ナショナル・ロマンティシズム

ナショナリズムの一種

ナショナル・ロマンティシズム (英語: national romanticism) は、民族的ロマン主義または国民的ロマン主義とも訳され[注釈 1]ヨーロッパの18~19世紀の文学や政治におけるロマン主義を起源とし、美術[1]や音楽、建築[2][3][4]など、広範囲の芸術領域に波及した潮流[5][7]

フランス人が1830年の革命に寄せたロマン主義の解釈。画家ウジェーヌ・ドラクロワ自身、民衆の代表に選出された。『民衆を導く自由の女神』
国家間の協定(フレデリック・ソリュー作の版画、1848年(全世界の民主社会共和国の夢=Dream of Worldwide Democratic and Social Republics)
『Brudeferd i Hardanger』(ハルダンゲル英語版の花嫁行列)ノルウェーのナショナル・ロマンティシズムの記念碑的な作品。Hans GudeAdolph Tidemand の共作。

芸術におけるナショナル・ロマンティシズムは、汎ヨーロッパ的な意味合いを持つ古典主義に対する、民族や国民国家などのアイデンティティを意識したローカリズムの主張と模索であったとひとまず考えることができる[8]

したがって、イギリス・フランス・イタリアといったヨーロッパ文化の中心をなす国よりも、北欧[11][12][13]・東欧[14][15]・南欧(特にスペイン)などの周辺的な存在の国や地域により強く出現する傾向にあった。

ヨーロッパにおけるロマンティック・ナショナリズムは、大陸に革命の機運が広がり1848年革命へと結実した1848年[要出典]が起源と考えられる。国粋主義(ナショナリズム)を掲げる革命が各地で勃発し(イタリアなど)、あるいは多国籍国家(オーストリア帝国など)も生まれた。当初、革命は反動勢力に屈し、すぐに古い秩序が復活したが、数々の革命がヨーロッパの多くの地域で第一歩を踏み出し、自由化と近代的な国民国家の形成へ進み始める。

対象となる要素には言語、人種、民族、文化、宗教、また慣習として原始的な国家の定義「その文化の中で生まれた人々」などが含まれる。これは民族ナショナリズム(英語: ethnic nationalism)だけでなく市民ナショナリズム(英語: civic nationalism)にも適用できる。ロマン主義的ナショナリズムは、王朝または帝国の覇権の対局であり、上層に置いた君主その他の権威から発して下層まで国家を評価し、その存在を正当化した。このような上下の力は、突き詰めるとから派生するとも考えられる[16][17]

政治的には国民国家[注釈 2]ファシズムなどの形成に影響を与えた。

美術

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『サンポの防衛』英語版 アクセリ・ガッレン=カッレラ

1870年代を過ぎると、いわゆる「ナショナル・ロマンティシズム」は美術全般で目にするようになった。ロマン主義的な音楽におけるナショナリズムの代表としてベドルジハ・スメタナの楽曲、わけても交響詩「ヴルタヴァ」("Vltava")がある。スカンジナビアやヨーロッパのスラブ地域では特に19世紀、文化として意義があり刺激的ではあるが単なる歴史に固執しない様式を追い求め、「ナショナル・ロマンティシズム」はその一連の答えを提供した。サンクトペテルブルクでは、ロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺の現場に「血の上の救世主教会」(図参照)を建てたとき、ロシアの特徴を最もよく表す伝統的な様式がおのずから選ばれた。

当時、世界でアールヌーボー様式が流行していた点、フィンランドでは誰もが知る叙事詩カレワラの再構成が進み、国民ロマン主義様式の絵画や壁画がその影響に染まっていく。アクセリ・ガッレン=カッレラはこの様式を最も推し進めた(右下の図)。

20世紀の幕開けとともに進歩的で自由主義を守るには、民族自決が前提となっていく。ロマン主義を支持する民族主義運動は国民国家を求め、フィンランドとエストニアラトビアリトアニアは分離独立を探り始める。バイエルン王国ドイツ帝国とは別個の国家として保たれ、民族主義を掲げるチェコセルビアは帝国政府の悩みの種であった。

芸術は、国民に馴染みのある叙事詩や歌謡を発想の源として花開き、たとえばユダヤ人のシオニスト運動ヘブライ語が再び広く通じる時代を開いて、「約束の地」への移民を率い始める。やはり古来の言語であったウェールズ語[19]アイルランド語[20]も、その言葉でつむぐ詩が復活する。

優位性や優越性の主張

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この時代には言語および文化に国民性を求め、それは人種という遺伝以前の概念に彩られていた。現在も使われる修辞的主張が2つ、「優位性」と「優越性」の主張が現れて強まっていく。前者の優位性とは不可侵の権利英語版であり、文化および人種に基づいて人々を定義し、自分たちの「中心の地」(ハートランド=英: Heart land)という鮮明な表現が生まれ、領地つまり祖国を主張する[21]。ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーは音楽の様式にも「ユダヤ人らしさ」を特定し、民族が異なると国民文化に内在する芸術および文化の意味を理解できないと言い切った[22][23]。その舌鋒はユダヤ人に向けられ、ドイツ文化に同化を望まないのだから、ドイツの音楽と言語の神秘を真に理解することは不可能であるとした。時には音楽が社会政治に刺激を与え、『ニーベルンゲンの歌』を「国民的叙事詩」と唱えた[24]

