ナポレオン14世
ジェロルド・ローレンス・“ジェリー”・サミュエルズ(Jerrold Laurence "Jerry" Samuels、1938年5月3日 - 2023年3月10日)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、タレント・エージェントである[1]。ナポレオン14世(Napoleon XIV)の名前で1966年に発表したコミックソング『狂ったナポレオン、ヒヒ、ハハ・・・・・・』(They're Coming to Take Me Away, Ha-Haaa!)が全米チャートで第3位を記録し、一発屋とみなされている[1]。
ナポレオン14世 | |
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![]() ナポレオン14世(1966年) | |
基本情報 | |
原語名 | Napoleon XIV |
出生名 | Jerrold Laurence Samuels |
別名 | Jerry Samuels |
生誕 |
1938年5月3日![]() |
死没 |
2023年3月10日 (84歳没)![]() |
ジャンル | コメディ音楽、コミックソング |
職業 |
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担当楽器 | 歌手 |
活動期間 | 1956 - 2021年 |
レーベル | ワーナー、ニードルジュース |
生涯
編集若年期と初期のキャリア
編集サミュエルズは1938年5月3日にニューヨーク・マンハッタンで生まれ、ブロンクスで育った[2]。子供のころからピアノを弾いて作曲をしており、1956年には自作自演の"Puppy Love"がヴィック・レコード(RCAビクター・レコードの子会社)から発売された[2][3]。
サミュエルズは1960年代初頭にソングライターとして活動した。自身の息子の名前から取ったスコット・デヴィッドの名義で、作詞家のラリー・クーシックとともに"As If I Didn't Know"を制作し、アダム・ウェイドが歌ったものが1961年にトップ10入りした。また、1964年にサミー・デイヴィスJr.のために制作した"The Shelter of Your Arms"はトップ20に入った。
ナポレオン14世
編集1966年、ニューヨークのアソシエイテッド・レコーディング・スタジオでレコーディング・エンジニアとして働いていたときに、『狂ったナポレオン、ヒヒ、ハハ・・・・・・』(They're Coming to Take Me Away, Ha-Haaa!)というコミックソングを制作し、「ナポレオン14世」(Napoleon XIV)の名前で発表した。この楽曲はチャートを急上昇し、発売から3週目でBillboard Hot 100のトップ10に入り、最高で3位となった。100万枚以上の売上げを記録し、ゴールドディスクに認定された[4]。『キャッシュボックス』誌のトップ100では、チャート登場2週目で1位となった。WABCのブルース・モローが、ナポレオン14世の正体がサミュエルズであることを明らかにした。
この楽曲の成功により、ワーナー・ブラザースは1966年に同名のアルバムを発売した。同曲を表題曲とするが、その他の楽曲の大半は"Bats in My Belfry"(鐘楼のこうもり)や"I Live in a Split Level Head"(スプリット・レベル・ヘッド)など精神疾患をテーマとしたものだった。後者の曲は、ステレオの左右で違う楽曲を流したものだった[1]。このアルバムから2曲選んでシングルカットしたが、ほとんど注目されなかった。ナポレオン14世のマネージャーはレナード・ストーゲルだった。その後もサミュエルズは、時折「ナポレオン14世」のキャラクターで、狂気をテーマにしたコミックソングを発表していた。
ドクター・デメントのラジオ番組では、ナポレオン14世の楽曲がよく使われていた。
晩年
編集晩年のサミュエルズは、歌手として活動するほか、デラウェア・バレーの様々なパフォーマーをブッキングするタレント・エージェントとしても活動した[2]。1984年にジェリー・サミュエルズ・エージェンシーを設立し、後に2番目の妻ボビーと共に運営した。2021年に歌手とタレント・エージェント業を引退した[2]。
2022年2月にニードルジュース・レコードが「50年前のアルバム」をリリースすると発表し[5]、翌年にはそれがサミュエルズの2枚目のアルバム"For God's Sake, Stop the Feces!"であることが発表された[6]。このアルバムは、1968年4月から1970年12月にかけて録音された楽曲を収録したものだった。しかし、ワーナー・ブラザースは、その不気味な内容からこのアルバムの発売を拒絶した。特に、性的暴行を生々しく描写した8曲目の"Rape"と、自殺を志願する男性が遺書を書く様子を描いた14曲目の"The Note"が問題視された。このアルバムは、サミュエルズの死の1か月後の2023年4月20日にリリースされた。
私生活と死去
編集サミュエルズは生涯に2度結婚している。最初の妻ローズマリー・ジブレ(Rosemary Djivre)と1968年に離婚し、1996年にボビー・サイモン(Bobbie Simon)と結婚して死ぬまで添い遂げた。また、1973年から1987年までペトラ・ヴェスターズ(Petra Vesters)と交際していた。ローズマリーとの間に息子のスコット、ペトラとの間に息子のジェイソンがおり、4人の孫と3人のひ孫がいる。他にエリックという息子がいたが、1991年に死去した[2]。
サミュエルズは長年フィラデルフィアのオックスフォード・サークルに住んでいたが、引退後はペンシルベニア州キング・オブ・プラシャの介護施設に移った[2][7]。
サミュエルズは2023年3月10日にペンシルベニア州フェニックスビルの病院でパーキンソン病の合併症により死去した。84歳だった[2][7]。
ディスコグラフィ
編集スタジオアルバム
編集- They're Coming to Take Me Away, Ha-Haaa! (1966)
- For God's Sake, Stop the Feces! (2023)
コンピレーションアルバム
編集- The Second Coming (1996)
シングル
編集- "They're Coming to Take Me Away, Ha-Haaa!" / "!aaaH-aH ,yawA eM ekaT oT gnimoC er'yehT" Warner Bros. (1966)
- "I'm in Love with My Little Red Tricycle" / "Doin' The Napoleon" Warner Bros. (1966)
- "They're Coming to Take Me Away, Ha-Haa!" / "!aaH-aH ,yawA eM ekaT ot gnimoC er'yehT" Warner Bros. (1973 reissue)
- "They're Coming to Take Me Away, Ha-Haa!" (1966 recording) / "They're Coming to Get Me Again, Ha-Haaa!" (1990; recorded in 1988)
- "They're Coming to Take Me Away, Ha-Haaa!" / "Photogenic, Schizophrenic You" Eric Records (1970s)
脚注
編集- ^ a b c Colin Larkin, ed (1997). The Virgin Encyclopedia of Popular Music (Concise ed.). Virgin Books. p. 889. ISBN 1-85227-745-9
- ^ a b c d e f g Genzlinger, Neil (2023年3月19日). “Jerry Samuels, 84, Songwriter Who Recorded a Strange and Successful Hit”. The New York Times: p. A26 2023年3月24日閲覧。
- ^ “The Billboard - Reviews of New Pop Records”. Billboard: 52. (March 31, 1956) 2015年8月19日閲覧。.
- ^ Murrells, Joseph (1978). The Book of Golden Discs (2nd ed.). London: Barrie and Jenkins Ltd. pp. 208–209. ISBN 0-214-20512-6
- ^ https://twitter.com/needlejuicerec/status/1494508018251223043 [名無しリンク]
- ^ https://twitter.com/needlejuicerec/status/1627056159478910978 [名無しリンク]
- ^ a b File, Nate (2023年3月11日). “Jerry Samuels, the Northeast Philly artist behind the 1966 hit novelty song 'They're Coming to Take Me Away, Ha-Haaa!,' has died at 84”. The Philadelphia Inquirer 2023年3月25日閲覧。