した者です。利用者:大和屋敷さんの削除に対して、編集合戦するつもりはありませんが、私見を述べます。

私見1

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  • 私が編集する以前の記事は、フリードマンや新自由主義に関して、新聞やテレビ放送や雑誌やWebサイトで広く流布され、Wikipediaの記事の中にも多々あります。私が修正する以前の記事は長い間、記事の品質として問題無しとして掲載されてきましたが、私の編集は独自研究という理由で短時間で削除されています。元記事は出典を示さない記事で、イギリス政府、アメリカ合衆国政府、日本政府が公開している資料と比較して、全くの虚偽だと認識してます。大和屋敷さんの見解では、元記事は独自研究ではなく記事の品質やWikipediaの編集基準に照らして問題無いとされていたので削除されませんでした。つまり、フリードマンの主張が、サッチャー、レーガン、ブッシュ父子、ピノチェト、中曽根、小泉の各政権や、1980年代以後の世界に大きな影響を与えたとの記事は、独自研究とはみなされず、削除されませんでした。

私見2

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  • 元記事は出典無しの通説をそのまま記事にしていますが、私の編集は政府機関の出典を示していますので独自研究ではありません。フリードマンの主張する政策が実施されたかされていないかは、現実を見ればわかるはずです。フリードマンは下記の政策をすべて廃止すべきと主張しました。
  • 1. 農産物の買い取り保障価格制度。
  • 2. 輸入関税または輸出制限。
  • 3. 商品やサービスの産出規制。
  • 4. 物価や賃金に対する規制・統制。
  • 5. 法定の最低賃金や上限価格の設定。
  • 6. 産業や銀行に対する詳細な規制。
  • 7. 通信や放送に関する規制。
  • 8. 社会保障制度や福祉。
  • 9. 事業・職業に対する免許制度。
  • 10. 公営住宅および住宅建設の補助金制度。
  • 11. 平時の徴兵制。
  • 12. 国立公園。
  • 13. 営利目的の郵便事業の禁止。
  • 14. 国や自治体が保有・経営する有料道路。

上記の政策は、フリードマンとは無関係に実施された徴兵制廃止以外には、どこの国でも実施していない、イギリス、アメリカ合衆国、日本で実施されていないことは、わざわざ調べるまでも無く明確のはずです。チリについては原典の資料が無いので検証不能ですが、独裁政権下でも実施不可能のはず。

質問1

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>投稿されました主題(イギリス、アメリカ・・・等においてフリードマンの政策が「完全な形」で導入されたことがあるかどうか、という主題)についての論考は、Wikipediaでの初稿公表は出来かねます

大和屋敷さんは私の修正前の記事(つまりフリードマンの理論に基づいてフリードマンが主張する政策がイギリス、アメリカ、チリ、日本などにおいて、批判者から新自由主義と他称される政権で実施され、その結果社会を著しく疲弊させたという記事)は容認していたのですが、それを否定する記事は、政府統計の出典を示しても独自研究とみなし削除するという姿勢は、通説として出典無しで流布されているは容認するが、通説は事実ではないとの認識の記事は政府統計の出典を示しても、独自研究とみなして削除されます。政府や国際機関の出典を示しても独自研究と判断しますか。

質問2

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私の推測としては、大和屋敷さんに対して失礼な推測になるかもしれませんが、大和屋敷さんは、いわゆる新自由主義に関する通説は出典無しでも擁護、通説を否定する記事は政府統計の出典を示しても独自研究とみなして削除、つまり、大和屋敷さんが新自由主義を非難糾弾する論に賛同しているので、新自由主義批判の通説を擁護し、異説は出典を示しても独自研究とみなして削除するという、Wikipediaを特定の政治的立場を主張するのに都合よく利用しているように見えます(独自研究という理由をつければ削除できるので)。Wikipediaを特定の政治的または商業的な立場に都合よい記事は容認、都合悪かったら何らかの口実をつけて削除という姿勢は許されないんじゃないですか(私は特に新自由主義を擁護してるわけでは無いです、どちらかといえば社民主義よりですが、事実と正反対の虚偽や出典無しで検証不可能な仮説を真実のように書くのはよくないと思ったので修正しました。)。

