ニコライ・カシュキン
ロシアの音楽評論家
ニコライ・ドミトリエヴィチ・カシュキン(ロシア語: Николай Дмитриевич Кашкин[注 1] 1839年11月27日(ユリウス暦 12月9日) - 1920年3月15日)は、ロシアの音楽評論家。モスクワ音楽院で通算33年間(1866年-1896年と1905年-1908年)にわたりピアノと音楽理論の教授を務めた[1]。
生涯
編集ヴォロネジの本屋の息子に生まれ音楽に関しては独学であったが、13歳になる頃にはピアノをひとに教えるようになっていた。1860年にモスクワへと赴き、アレクサンドル・デュビュークの下でさらにピアノの研鑽を積んだ。この地でゲルマン・ラローシ、ニコライ・ルビンシテイン、そしてピョートル・チャイコフスキーと出会っている[2]。
時に「ニコライ・ドミトリエフ」(Николай Дмитриев)という筆名を用いつつ、専ら「Русские ведомости」や「Московские ведомости」に音楽評論を寄稿した[1]。評論家としてのカシュキンはチャイコフスキーの音楽の普及に貴重な役割を果たした[3]。チャイコフスキーの交響曲第2番に『小ロシア』という通称を与えたのは他ならぬカシュキンである。チャイコフスキーは彼に歌曲「おお、友よ語るな」 作品6-2(1869年)を献呈している[1]。
チャイコフスキーの死から3年後には彼の回想録を出版している。
脚注
編集注釈
- ^ ラテン文字転写の例: Nikolay Dmitriyevich Kashkin。
出典
参考文献
編集- Brown, David, Tchaikovsky: The Early Years, 1840-1874 (New York: W. W. Norton & Company, Inc., 1978)