ノート:ボランティア
ここは記事「ボランティア」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
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編集ボランティア休暇について、補足・訂正があればしかるべき処理をお願いします。
「活動の始まり」について
編集これは実際に、投稿者が実際に活動した内容であり、NGO団体、外務省、NHK番組(ミッドナイトジャーナル)等で 検証可能です。--Cookie2007 2007年9月25日 (火) 05:21 (UTC)
2007/01/14 11:40書き込みの一部削除の説明
編集投稿の要約の文字制限を忘れていました。そこで、説明をここに記述しておきたいと考えます。当の加筆された記事は、日本におけるボランティアの地位の問題というより、むしろ単に宗教的な問題であります。また、"天国に行けるという「事実」"という記述は宗教的であり中立的な記述とはいえません。さらに、"私たちもそういった面〜"という記述は、どういう面なのかが明確ではありません。そして、筆者の主観的な意見であり、必ずしも中立的な記事とは言えない。--210.156.40.65 2007年1月18日 (木) 03:39 (UTC)
定義に付いて
編集語の定義が冗長になっているのではありませんか。見直しをはかり、項目への移行を行いますが、御意見のあるかたはこちらまで。--Seihonda 2007年3月27日 (火) 22:34 (UTC)
外部リンク
編集wikipedia:外部リンクの選び方に照らして見たところ残すべきものは一つもないと判断して全削除しました。本記事は、ボランティア団体の記事ではないので団体へのリンクは的はずれです。「ボランティア」という用語の理解を助けるようなリンクを選んでください。--fromm 2007年4月13日 (金) 16:54 (UTC)
日本ローカルの意味合いについて
編集日本独自の意味としてただ働き=ボランティアというのがあるようですが、ウィキペディアは日本版=日本ローカル意味版ではないので、日本独自の意味はちゃんと区別すべきでしょう。--マルコヴィッチ 2007年8月26日 (日) 16:47 (UTC)
- 残念ながら、マルコヴィッチさんの考えにはあまり賛同できません。もちろん、北米でのボランティアは必ずしも無償奉仕ではないことには同意します。私自身、日本に来てボランティア活動に参加しようとしたときに、単なる「ただ働き」を当てにした運営者を見てがっかりした経験があります。
- しかし、日本語での記事が書かれときは事情が異なります。日本語としての定着性のある内容が書かれるべきであり、マルコヴィッチさんが行なわれた編集のように、米国などのグローバルな意味に会わせる必要は無いと思います。たとえば、英語にhonchoという単語があります。日本語の班長から派生した言葉なのですが、英語での意味は「偉い人」とか「上役」であり、「班長」ではありません。だからといって、誰かがそれは間違っている、と言っても英語話者は受け入れないでしょう。既に英単語の一つとして定着した意味だからです。
- このボランティアの記事でも、同じことが言えると思います。主体的には日本語として定着した意味が書かれるべきでしょう。そのうえで、日本語としては馴染みの薄い、海外事情も紹介する形式をとるのがいいのではと思います。--eveningmist 2007年11月16日 (金) 17:26 (UTC)
- どっちかっつーと、マルコヴィッチさんの意見に近いというのを表明しとく。しかしえーと、日本独自の意味としての「ヴォランティア=ただ働き」には異論があります(ややこしくて済まんね)。
- 日本独自の意味としては、おれの実感では2つ。倫理的に厳しい方向で「ヴォランティア=金を受け取ってはいけない」、倫理的に甘い方向で「ヴォランティア=どうせ金はもらえないんだからテキトーでいいのよ」、という対立する2つの方向があるように思います。並立しているわけじゃなくて、「ある個人が、どちらかの意味を信奉していて、もともとのヴォランティアの定義やら異なる意見やらに対して敵対的にあたる」ということ。個別具体的に、対立図式はそれなりにややこしいものになっています。
