ナウルにおけるリン鉱石の採掘
リン鉱石の発見と採掘の開始
編集1899年にニュージーランドの地質学者アルバート・エリスがリン鉱石の鉱床を発見する[1][注釈 1]。ドイツは採掘権をイギリス資本の太平洋燐鉱石会社(パシフィック・フォスフェート・カンパニー)に与え、1907年に採掘が開始された[2][3]。リン鉱石産業は近代化され、年間の採掘量は数十万トンになった[4]。しかし採掘のロイヤルティは1トンあたり8ペンス(1939年当時)にすぎず、利益にあずかることのできなかった島民は伝統的な生活にとどまっていた[5]。
採掘による繁栄とリン鉱石の枯渇
編集1960年代初頭、ナウル産のリン鉱石は1トンあたりおよそ40オーストラリア・ドルで取引されており、生産量は年間100万トン近くに達していた[6]。1968年にナウルが独立すると、ナウルはリン鉱石の採掘による収益を直接手にするようになった[7]。採掘事業は国営化され、ナウル政府は莫大な収入を得ることとなり[8]、1974年にはリン鉱石事業はナウルにおよそ4億5000万オーストラリア・ドルの収益をもたらした[9]。20世紀末にはリン鉱石が枯渇すると見られていたため、大統領を務めていたハマー・デロバートは枯渇後に備えて金利や事業収入を得ることを目的に利益の多くを投資に回した[8][10]。しかし放漫経営や詐欺被害、不正行為によって莫大な損失を出し続け投資のほとんどは失敗した[8][10]。リン鉱石の枯渇と資産の喪失により1990年代後半から経済は破綻状態となった[11]。
二次採掘の開始
編集21世紀に入ってからリン鉱石の輸出は100万オーストラリア・ドル以下に落ち込んでいたが、2次採掘(リン鉱石の二次層の採掘)が開始されたことで収入は増加基調にあり、2007年にはリン鉱石の輸出が2000万オーストラリア・ドルにまで回復している[11]。2次採掘は30年から40年行えると推測されている[12]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 34.
- ^ a b 田辺裕 2002, p. 535.
- ^ リュック・フォリエ 2011, pp. 36–37.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 41.
- ^ 田辺裕 2002, p. 536.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 52.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 54.
- ^ a b c 小川和美 2010, p. 406.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 62.
- ^ a b 柄木田康之 2017, p. 1308.
- ^ a b 小川和美 2010, p. 407.
- ^ リュック・フォリエ 2011, p. 184.
参考文献
編集- リュック・フォリエ 著、林昌宏 訳『ユートピアの崩壊 ナウル共和国』新泉社、2011年2月10日。ISBN 978-4-7877-1017-8。
- 柄木田康之 著「ナウル共和国」、竹内啓一編 編『世界地名大事典2 アジア・オセアニア・極II』朝倉書店、2017年11月20日。ISBN 978-4-254-16892-1。
- 田辺裕「ナウル」『世界地理大百科事典5 アジア・オセアニアII』朝倉書店、2002年3月10日。ISBN 4-254-16665-6。
- 小川和美「ナウル」『オセアニアを知る事典』(新版)平凡社、2010年5月19日。ISBN 978-4-582-12639-6。
関連項目
編集太平洋の離島におけるリン鉱山関連記事