ドン・レッツ(Don Letts、 (1956-01-10) 1956年1月10日(68歳) - )はイギリス映画監督ミュージシャン。ロキシー等のクラブDJとしてパンク・ロックレゲエを融合させた人物とされている[1]

ドン・レッツ
基本情報
出生名 ドン・レッツ
生誕 (1956-01-10) 1956年1月10日(68歳)
イングランドロンドン
ジャンル レゲエ
パンク
職業 ディスクジョッキー
映画プロデューサー
活動期間 1975年 -
共同作業者 1978 -スティール・レッグ・v・ジ・エレクトリック・ドレッド
1984 - ビッグ・オーディオ・ダイナマイト
公式サイト Don's BBC6 show

来歴

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イングランドロンドンに生誕。1975年にはロンドンの流行衣料品店“アクメ・アトラクションズ (Acme Attractions)”を経営した。そこでは鋼青色のズート・スーツやジュークボックスが売られ、ダブレゲエが一日中鳴り響いていた[2]。レッツは両親の出身地・ジャマイカからの音楽、特にボブ・マーリーの影響を強く受けていた。1976年6月のハマースミス・オデオンでのマーリーのギグを見た後、マーリーと語り明かし、友達になるためにホテルに忍び込むのに成功した[3]。1970年代半ば、アクメはザ・クラッシュセックス・ピストルズクリッシー・ハインドパティ・スミスデボラ・ハリー、そしてボブ・マーリー等を引き付ける状況を持っていた。

マーリー… 彼はアクメと同じようにブラック・マーケットで成功できることがわかっていたから来たんだ — ドン・レッツ[2]

アクメの盛況を見たアンディ・チェゾウスキはイングランドのパンク発生期のナイトクラブ「ロキシー」をロンドンで始めた。人々は店からレッツが最初のDJをつとめるパーティー会場へと移動できた。当時の数少ないバンドはまだレコーディングをしておらず、かけられるパンク・ロックのレコードは限られていた。そのかわりにレッツはダブ、レゲエのレコードを多くセットに取り入れ、これらをロンドン・パンク・シーンに紹介した。これはクラッシュや他のバンドに影響を与えた。この賛辞として彼の写真がアルバム『スーパー・ブラック・マーケット・クラッシュ』に使用された。彼はこの名声やDJ、アクメの収入により、最初の映画『ザ・パンク・ロック・ムーヴィー』を撮ることができた。この映画は初期イギリスパンク・ロックムーヴメントの証拠となっている。

レッツは店をやめスリッツのマネージメントをはじめた。彼はスリッツをザ・クラッシュのホワイト・ライオット・ツアーの前座に起用させることに成功した。このツアーの最中に彼はマネージメントには向いていないと気付いたが、『ザ・パンク・ロック・ムーヴィー』のための素材は撮り続けた[4]

レッツはピストルズが解散し、ジョニー・ロットンがマスコミを避けるためリチャード・ブランソンとジャマイカにシーン確認に行った時に、はじめてジャマイカを訪れた。この旅でブランソンはヴァージンに“フロントライン・レゲエ・レーベル”を立ち上げることを閃いた[2]

彼は俺が黒人でジャマイカの血が流れているからそうしたんだと思う。そう、何というかまあ、彼はうまくやったよ。俺がジャマイカについて知っていることといえば、ブリクストンのクラシック・シネマで見た『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』で得た知識くらいだ、ということは知らなかったようだけどな。 —  ドン・レッツ[2]

音楽

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1978年にEP『スティール・レッグ・v・ジ・エレクトリック・ドレッド』をキース・レヴィンジャー・ウォブル、スティール・レッグと録音。ミック・ジョーンズのザ・クラッシュ解雇後、彼とビッグ・オーディオ・ダイナマイトを1984年に結成。2007年4月1日現在、レッツはBBCラジオ6ミュージックで毎週土曜日23:00-00:00の番組を持っている。

書籍

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2006年に自伝を出版した。

  • ドン・レッツ; デヴィッド・ノバクート (2008) [2007-01-22]. Culture Clash: Dread Meets Punk Rockers (第3版 ed.). ロンドン: SAF Publishing. ISBN 0946719993 

映画

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最初の映画『ザ・パンク・ロック・ムーヴィー』(1978)から始まり、レッツは複数のバンドのドキュメンタリーやミュージック・ヴィデオに手を広げた。1997年になってはじめて、自身初の監督映画『ダンスホール・クイーン』撮影のため両親の出生地ジャマイカを訪れた[4]。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件が起きた時には、パンクの歴史映画の制作でニューヨークにいた[1]。彼の映画『ウェストウェイ・トゥ・ザ・ワールド』は2003年のグラミー賞を獲得した。

監督作品

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出典

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  1. ^ a b Matteo Sedazzari (2007年). “ドン・レッツ インタビュー” (HTML) (英語). peom. 2008年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月25日閲覧。
  2. ^ a b c d ドン・レッツ (Wednesday October 24, 2001). “'Dem crazy baldheads are my mates'” (HTML). ガーディアン. 2007年12月16日閲覧。
  3. ^ ドン・レッツ (2007年5月24日). “Don Letts: In his own words - Special to BobMarley.com” (HTML). pub. 2007年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月16日閲覧。
  4. ^ a b シャルロット・ロビンソン (2002年7月12日). “DON LETTS” (HTML). popmatters. 2007年12月16日閲覧。

外部リンク

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