トーマス・セイ

アメリカの博物学者、動物学者、探検家

トーマス・セイ(Thomas Say、1787年6月27日 - 1834年10月10日)は、アメリカ合衆国の博物学者動物学者探検家。特に昆虫学に造詣が深く、アメリカ昆虫学会 (ESA) の設立に寄与した人物の一人としても知られる。

トーマス・セイ
ピール「Portrait of Thomas Say」(1818)
生誕 (1787-06-27) 1787年6月27日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没 (1834-10-10) 1834年10月10日(47歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国インディアナ州ニューハーモニー
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
研究分野 博物学, 昆虫学
研究機関 フィラデルフィア自然科学アカデミー
アメリカ昆虫学会英語版
主な業績 「アメリカ合衆国の記載昆虫学の父」
プロジェクト:人物伝
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略歴

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1787年6月27日フィラデルフィアクエーカーの家庭に生まれた[1]。同名の祖父トーマス (1709-1796) は薬屋、物理学者で、父ベンジャミン (1755-1813) は医師であった[2]。また曽祖父に植物学者ジョン・バートラム[3]、親戚に博物学者のウィリアム・バートラムがいる。

セイは薬剤師としての仕事の傍ら、博物学の研究を進めていた。1812年にはフィラデルフィア自然科学アカデミーの設立に関わった。1816年には、ウィリアム・マクルーアの紹介で博物学者、探検家のシャルル・アレクサンドル・ルシュールと知りあい[4]、ルシュールは1824年まで同アカデミーに勤務することとなった。

1819年から1820年にかけて、セイはロッキー山脈[5]ミズーリ川の調査隊に動物学者として同行し、コヨーテスイフトギツネニシタイランチョウなど様々な種を新種として記載した。また1823年には、セイ主導でのミシシッピ川源流(ミネソタ川など)の長期調査を行った[6]

1826年には、ロバート・オウエンインディアナ州で実験的に立ち上げた、共産主義的な生活と労働の共同体に参加するため、ニューハーモニーに移住[7] 。1827年にはニューハーモニーで知り合った Lucy Way Sistare と結婚したが、そのことは周囲の限られた人にしか知らせなかった[8]。セイはその地で昆虫や軟体動物の調査を行い、多数の新種を記載した。しかし収入は乏しく、家族は生活苦を強いられた。

1834年10月10日、腸チフスによって死去[9]。47歳没。

脚注

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  1. ^ Stroud 1992. p.9
  2. ^ Stroud 1992. p.11
  3. ^ Stroud 1992. p.17
  4. ^ Stroud 1992. p.41
  5. ^ Stroud 1992. p.108
  6. ^ Stroud 1992. p.134
  7. ^ Wilson 1984. p.118.
  8. ^ Stroud 1992. p.191
  9. ^ Stroud 1992. p.256

参考文献

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  • Patricia Tyson Stroud 1992. Thomas Say: New World Naturalist. University of Pennsylvania Press, Philadelphia.
  • William E. Wilson, 1984. The Angel and the Serpent: The Story of New Harmony (Bloomington, IN: Indiana University Press, 1967, 2nd ed.)