ニック・カール
ニコラス・アルバート・"ニック"・カール(Nicholas Alberto "Nick" Carle, 1981年11月23日 - )は、オーストラリア・シドニー出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。
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クリスタル・パレス時代(2008年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ニコラス・アルバート・カール Nicholas Alberto Carle | |||||
カタカナ | ニック・カール | |||||
ラテン文字 | Nick CARLE | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
オーストラリア チリ | |||||
生年月日 | 1981年11月23日(43歳) | |||||
出身地 | シドニー | |||||
身長 | 174cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (OMF) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
– | ブラックタウン | |||||
– | シドニー・O | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1997-2002 | シドニー・O | 86 | (12) | |||
1997-2002 | トロワ | 5 | (0) | |||
2003-2005 | マーコーニ | 25 | (6) | |||
2005-2007 | ニューカッスル・J | 45 | (7) | |||
2007-2008 | ゲンチレルビルリイ | 14 | (1) | |||
2008 | ブリストル・C | 17 | (0) | |||
2008-2010 | クリスタル・パレス | 59 | (4) | |||
2010-2015 | シドニーFC | 63 | (8) | |||
2012-2013 | → バニーヤース (loan) | 21 | (2) | |||
代表歴2 | ||||||
1997 | オーストラリア U-17 | 5 | (7) | |||
1998-2001 | オーストラリア U-20 | 16 | (9) | |||
1998-2004 | オーストラリア U-23 | 16 | (2) | |||
2004-2012 | オーストラリア | 13 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2016- | シドニーFC(アカデミーコーチ) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年4月16日現在。 2. 2012年12月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集クラブ
編集初期
編集少年時代はフットサル選手としてプレーし、5つのタイトルを獲得するなど活躍。10代でサッカーに転向し、学校のクラブチームに所属。1996年にビル・ターナーカップで優勝した。
1997年10月5日、15歳の時にシドニー・オリンピックFCでNSLデビュー。このマーコーニ・スタリオンズFC戦では、75分から出場するとアディショナルタイムにゴールを決め勝利に貢献した[1]。フランスのトロワACに短期間在籍した後、母国に戻りマーコーニ・スタリオンズと契約を結んだ。
ニューカッスル・ジェッツ
編集2005年、新たに創設されたAリーグに参加するニューカッスル・ユナイテッド・ジェッツFCへ加入。ここで在籍した2シーズンを攻撃的MFとしてプレーし、ファンから人気を博した。
2006-07シーズンのパフォーマンスが評価されたカールは、優勝チームのメルボルン・ヴィクトリーFCから選出されたダニエル・オールソップ、アーチー・トンプソン, ケヴィン・マスカットを押しのけ、レギュラーシーズン最優秀選手に与えられるジョニー・ウォーレン・メダルを2007年2月に受賞[2]。さらに、第10節のアデレード・ユナイテッドFC戦で相手が70メートルを駆け抜け、20メートルものアウトサイドから左足で決めた決勝ゴール(ちなみに、この数秒前にアデレードはPKを獲得するも失敗していた)が年間最優秀ゴールに選ばれた。また、マスカットを1票差で破り、母国のサッカーサイトが選ぶ最優秀選手にも選ばれた[3]。
国外
編集2007年、当初はフェネルバフチェSKが興味を示していたが、最終的にオーストラリア代表で同僚のヨシップ・スココがかつて在籍していたスュペル・リグのゲンチレルビルリイSKへ移籍金65万ドル・3年契約で加入[4] するも家族がトルコでの生活に馴染めなかったため[5][6]、1年も経たずに退団した。