- 前者の「金を受け取ってはいけない」という説に立つひとからは、薄謝進呈だの実費補償だの食事提供だのが集中砲火を浴びたりします。後者の「テキトーでいいのよ」という説に立つ人からは、クォリティを求められた場合(ってゆーか、「もっと真面目にやってほしい」みたいな要求があったときとか)に「ヴォランティアしてやってるだけでありがたいと思えバカヤロー」みたいなリアクションがあったりします。不思議なのは、実際にヴォランティアをやるひとから前者の意見が出ることは少なく、実際にヴォランティアをやらない外野から後者の意見が出ることは少ない、ってあたりでしょうか。ん。別に不思議じゃねーか。単に「自分に甘く他人に厳しい」という人間の性が別の様式で表出してるだけだしな(=^_^;=)。
- おれは現場レベルでそこらへんの説明に苦しんだあげく、「ヴォランティアというのは、労働力の寄付である」という説明を思いつき、基本的にそれを使ってます。ま、Wikipediaに書いたら「猫♪POV」とか言われかねないので、書いてませんけどね。「労働力の寄付」と定義するのならば、前者に対しては「労働力にみあった正当な賃金と、実際に受け取る利益(賃金・交通費・食事など)との差が、ヴォランティアなのである」という説明ができます。後者に対しては、「質の悪い労働はヴォランティアたり得ない」という説明ができます。どうだまいったか。ん、誰も参らねーか(=^_^;=)。
- いずれにせよなんだね。複数方向の「誤解」があるネタなんで、単一の方向を眺めて問題解決を目指してもだめ。別方向で傷口広げちゃうから。両方を視野に入れた上で、うまい解決策を考えてください。--Nekosuki600 2007年11月16日 (金) 18:07 (UTC)
外部リンクについて
編集この差分にてS.S.Exp.Hashimoto氏の編集を取り消しました。
えーとですね。「Wikipediaは宣伝のためのメディアではない」というS.S.Exp.Hashimotoさんの主張は、わからんではありません。無秩序に自称ヴォランティア団体のURLが外部リンクに付け加えられるようならば、それはそれで困ったことだとおれも認識します。しかしですね。
ヴォランティアというのは、ヴォランティアなんであって、行政組織を含む「公的組織」によって組織されるものではないし、しばしば公的組織とヴォランティア組織は対立するという図式もあります(協力関係という図式も珍しくはありませんが)。これはまあおれのPOVだから強弁はしませんが、「ヴォランティアという項目の外部リンクとして公的組織のものだけは許す」という発想は、ヴォランティアというものに関する決定的な無理解があるような気がしてなりません。それは、違うだろうと。
もちろん、だからといって「自称であろうともヴォランティア組織ならばどこのURLの掲載も許す」っていう話はありません。しかし逆に「一切URLを記すべきではない」ってのも無用に潔癖症であるような気がする。
おれとしては、ある程度弾力的かつユーザの相互監視の中で穏やかにやっていけばいいような気がします。少なくとも「公的組織のヴォランティア関連組織についてはURLの掲載を認めるが、それ以外はだめ」といった基準には同意できません。それは、おそらくとても無自覚なレベルで、ものすごくバイアスがかかった基準なのではないんだろうかということを、指摘しておきたい。--Nekosuki600 2009年7月17日 (金) 15:21 (UTC)
- コメント IP:116.254.36.28(会話 / 投稿記録)氏によって明らかにボランティアが主題ではないサイトへのリンクが追加されたので、これを機にリンクを削ろうと思った次第です。確かに公的かどうかで区別するのは乱暴かもしれませんが、そうでもしないと際限なくなると思います。まあ、構成人数が数人とかのそこらじゅうにありそうな団体だったり、特筆性もなく、ボランティア活動がほかのメインの活動の従となっているサイトへのリンクは容赦なく削るべきでしょう。--準特橋本(Talk/Contribs) 2009年7月17日 (金) 15:33 (UTC)
- いらんリンクの追加に苛立ったのはわかるのだが、だからってその整理のために「公的機関かどうか」なんていう基準を持ち込むのは決定的に間違っているぞ、とおれは言ってるのよ。そのIPユーザが持ち込んできた外部リンクが邪魔だと思ったらそれをさくさく削除すりゃいいんで。
