トーマス・ミリー・ダウ
トーマス・ミリー・ダウ(Thomas Millie Dow、1848年10月28日 - 1919年7月3日)は、イギリスの画家である。スコットランドのグラスゴー派と呼ばれる画家の一人である[1]。
トーマス・ミリー・ダウ Thomas Millie Dow | |
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生誕 |
1848年10月28日 イギリス、ディザート(Dysart) |
死没 |
1919年7月3日 (70歳没) イギリス、セント・アイヴス |
略歴
編集スコットランド、ファイフのディザート(Dysart)で法律家の一家に生まれ、法律を学んだ。アマチュア画家だった叔父のAlexander Millieに勧められて、法律家になるのをやめ画家を目指した。1877年にパリに出て、パリ国立高等美術学校に入学し、ジャン=レオン・ジェロームの学生になった。1879年からはアカデミー・ジュリアンでも学び、イングランド出身の画家、ウィリアム・ストット(1857-1900)やアメリカ出身のアボット・ハンダーソン・セイヤー(1849-1921)と親友になり、後に「グラスゴー派」の画家として知られることになる、ジェイムズ・パタースン(1854-1932)やジョン・レィヴァリ(1856-1941)、アレクサンダー・ロシュ(1863-1921)、アレキサンダー・マン(1853-1908)といった画家とも知り合い、多くの画家が活動していたバルビゾンやグレ=シュル=ロワン、フォンテーヌブローをスケッチ旅行した。
1878年ころから、エディンバラの王立スコットランド・アカデミーの展覧会やグラスゴー王立美術協会(Royal Glasgow Institute of the Fine Arts)の展覧会に出展を始め、このころは主に水彩やパステルで描いていた。
1883年から1884年にかけてアメリカに旅し、パリ時代の友人のアボット・ハンダーソン・セイヤーのスタジオに滞在し、ハドソン川の風景を描いた。1885年にはスコットランドのダンフリーズシャーにジェイムズ・パタースンと滞在し作品を描いた。1885年から1895年の期間がダウがグラスゴー派の画家たちと最も密接に活動した。国外でも知られるようになり、アメリカで展覧会を開き、ウィーン分離派などの展覧会にも招待された。1888年にはドイツやスイスを旅した。
1891年に子連れの未亡人と結婚し、1894年からグラスゴーからコーンウォールのセント・アイヴスに移った。セント・アイヴスでは Louis Grierや and Lowell Dyer らとSt Ives Art Clubを設立した[2]。冬の間はイタリアで過ごした。
1919年にセントアイブスで亡くなった。
作品
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バルビゾンの晩秋 (1879)
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春 (1886)
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木々 (1886)
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アルプスの月光
脚注
編集- ^ “Conservation – Thomas Millie Dow”. University of Dundee. 13 June 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。25 March 2010閲覧。
- ^ Grier, Louis The Studio Vol V (1895). See photograph "Some members" p. 111.
参考文献
編集- Martin, David (1976) [1897]. The Glasgow School of Painting. Paul Harris Publishing.