質問3

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Wikipedia日本語版において、新自由主義、市場原理主義、福祉国家論、社会保障、マーガレット・サッチャー、ロナルド・レーガン、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ、ジョージ・ハウォーカー・ブッシュ、アウグスト・ピノチェト、中曽根康弘、小泉純一郎、イギリスの歴史、イギリスの経済、アメリカ合衆国の歴史、アメリカ合衆国の経済、日本の歴史、日本の経済などのページにも、フリードマンや新自由主義に関する通説として流布されている論説が記載されています。つまり、マーガレット・サッチャー、ロナルド・レーガン、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ、ジョージ・ハウォーカー・ブッシュ、アウグスト・ピノチェト、中曽根康弘、小泉純一郎などが、フリードマンの理論や政策に影響を受け、自由放任政策を行い、上記の14の政策を実施したかのような記事になっています。徴兵制を除き、上記の13の政策は現在でも継続されていて、上記の13の政策は国会に議席を持つ政党で主張している政党は一つも無く、上記の13の政策を主張する超党派の議員団も無く、予見可能な範囲内で実現される可能性が無い政策です。例えば、全ての社会保障制度を廃止し、国民は自己責任で生きろ、などという政策は大多数の国民から全く相手にされていない。

大和屋敷さんは、それらの出典無しの通説記事に対する修正も、このページに記載されていた出典無しの通説記事の修正と同様に、独自研究またはその他の理由をつけて認めず、発見しだいただちに削除するおつもりですか。

質問4

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くどいようですが、突き詰めて言うと、大和屋敷さんとしては、新自由主義に関する通説の記事は、このページで私が修正する以前の記事や、質問3に例示した、同類の記事が記載されているページの減所運記事のように、出典無しでも容認するが、通説を否定する記事の修正は容認できないので削除するということですか。質問3に例示したページも追々修正しようと思っているのですが。「サッチャーやレーガンやブッシュや小泉が、フリードマンの理論に基づいて、自由放任政策を行い、社会保障歳出を削減し、医療や福祉を疲弊させ崩壊させた、などの記事が現状では容認されていますが、イギリス政府、アメリカ合衆国政府、日本政府が公開している国家社会統計によれば、社会保障歳出は毎年増加し、医療や福祉に関する指標も、一部の例外を除いて年々向上しています。その事実を政府が公開している統計を出典として示して修正したら、独自研究とみなして削除し、修正前の元記事に差し戻す、つまり新自由主義に関して流布されている出典無しの通説、政府統計に照らせば事実と正反対の通説を、正しい記事として擁護されるおつもりですか。私はたまに投稿する一投稿者で、管理人のような権力は無く、管理人から悪質投稿者と判断されれば、有期または無期の投稿禁止になる可能性もあります。そうなったら投稿できなくなるので質問しています。

追記

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本文も一部修正しておきます(自分の修正に差し戻すという意味ではない)。 --Moegino 2011年8月1日 (月) 08:03 (UTC)返信

追加

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私が修正する前の記事に、フリードマンの理論や主張する政策に批判的な左翼勢力が、新自由主義という表現でフリードマンを批判した、という記事があり、現在もそのままあります。 私が修正した記事の中に、新自由主義という表現は批判者からの他称であると書き、レーガン、ブッシュ父子の就任演説や毎年の一般教書演説を出典として示して、neo liberalism、market fundamentalism、laissez-faireなどの言葉は自ら使用してはいないと書いたら、出典無効のタグを付けられました。その節も修正で削除しておきましたが、元記事が批判者からの他称表現であると書いていることは問題無しで、私が批判者からの他称表現であると書いたら(元記事と重複は確認不足で気づきませんでした)出典無効のタグが貼られます。大和屋敷さんとしては、私の編集は、坊主憎けりゃ袈裟までのように、何でも難癖付けて削除しようとしているように思えるのですが、本当のところはどうなのでしょう。 --Moegino 2011年8月1日 (月) 08:37 (UTC)返信

個人攻撃はお止めください。--Zakinco 2011年8月2日 (火) 02:49 (UTC)返信

ある人物が唱える持論、学説や推論や仮説と政策等の現実の区別をつけてください。Moeginoさんは、ある論者が唱えたと証明でき、検証可能性を満たすものの、現実はその論者の言うようになっていないという検証可能性を満たす現実を混在し、現実はその論者の言うようになっていないという証明(反証)により、ある論者が唱えたと証明できるものを消していますが、これは検証可能性に記載されている真実の追求であり、同時に検証可能性を満たす内容の削除です。あなたのこの記事編集の態度はある人物が唱える持論、学説や推論や仮説を批判するという意味で学術的態度のようですが、ある人物の持論、学説や推論や仮説に誤りがあると証明されても、ある人物が持論、学説や推論や仮説を唱えていないことにはなりません。また、中立性の観点からも、真実を根拠に現実的ではない持論、学説や推論や仮説を消すことは誤りです。