2008年1月初旬、国際親善試合のナイジェリア戦でのプレーが評価され[7]、移籍金80万ドル・3年半契約でフットボールリーグ・チャンピオンシップのブリストル・シティFCへ移籍[8]。同年にチームはプレーオフ決勝の舞台ウェンブリー・スタジアムに駒を進め、カールも先発出場したが、ハル・シティAFCに0-1で敗れ惜しくも昇格を逃した[9]。
アシュトン・ゲート・スタジアムでの滞在は半年未満と短く終わったものの、ウィガン・アスレティックFCへ去ったベン・ワトソンの後釜としてクリスタル・パレスFCと移籍金100万ポンド・4年契約を結んだ[10]。ニール・ウォーノックの下で移籍初年度はレギュラーとしてプレーしていたが、翌シーズンになるとベンチ暮らしが増えていき、監督がポール・ハートに交代してもその状況は変わらずにいた。2010年5月、引退したスティーヴ・コリカの後釜を探していた母国のシドニーFCがオファー。まだ、2年契約が残っていたものの、チームは放出を決定した[11]。
シドニーFC
編集2010年5月、カールは移籍金195万オーストラリア・ドルでシドニーFCと3年契約を結んだ[12]。移籍初年度は怪我に苦しみ、チームは下から3番目で終わるなど厳しいシーズンを過ごした。2011-12シーズン、2011年10月12日のアデレード戦で勝利を決定づけるゴールを決めるなど、前年に比べはるかに良いパフォーマンスを披露した。
- UAEへローン
2012-13シーズン開幕前にUAEのバニーヤースSCへ1年の期間で貸し出された[13]。バニーヤースが買い取らない限り、2013-14シーズンに復帰する契約になっている。
- 現役引退
2014-15シーズン終了を以てクラブを退団し、2016年7月に現役を引退[14]。半年間膝の負傷と闘った末の表明であった。引退後はクラブに戻り、アカデミー部門のコーチングスタッフとなることも併せて発表された。
代表
編集U-17でキャリアを開始すると、U-20の時に2001 FIFAワールドユース選手権に出場した。また、U-23でもプレーしたがアテネオリンピックのメンバーには選ばれなかった。
2004年、ベネズエラ戦で84分にデイヴィッド・ズドリリッチに代わり出場し、A代表デビューをした。しかし、この試合以降はフランク・ファリーナ監督に呼ばれることはなく、フース・ヒディンクに交代しても同様だった。2006 FIFAワールドカップ後にグラハム・アーノルドが就任すると、2006-07シーズンのパフォーマスが認められ久しぶりに招集され、2007年3月の中国戦で途中出場し、3年ぶりにピッチに立った。また、同年6月のウルグアイ戦も出場した。
アーノルド監督にAFCアジアカップ2007のメンバーに選ばれると、グループリーグの出番はなかったものの、ベスト8の日本戦で後半から出場。PK戦ではキッカーを務め役目を果たすもチームは敗退した。
2007年11月18日、ロンドンのクレイヴン・コテージで行われたナイジェリア戦で初先発し、デヴィッド・カーニーと共に出色の出来だった[15]。ピム・ファーベークが監督に就任すると出場機会は限られ、2010 FIFAワールドカップの最初の30人のリストには掲載されたが、最終的にメンバーから漏れた[16]。
タイトル
編集- ジョニー・ウォーレン・メダル : 2006-07
- Aリーグ最優秀ゴール賞 : 2006-07
脚注
編集- ^ The Forgotten Man
- ^ Carle trumps Victory trio
- ^ "Nick Carle Takes Out The Arok!"
- ^ It's Genclerbirligi for Carle
- ^ Bristol City next port of call for Carle
- ^ Carle in nick of time for Bristol
- ^ Carle set for Bristol City move
- ^ Con's free advice to league: follow us
- ^ Bristol City 0-1 Hull
- ^ Aussie Carle joins Crystal Palace
- ^ Crystal Palace midfielder Nick Carle to join Sydney FC
- ^ Sydney FC snare snubbed Socceroo Nicky Carle
- ^ Official: Sydney FC midfielder Nick Carle departs on season-long loan to Baniyas
- ^ “Former Sky Blue Retires And Returns To Sydney FC”. Sydney FC. 2017年4月16日閲覧。
- ^ "Carney special stuns Nigeria"
- ^ Caution, not creativity, wins out in the end