 
蛙の王女ヴィクトル・ヴァスネツォフ作、1918年

20世紀の政治的発展

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20世紀の最初の20年間、ロマン主義的ナショナリズムという思想は政治の出来事に決定的な影響を及ぼした。1873年恐慌の後、ドイツ帝国ではオットー・フォン・ビスマルクの治世に権威主義であり軍国主義の保守勢力が政治を抑え、反ユダヤ主義人種差別の新たな波が生じた。これと並行して19世紀後半のドイツでは世紀末美術が出現し[注釈 3]、ロマン主義的なナショナリズムから人種主義を帯びた民衆運動が派生した[25]

ヨーロッパ諸国間の国家主義的、帝国主義的な緊張は世紀末 の間に高まり、とうとう第一次世界大戦が勃発する。敗戦国ドイツが激動のドイツ革命を経る過程でヴェルサイユ条約の厳しい条件を突きつけられると、ヴァイマル共和政下のドイツでは「民族主義」運動({{lang-de-short|links=no|völkisch )が急速に過激化し、やがてアドルフ・ヒトラーが現れて「国家社会主義の基本思想は〔民族主義的〕であり、民族主義思想こそ国家社会主義である」と述べるに至った。

 
血の上の救世主教会、1883年–1907年(サンクトペテルブルク

関連項目

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国や地域の特徴

脚注

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注釈

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  1. ^ 英語圏の用語に national romanticism、organic nationalism、identity nationalism を含む。
  2. ^ バージェスは捕鯨と日本文化の分析にロマン主義的ナショナリズムを応用した[18]
  3. ^ ある程度は現代の芸術運動の象徴主義デカダン派アール・ヌーヴォーにも反映された。