Wikipedia:検証可能性

「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」

この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。


Wikipedia:中立的な観点

この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くな 115.65.23.251 2011年9月27日 (火) 18:46 (UTC)返信

「思想」の項目について

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「思想」の項目の記述内容が不適切であり全部削除すべきである、と当方のノートに対話を頂いておりますが、大和屋敷は一部を改変した編集者でありまして大和屋敷をもって編集者の全体とみなし「編集者からなんの反論もなく逃げられたのでプロパガンダとみなします」と解釈するのは論証上の誤謬を含んでおり不適切です。まず大和屋敷に要求されるのは大変迷惑であり、大和屋敷のノートにではなく、ウィキペディア編集ルールに従い当記事のノートにて十分に「思想の項目が不適切であり削除すべき」とする理由を述べてみてください。似非リバ一掃さんの編集は一旦リバートしました。--大和屋敷会話2012年12月1日 (土) 04:29 (UTC)返信

わざわざ思想の項目を設けてる時点でそれであたかもリバタリアンであるかのようなレッテルしてる時点でプロパガンダっぽいんですが、 肝心の「規制のない自由主義経済が理想」の出典がないし、「自由主義」は垢のついた語句で積極的自由なのか消極的自由なのかが明確ではない。 実際にフリードマンは再分配や金融政策による貨幣への介入を唱えていそれは国家統制を前提としたものであるにも関わらず「規制のない」とし 「自由主義経済」などという語句は解釈によってはどうとでもとれる。積極的自由主義=社会主義ですから。 因みに貴方の編集した文章は箇所は思想とは関係のないテーマと逸脱したものです。ノートで指摘の箇所に一切正面から反論できない貴方が載せたがるのはおかしいです。載せたいなら 「自由主義」の自由は積極的自由なのか消極的自由なのかを明確にしたうえで、「規制のない自由主義経済が理想」の出典とならばなぜ再分配や金融政策を唱えるのか説明してください。 --似非リバ一掃会話2012年12月21日 (金) 05:42 (UTC)返信

  • 貴殿のノートに投稿しておりますように、出典のあきらかな記述を削除しないようお願いいたします。また引用方法が不適切であるばあいは削除ではなく適切に修正することができます。すでに【当方としては似非リバ一掃さんの主張にそれなりの道理はあると考えておりますが、せっかくわたくしがウェブ上から探してきた情報まで削除されるのはタマランものがあるので、全削除ではなく編集対応でなんとかしたいです】と申し上げているはずです。--大和屋敷会話2012年12月21日 (金) 05:52 (UTC)返信
  • 端的に申し上げれば似非リバ一掃さまの主張は「フリードマンはリバタリアンでもなんでもないのだから自由主義者などと表記するな」「フリードマンをリバタリン≡『自由主義者』と記述するのはリバタリアンに対する冒涜でありプロパガンダだ」という一点だけです。それは自由主義に対するきわめて浅薄な理解による編集にすぎません。仮に「フリードマンは自由主義者でもなんでもない」と信頼できる情報源に記述されているようでしたら、それを引用することでウィキペディア上で紹介することはできます。いずれにせよ短期ブロックされた理由を一度誠実に検討してみられてはいかがでしょうか。--大和屋敷会話2012年12月21日 (金) 05:58 (UTC)返信
  • ラニー・エーベンシュタイン2008.1.17、池田信夫2008.1.26、Milton Friedman July.31.2008のそれぞれに不満や批判があるようでしたら、まず外部の信頼できる情報源で公表のうえ、その記事をウィキペディアに引用する形で紹介することもできます。--大和屋敷会話2012年12月21日 (金) 06:02 (UTC)返信

