ナゴドバ法(ナゴドバほう、クロアチア語:nagodba)は、1868年ハンガリー王国クロアチアの間で締結された協定。オーストリア・ハンガリー二重帝国が解体される1918年まで継続された。「ナゴドバ」とはクロアチア語で“妥協”という意味である。

アウスグライヒ(ドイツ語で“妥協”の意味)の成立に伴って、ハンガリー・クロアチア関係も再構築を迫られた。その結果、クロアチアはハンガリー王国内でも大幅な自治が認められるようになった。

  • 軍事・財務管理などハンガリー側が管轄するものとハンガリー・クロアチア双方による共同業務、クロアチアが単独に行える自治業務に分け、クロアチアの歳入の45%は共同業務に、55%は自治業務に充てられる。
  • 共同業務・自治業務を遂行するためにハンガリー首相の推挙でハンガリー国王(=オーストリア皇帝)が任命する総督を長とするクロアチア自治政府を設置し、その下に内務、司法、宗教・教育の3局を設置する。
  • クロアチアに一院制の自治議会を設置する。
  • ハンガリー側はクロアチアを担当する無任所大臣を常設し、ハンガリー議会にてクロアチア代表の為に29名の定員を割り当てること。
  • オーストリア・ハンガリー間の共通業務に関する協議の際には、クロアチア代表5名をハンガリー代表団(定数60)に加えること。

などを合意とした。その後も表面的にはハンガリー議会のクロアチア枠の40名への増加や自治政府に国民経済局を設置(1914年)するなど自治の拡大が進められたが、実質面でのハンガリーによるクロアチア内部への介入が強まることとなった。

参考文献

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  • 月村太郎「ナゴドバ法」(『歴史学事典 9 法と秩序』(弘文堂、2002年) ISBN 978-4-335-21039-6