出典

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  1. ^ 田中 佑実「立ち枯れの木が語るナショナル・アイデンティティ : フィンランドのナショナル・ロマンティシズムにおける風景画」『インターカルチュラル : 日本国際文化学会年報 』第18巻、日本国際文化学会 2003-2020、大津、102-116頁、ISSN 1348-5385CRID 1520009408354851328 掲載誌別題『Intercultural : annual review of the Japan Society for Intercultural Studies』
  2. ^ 倉前 信江、本田 昌昭「9276 デンマークにおけるナショナル・ロマンティシズム期および北欧新古典主義期の建築における造形手法について(西洋近代:19世紀-20世紀 (2), 建築歴史・意匠) 学術講演梗概集. F-2, 建築歴史・意匠」、日本建築学会、2008年7月20日、ISSN 1341-4542CRID 1571980077463374464 
  3. ^ 伊藤 大介「166 報告書『カレリア地方の建物と装飾形態』について : フィンランド建築におけるナショナル・ロマンティシズムの端緒(建築論・西洋建築)」『日本建築学会北海道支部研究報告集』第70号、日本建築学会、1997年3月24日、665-668頁、ISSN 1344-0705CRID 1570009752391928064 
  4. ^ 川島 洋一「アスプルンドの初期の活動について : グンナー・アスプルンドの建築に関する研究 その1」『日本建築学会計画系論文集』第62巻第499号、日本建築学会、1997年、207-214頁、doi:10.3130/aija.62.207_3ISSN 1340-4210CRID 1390282679759312896 
  5. ^ Leerssen, Joep (2013). “Notes towards a Definition of Romantic Nationalism”. Romantik: Journal for the Study of Romanticisms 2 (1): 9-25 (28). 
  6. ^ 中本 進一「A film analysis from perspectives of cultural studies: The Terminal〈論考〉」『国際交流センター紀要』第2巻、埼玉大学国際交流センター、2008年、23-36頁、ISSN 1881-6479CRID 1050564287773344896 掲載誌の別題『Journal of Center for International Exchange』。
  7. ^ 映像作品の分析[6]
  8. ^ 安福 恵美子、ヤスフク エミコ、YASUFUKU, Emiko「〈研究論文〉ツーリズムの社会的・文化的インパクト : ツーリストとホストの異文化接触を中心に」『異文化コミュニケーション研究』第12巻、神田外語大学グローバル・コミュニケーション研究所、千葉、2000年3月、97-112頁、ISSN 0915-3446 
  9. ^ 伊藤 大介「089 ヘルシンキ近郊クロサーリ地区 : フィンランド後期ナショナル・ロマンティシズムの住宅地計画(ヨーロッパ近代建築史、建築計画、都市計画、農村計画、住宅問題、建築歴史・意匠)」『日本建築学会北海道支部研究報告集』第66号、日本建築学会、1993年3月18日、353-356頁、ISSN 1344-0705CRID 1573105977067888896 
  10. ^ 伊藤 大介「151 ヘルシンキ近郊ムンキニエミ=ハーガ地区計画 : フィンランド後期ナショナル・ロマンティシズムの住宅地計画(住宅地形成)」『日本建築学会北海道支部研究報告集』第68号、日本建築学会、1995年3月18日、601-604頁、ISSN 1344-0705CRID 1572824502158708480 
  11. ^ フィンランドの例の考察[9][10]
  12. ^ スウェーデンの例川島 洋一「スウェーデンの近代的住宅像形成過程におけるカール・ラーション : 自邸の意義」『デザイン理論』第35巻、意匠学会、1996年11月8日、57-70頁、doi:10.18910/52865ISSN 0910-1578CRID 1390858518830692480 
  13. ^ 川島 洋一、Kawashima, Yoichi「スウェーデンの画家カール・ラーションとナショナル・ロマンティシズム : 画集『エット・ヘム』のテキスト分析を中心に」『井工業大学研究紀要』第30号、福井工業大学、2000年3月20日、21-30頁、CRID 1390296288051815424
  14. ^ Владимир Петрухин (2003). “дискуссии о евреях в древней Руси: Национальный романтизм и (キエフ大公国)”. "улыбка чеширского кота" [チェシャ猫の笑顔] Ab Imperio (Project MUSE) 2003 (4): 653-658. doi:10.1353/imp.2003.0004. ISSN 2164-9731. CRID 1362825895921052288. 
  15. ^ Kobayashi, Tomoyo「Architectural Education in Sweden from the late 19th to the early 20th century : National Romanticism and the Stipendieresa (Stipendiary Study Trip)」『The Journal of the Asian Conference of Design History and Theory』第1巻、Osaka University Graduate School of Letters、2016年3月、doi:10.18910/90882ISSN 2189-7166CRID 1390858752007937408  
  16. ^ Joseph Theodoor Leerssen; Anne Hilde van Baal; Jan Rock, eds. (2018). Encyclopedia of romantic nationalism in Europe. Amsterdam University Press.
  17. ^ Joep Leerssen (2013). “Notes toward a Definition of Romantic Nationalism”. Romantik: Journal for the study of Romanticisms 2.1: 9-35. https://tidsskrift.dk/rom/article/download/20191/17807. 
  18. ^ Burgess, Chris「"Killing the Practice of Whale Hunting is the same as Killing the Japanese People": The Importance of the Role of Identity, National Pride, and Nationalism in Understanding Japan's Resistance to International Pressure on the Issue of Whaling」『国際関係学研究』第42巻、2016年3月8日、1-13頁、ISSN 0389-052XCRID 1050564288194920064 
  19. ^ 片山 麻美子(大阪経済大学)「トマス・グレイと18世紀の古詩復活 : ウェールズの古詩収集に対する関心と貢献」科学研究費助成事業(2002年 - 2003年)日本学術振興会(JSPS)CRID 1040000781784326016
  20. ^ 佐藤 亨(青山学院大学)「北アイルランドの歴史・社会・文化とシェイマス・ヒーニーの詩の関連についての研究」科学研究費助成事業|(2003年 - 2005年)日本学術振興会(JSPS)CRID 1040282256786944640
  21. ^ 中辻柚珠「20世紀転換期プラハにおける芸術界とナショナリズム : マーネス造形芸術家協会を中心に」『史林』第104巻第6号、2021年11月、669-703頁、CRID 1390292472573949568doi:10.14989/shirin_104_6_669ISSN 0386-9369 
  22. ^ Wagner (1850) (ドイツ語). Das Judenthum in der Musik ワーグナー著『音楽におけるユダヤ教』(1850年)
  23. ^ Frank Piontek. Richard-Wagner-Verband Leipzig (Hrg.) [リヒャルト・ワーグナー協会ライプツィヒ 編]. ed (ドイツ語). Richard Wagners "Das Judenthum in der Musik" : Text, Kommentar und Wirkungsgeschichte. Sax-Verlag. 国立国会図書館書誌ID:1130282269193708416 
  24. ^ 山本 潤「オーストリアにおける「ドイツ国民叙事詩」研究―『ニーベルンゲンの歌』の「オーストリア性」」『日本独文学会研究叢書』第126号、2017年、10-26頁、CRID 1010282256817821062 
  25. ^ Poewe, Karla; Hexham, Irving (2009). “The Völkisch Modernist Beginnings of National Socialism: Its Intrusion into the Church and Its Antisemitic Consequence [民族近代主義として始まった国家社会主義:教会への侵入と反ユダヤ主義の結果]” (英語). Religion Compass 3 (4): 676-696. doi:10.1111/j.1749-8171.2009.00156.x. ISSN 1749-8171. 

関連項目

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