フリードマンは実際に自然権や消極的自由を尊重する思想ではないです。積極的自由主義をリバタリアニズムとするのは冒涜じゃなくてただの乗っ取り行為。 まさか20世紀初頭に「リベラル」が左派に乗っ取られたのをご存知ないのでしょうか。 積極的自由とは国家による自由であり消極的自由とは対立します。バーリンの著書を参考にしてください。古典派や新古典派は功利主義者同志の方法論の対立で思想のテーマにそれを持ち込むのは適切ではありません。「ケインズと同様に社会の幸福を考えた」というフリードマン自身の記述の方が決定的でしょう。

--似非リバ一掃会話2012年12月21日 (金) 06:23 (UTC)返信

因みに自由が積極的自由であることを明確にした上でなら自由主義という語句を用いても誤解はまねかないと思います。 「自由主義」は「リベラル」同様に左派が好んで使う語句でリバタリアニズムとは違うものだと理解しています。

--似非リバ一掃会話2012年12月21日 (金) 06:34 (UTC)返信

  • ですから、似非リバ一掃さまのご批判されるような記述になっていますか?と聞いています。適切に「規制のない自由主義経済の設計」と書いておるのですが。「設計」と書いてませんか?仮にこの記述では不十分であり誤解を招くとおっしゃるのでしたら信頼できる出典をもとに十分に加筆することができます。「規制のない自由主義経済の設計」という表現はあくまで大和屋敷による独自の表現ですので、できれば信頼できる他の情報源からの引用に置き換えられることは適切だと考えています。一方でこの一文をもってすべての引用元のあきらかな記述まで削除しているから差し戻しておるわけですよ。--大和屋敷会話2012年12月21日 (金) 06:53 (UTC)返信


フリードマンは貨幣数量説なる机上の空論を唱えて雇用のためにインフレが望ましいから中央銀行が金融緩和でコントロールするべきだと述べています。つまり貨幣に対する規制を主張しています。これで「規制のない」「自由主義経済(左翼っぽい曖昧な言い回し)」が理想というのはどう考えてもおかしい。 貨幣に対する介入はリバタリアンが最も嫌う介入の一つです。ハイエクやロスバードやロンポールを始め著名なリバタリアンの殆どが管理通貨制度に反対を表明しています。

豆長者blogより http://mamechoja.blog22.fc2.com/blog-date-201110.html

トーマス・デイレゾ 「我々は福祉が欲しい!我々はインフレが欲しい!」 2011年8月11日 Thomas J. DiLorenzo

フリードマンは、「負の所得税」、すなわち、 福祉寄生者たちに納税者のお金を配ることを唱えたことで知られている。 彼は、連邦準備制度について、あらゆる批判を行ったが、 連邦準備制度が絶えずお金を創り出すことを保証する、 「金融規則」を唱えたインフレ主義者でもあった。 そして、フリードマンは、すべての「私立」学校たちを政府が管理することを保証する、 スクール「バウチャー」のために、納税者から略奪することも唱えた。


1971年、マリー・ロスバード、「ミルトン・フリードマンを解体」

 Murray Rothbard

ミルトン・フリードマンの唯一最大の破滅的な影響が、 彼の古いシカゴ主義者の平等主義の遺産だった。 所得税制度を通した、皆に対する毎年の所得保障の提案である。 ロバート・セオボルドのような左派たちによって取り上げられ、強化された考えである。 この破滅的な計画で、ミルトン・フリードマンは、またもや、 我々の生活から国家を取り除きたいのではなく、国家をより能率的にしたいという、彼の圧倒的な欲求に導かれている。

彼は、国家統制主義の反対者、自由市場の唱道者としてではなく、 どうしたら、より効果的に、その邪悪な仕事を行えるか、 国家に助言する専門家としての役を果たしてきた。

アメリカの怪物のような現在のリバイアサン国家は、 さまざまな意味で、ミルトン・フリードマンのお蔭である。

リバタリアンの福祉問題への取り組み方は、強制的な公共福祉の全廃、 そして、それを自助を促す原則に基づいた民間の慈善に取り替える。

上記は要約ですがロスバードのフリードマン批判のソース原文 はこちら http://www.lewrockwell.com/rothbard/rothbard43.html

Milton Friedman Unraveled by Murray N. Rothbard    This article originally appeared in The Individualist in 1971, and was reprinted in the Journal of Libertarian Studies in the Fall 2002 issue.

