トーマス・アトウッド・ウォルミズリー
トーマス・アトウッド・ウォルミズリー(英: Thomas Attwood Walmisley, 1814年1月21日 - 1856年1月17日)は、イングランドの作曲家、オルガニスト。
トーマス・アトウッド・ウォルミズリー Thomas Attwood Walmisley | |
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基本情報 | |
生誕 |
1814年1月21日 イングランド ロンドン |
死没 | 1856年1月17日(41歳没) |
ジャンル | クラシック |
職業 | オルガニスト、作曲家 |
生涯
編集ウォルミズリーはロンドンに生まれた。父はよく知られたオルガニストのトーマス・フォーブズ・ジェラード・ウォルミズリー(Thomas Forbes Gerrard- 1783年-1856年)で、聖公会の教会音楽やグリーのための楽曲を作曲もしていた。名付け親は作曲家のトーマス・アトウッドである。ウォルミズリー少年は彼らの指導の下、音楽を学んだ。
ウォルミズリーは1830年にクロイドン大聖堂のオルガニストに就任した。その後1833年にケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジのオルガニストとなり、間もなくアンセムやその他の作曲家として頭角を現していった。また、同時期に同大学のセント・ジョンズ・カレッジの合唱団でもオルガニストとなっている。彼は音楽学士、音楽博士の学位を取得するのみならず、ケンブリッジ大学ジーザス・カレッジを卒業して学士、修士の学位を取得している[1]。
1836年、ウォルミズリーは音楽の教授となった。彼の「教会音楽 Cathedral Music」は、本人の死後に彼の父によってまとめられた。
ウォルミズリーは1856年にこの世を去り、イースト・サセックス州フェアライトのセント・アンドリュー教会に埋葬された。
作品
編集ウォルミズリーは、主にマニフィカトや、聖公会の合唱曲目となっている「ヌンク・ディミティス」ニ短調で知られる。また、彼が作曲した聖公会の詠唱歌には、今日でも一般的に歌われているものが多くある。
脚注
編集出典
- ^ "Walmisley, Thomas Attwood (WLMY833TA)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
参考文献
編集- この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Walmisley, Thomas Attwood". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 28 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 288.