ナガチュNaγaču、納哈出、? - 1388年8月31日[1])は、元朝末期に中国東北地方に勢力を持っていた元の将軍。ジャライル部の出身。

元末に満洲を支配していたが、元が北走してからはモンゴル高原にある北元の本軍と連携してモンゴルの中国奪還を目指した。20万とも言われる大軍で南下の機を窺っていたが、天元9年(1387年)、兵糧不足により馮勝率いるの北伐軍に降伏した。

参考文献

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  • 白石典之『モンゴル帝国史の考古学的研究』同成社, 2002年2月
  • 白石典之『チンギス=カンの考古学』(世界の考古学 19) 同成社, 2001年1月
  • 杉山正明『モンゴル帝国の興亡〈下〉 世界経営の時代』 講談社現代新書, 1996年6月
  1. ^ 董倫 (中国語). 《明實錄‧太祖高皇帝實錄‧卷一百九十二》. pp. 第2891頁. "辛丑,海西侯納哈出卒。納哈出性嗜燒酒,飲常過度。當盛夏時,每以水沃身,因得疾。上命醫療之而愈,常戒其飲。至是,從征南將軍頴國公傅友德等往征雲南,飲酒如初,行至武昌,疾復作,卒於舟中。上聞而憫之,詔歸其柩于京師,葬都城南門外。"