ドラーケンブルク
紋章 | 地図 (郡の位置) |
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基本情報 | |
連邦州: | ニーダーザクセン州 |
郡: | ニーンブルク/ヴェーザー郡 |
ザムトゲマインデ: | ザムトゲマインデ・ヘームゼン |
緯度経度: | 北緯52度41分 東経09度12分 / 北緯52.683度 東経9.200度座標: 北緯52度41分 東経09度12分 / 北緯52.683度 東経9.200度 |
標高: | 海抜 24 m |
面積: | 11.72 km2 |
人口: |
1,830人(2023年12月31日現在) [1] |
人口密度: | 156 人/km2 |
郵便番号: | 31623 |
市外局番: | 05024 |
ナンバープレート: | NI |
自治体コード: |
03 2 56 005 |
行政庁舎の住所: | Wilhelmstraße 4 31627 Rohrsen |
ウェブサイト: | www.drakenburg.de |
首長: | オラフ・ミールケ (Olaf Mielke) |
郡内の位置 | |
地図 | |
ドラーケンブルク (ドイツ語: Drakenburg) は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州のニーンブルク/ヴェーザー郡に属すフレッケン(市場開催権など一定の自治権が古くから認められていた町村。以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。
地理
編集ドラーケンブルクはニーンブルク/ヴェーザー郡にあり、ザムトゲマインデ・ヘームゼンに属す。この町はヴェーザー川に面している。
歴史
編集集落の名前にもなっている中世のドラーケンブルク(標準ドイツ語の Drachenburg = 「ドラゴン城砦」を意味する低地ドイツ語)は、ヴェーザー川河畔に築かれた城砦であった。その構造についてはほとんど判っていない。城はおそらく12世紀にはすでに建てられていた。この城はヴェルペ伯の所有で、13世紀に伯家がノイシュタット・アム・リューベンベルゲに移るまで、一時期は伯の居館として用いられていた。ヴェルペ家が伯位を喪失した後、1302年にドラーケンブルクはホーヤ伯の所領となった。城は、14世紀、おそらくは1390年のマンデルスローのフェーデによって破壊された。その後どの程度の規模でこの城が再建されたのかは定かではない。1450年頃の史料にこの城について言及されている。ただ、1450年以後、城が存続していたことを示す確かな証拠はない。城が1547年のドラーケンブルクの戦いまで存在していたとは考えられない。1390年から1450年までの史料に城に関する記述が見られず、その後もひっそりと消滅していることは、マンデルスローの戦いで破棄されて以降、その重要性は失われていたことを示している。少なくとも三十年戦争の時代にはすでに城が存在していなかったことは明らかである。城趾は、いつの間にか、おそらくは17世紀のヴェーザー川の氾濫の際に土塁ごと破壊された。現在ではその場所すら明確に特定できておらず、推定されている地点はヴェーザー川の川底にあたる。
シュマルカルデン戦争の際、1547年に皇帝軍がブレーメン包囲を解いた後、ドラーケンブルクの戦いが起きた。この戦いでは、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公エーリヒ2世と、マンスフェルト伯アルブレヒト7世が率いるシュマルカルデン同盟軍とが、ドラーケンブルク近郊のヴェーザー河畔で野戦を展開した。
その後、中世のドラーケンブルクとは別に、ハインリヒ・フォン・ランツァウによって三翼式の城館が建設された。彼は、クリスティーネ・フォン・ハレとの結婚によりドラーケンブルクの広大な騎士領の領主となった人物であった。三十年戦争では、ティリー伯による第二次ニーンブルク包囲戦の際、1627年にニーンブルクの守備に就いていたデンマーク軍によって焼き払われた。これによって、第一次包囲戦の時に宿営したドラーケンブルクにティリー伯は宿営することができなくなったのである。しかし、この作戦では皇帝軍によるニーンブルク占領まで阻むことはできなかった。ドラーケンブルクの城館は1790年に火災に遭い、現在はルネサンス様式の門(ドラーケンブルクの装飾門)と本館のうちの一棟が遺っている。
行政
編集議会
編集この町の議会は11議席からなる。
首長
編集オラフ・ミールケ (SPD)。
文化と見所
編集参考文献
編集- Ernst Andreas Friedrich: Wenn Steine reden könnten. (Das Prachtportal von Drakenburg), Band II, Landbuch-Verlag, Hannover 1992, ISBN 3-7842-0479-1
- Bernd Ulrich Hucker: Geschichte des Fleckens Drakenburg. Hrsg.: Heimatverein Drakenburg, Verden, 2000
これらの文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。