Austrian School criticism

因みにFriedman’s Chicagoite Egalitarianismの項目がありますが、 Egalitarianismとは訳は平等主義でこれは言わずとしれたリバタリアニズムと敵対する左翼思想です。

貴方はフリードマンが功利主義者だという意見に異を唱えるようですが、100歩譲ってフリードマンをもしリバタリアニズムに分類するとしたら最穏健派でしかも本来のリバタリアニズムではない帰結主義的リバタリアンという分類の帰結主義的古典的自由主義しかあり得ません。 左翼が乗っ取りたがってるのは大抵はこのポジションで、他のポジションは左翼には過激過ぎて左翼色も殆どないので近寄り難い領域です。功利主義者ですらないというなら当然、帰結主義的リバタリアンでもないしマクロ経済学者でもない。唯の専制君主的な国家社会主義者かポピュリストといったところでしょう。 左翼のいうところの「自由主義」なんてのは積極的自由か消極的自由かも明白にしない事から何にでも適用できてしまう中身のないイデオロギーです。 バーリンは積極的自由は全体主義にも繋がる概念だと述べていますからね。 「社会主義者呼ばわりされるのを嫌がる左派が自らにレッテルを貼るイデオロギー」という側面があります。

繰り返しますが新古典派だの古典派だのは功利主義の方法論であり思想の項目で強調することではありません。 フリードマンは元ケインジアンでありニューディール政策を支持しました。また彼を尊敬し社会の幸福を考えたという出典付きの発言から功利主義者であるとするのが妥当だと思います。 金融規制や再分配を唱えてるにもかかわらず「規制ない経済が理想」(出典なし)では彼があたかもレッフェセールを唱えるリバタリアンであるかのような誤解を招きます。また、再分配が 「公共善」という表現は左派寄りで中立ではありません。リバタリアンや新保守主義側からは経済的自由尊重の観点から「公共悪」になります。--似非リバ一掃会話2012年12月21日 (金) 16:23 (UTC)返信

最初の思想の項目自体が不要の指摘に対しては自分が編集したのでないが自分が編集した箇所があるから残せと言って わざわざ思想の項目を設けて、その内容が「規制ない経済が理想」(出典なし)で 戦略的にフリードマンが「規制ない経済が理想」(出典なし)というところを残したいがために付随した思想のテーマに逸脱した古典派だの新古典派だのという 功利主義者の派閥争いを長々と載せそこが出典付きだから削除するなの一点張りにしているように見受けられます。 「規制ない経済が理想」(出典なし)という問題のある表記を補足する内容でそれがテーマと逸脱した内容のものを削除するのにも問題があるのでしょうか。

主観では(隠れ?)左派思想のフリードマンをあたかもリバタリアンのように扱いたがるのは左派によく見られる傾向だと考えています。 過去のコメントからは大和屋敷という人が色々難癖をつけてプロパガンダを目的に編集したがっているようにも見受けられますが。 コメントからも分かるようにフリードマンが「自由主義」ということを強調したいようです。 私は「自由主義」などという語句に執着も拘りもありませんし、そういう何にでも定義できるような曖昧な語句は イデオロギーのテーマの本筋にするのは不適切だと考えていますが、大和屋敷さんは私が「フリードマンが自由主義者と表記していることに対して異を唱えている」と勘違いしたコメントをされています。--似非リバ一掃会話2012年12月23日 (日) 00:49 (UTC)返信

フリードマンは金融規制論者なのは有名ですが、 「あらゆる規制は排除されるべきだと考えた」という記述は ガイドラインの「嘘をつかない」に反するレベルではないでしょうか。


また大和屋敷という人は上の投稿にもあるように、(私も同様の印象を受けますが)議論を全くしようとしないで気に食わない編集を見つけ次第削除している様です。ガイドラインの同意形成における説明責任を全く果たしていません。

>利用者は自身の編集について他の利用者に対し、説明責任を果たすことが望まれています。

また中立的な観点に >意見を事実として記さない。 とありますが

フリードマンが金融規制を唱えたのは周知の事実ですが「あらゆる規制は排除されるべきだと考えた」というのは意見に過ぎません。 --似非リバ一掃会話2012年12月25日 (火) 04:51 (UTC)返信

池田信夫がどうたらとか思想の項目で書いてますが、率直に言って池田信夫はそれほどにまで評価されている経済学者なんですかね。とてもそうは想えないのですが。権威一点張りで押すつもりもありませんが、それにしたって彼からの視点ばかりで書かれるのはまずい気がします。--182.165.171.59 2013年9月16日 (月) 09:52 (UTC)返信

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