- 時として公的機関の価値判断と抜き差しならぬ対立をする「ヴォランティア」という項目の外部リンクにそんな価値判断を持ち込むのって、「ゴキブリを退治するために家にガソリンをまいて焼き払う」みたいな暴挙だと思うんすよね。--Nekosuki600 2009年7月17日 (金) 15:46 (UTC)
公的機関も不要かと思います。団体系サイトは団体内部の紹介に留まっていることがほとんどで、ボランティアの語源・歴史など記事内容を補完するものがありません。もし、そういうのがあれば、トップページへのリンクではなく直リンで貼ってください。--fromm 2010年1月6日 (水) 01:46 (UTC)
乙武洋匡氏のコメントについて
編集>乙武洋匡は阪神大震災でのボランティアについて「助けに来てくれて一番ありがたいと思ったのは、自衛隊の人たち。 一番迷惑で邪魔だったのは、自称ボランティアの人たち。
>こちらが必要とする事はできず、逆に残り少ない食品や飲料水をコンビニで消費していく始末」と述べた。
とあります。これでは乙武洋匡氏本人が実際に被災して、述べたように捉えられてしまいます。
実際には、他の当事者の書込を本人が引用しただけです。以下がその詳細です。
https://www.excite.co.jp/News/net_clm/20110313/Rocketnews24_80211.html
乙武氏が伝聞を引用しただけですので、記事に載せることとしては不適切と思います。
削除もしくは修正が必要だと思います。
——以上の署名の無いコメントは、Kamisutan(ノート・履歴)さんが 2018-07-11T14:02:50 に投稿したものです。
- 賛成です。特定の個人の伝聞だけが、忽然と事典に登場してくるなんて、事典とは思えません。--ToshiJapon(会話) 2018年8月23日 (木) 18:31 (UTC)
「ボランティアとは、自らの意志により参加した志願兵のこと。」というのみの定義付けに疑義あり、ソースを明示すべきでは
編集現代の世界で、志願「兵」だけがボランティアだと思って使用している人が多数を占めるのだろうか?はなはだ疑問だ。「自主的に無償で社会活動などに参加し、奉仕活動をする人のこと」という意味はないのだろうか?私個人に限っては、後者の意味だと解釈していたが、自らの意志で参加した兵隊だとは思っていなかったので、青天の霹靂である。--ToshiJapon(会話) 2018年8月18日 (土) 12:24 (UTC)
- 取り急ぎネットを調べて直しました。活字文献を調べればもっと詳細にできると思います。--切干大根(会話) 2018年8月22日 (水) 13:47 (UTC)
- 返信 とても納得のいく、すっきりした定義で、まともな「事典」になったような気がします。大変ありがとうございます。本文ページに定義し直されたような意味だと常々思っていたので、初めてWikioediaの「ボランティア」を読んだときは、大変びっくりしました。また、そういう出展があるということも明示していただき、大助かりです。--ToshiJapon(会話) 2018年8月22日 (水) 13:58 (UTC)
「ボランティア活動」という表記に違和感あり
編集ボランティアを仮に「志願兵」とするならば「志願兵活動」という字面の意味は何か?、ボランテイアが事物や事柄を示す語義であれば、ボランティア活動と表記しても違和感はないが、ボランティアそのものが「活動する人」という意味なのに、活動家活動とわざわざ二重に表現することに統一性が感じられない。ボランティア活動家という表記もWikipediaに見られるが、ボランティアという「人」の活動をする「人」では、二重表現である。--ToshiJapon(会話) 2018年8月18日 (土) 12:36 (UTC)
- 「ボランティア活動」は一般的に使われている語のようです(厚生労働省 ボランティア活動)。本来の意味そっちのけで、分かりやすさ・伝わりやすさのために使われているのでしょう。そういう言葉はゴマンとあります(重言)。--切干大根(会話) 2018年8月22日 (水) 13:47 (UTC)
- 返信 素早い対応で、しかも大変参考になりました。ありがとうございます。--ToshiJapon(会話) 2018年8月22日 (水) 14:00 (UTC)