トーク (アルバム)
『トーク』(Talk)は、1994年に発表されたイエスのスタジオ・アルバム。ジョン・アンダーソン、クリス・スクワイア、トレヴァー・ラビン、トニー・ケイ、アラン・ホワイトの5人編成が発表したアルバムとしては通算3作目に相当する。
『トーク』 | ||||
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イエス の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | 1993年頃 | |||
ジャンル | ポップ・ロック、プログレッシブ・ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | ビクトリー・ミュージック | |||
プロデュース | トレヴァー・ラビン | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
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イエス アルバム 年表 | ||||
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解説
編集1990年、イエスは1983年の再結成以来のメンバーだったアンダーソン、スクワイア、ラビン、ケイ、ホワイトの「90125」メンバー[注釈 1]5人と、1970年代のメンバーだったビル・ブルーフォード、リック・ウェイクマン、スティーヴ・ハウの8人編成になった。1991年4月、彼等はアルバム『結晶』を発表し、大規模な公演ツアーを行なった[注釈 2][8]。
1992年3月にツアーが日本で終了した後、ブルーフォードが脱退を表明した。同年、彼等はビクトリー・ミュージック[注釈 3]と契約し、1993年春には新作アルバムをリリースすると発表した。「90125」メンバーとウェイクマンでアルバムを製作してほしいというビクトリー・ミュージックからの要望[9]もあって、イエス脱退の意思がないにもかかわらず[要出典]ハウは招集されなかった[注釈 4][10]。さらにウェイクマンも日程上の都合から参加できず、結局は「90125」メンバーだけで制作することになった[注釈 5]。
収録曲のほぼ全てがラビンとアンダーソンの共作であり、アンダーソンの意思を反映させつつラビンが主導した内容となっている。彼はギターとボーカルに加えて、ケイが演奏したハモンド・オルガン以外の全てのキーボード、プログラミング、プロデュースを担当した。
「ウォールズ」にはスーパートランプのロジャー・ホジソンが共作者として名を連ね、ボーカル担当として参加している。
ジャケットには、ロジャー・ディーン作の広く知られたイエスのロゴに代わってピーター・マックスがデザインしたロゴが使われている。発表直後には、本作に関するインタビュー、デモ音源、ライブ音源、リハーサル映像などが収録されたマルチメディアCD-ROM『Yes Active』が発売された[11]。
本作は旧来の熱心なイエスリスナーには敬遠され、チャートアクションは芳しくなかった。その不評に影響されて、トーク・ツアーのチケット売上は70パーセントに止まり、後半予定されていたヨーロッパ・ツアーはキャンセルされ、メンバーを落胆させた。
次作の構想においてアンダーソンとの確執が深刻となったラビンは、イエスでの仕事を終えたと感じて[12]、ツアー終了後の1995年5月に脱退した。ケイも同時期に脱退し、ハウとウェイクマンが後任に招かれて復帰した[13]。
エピソード
編集収録曲
編集- コーリング - "The Calling" (トレヴァー・ラビン、ジョン・アンダーソン、クリス・スクワイア)
- アイ・アム・ウェイティング - "I Am Waiting" (ラビン、アンダーソン)
- リアル・ラヴ - "Real Love" (ラビン、スクワイア、アンダーソン)
- ステイト・オブ・プレイ - "State of Play" (ラビン、アンダーソン)
- ウォールズ - "Walls" (ラビン、ロジャー・ホジソン、アンダーソン)
- ホェア・ウィル・ユー・ビー - "Where Will You Be" (ラビン、アンダーソン)
- エンドレス・ドリーム: a)サイレント・スプリング〜b)トーク〜c)エンドレス・ドリーム - "Endless Dream" a. "Silent Spring" b. "Talk" c. "Endless Dream" (ラビン、アンダーソン)
- コーリング(スペシャル・ヴァージョン) - "The Calling (Extended Version)" (ラビン、アンダーソン、スクワイア) ※ボーナストラック
参加メンバー
編集脚注
編集注釈
編集- ^ アルバム『ロンリー・ハート』(1983年)の原題”90125”に由来。
- ^ 1991年4月9日から5月21日までアメリカ、5月29日から6月30日までヨーロッパとイギリス、7月5日から8月8日までアメリカ、1992年2月29日から3月5日まで日本。
- ^ 日本での系列はビクターエンタテインメント。
- ^ ハウは自伝に、「この"Yes madness"は突然止まった」のでツアーの後にイエスのマネージメント会社のSun Artsを去ってソロ・コンサートの計画を立て始めた、と記している。彼は同年6月には以前在籍していたエイジアの日本公演に参加した。
- ^ アルバム『ビッグ・ジェネレイター』(1987年)以来、約7年ぶりのことだった。
- ^ 但しアンダーソンは「『危機』を歌った時と同じような気持ちになった」、スクワイアは「『危機』のトレヴァ―版みたいなもの」と言っている。
出典
編集- ^ ORICON STYLE
- ^ ChartArchive - Yes
- ^ Yes - Talk - hitparade.ch
- ^ swedishcharts.com - Yes - Talk
- ^ Yes | AllMusic - Awards - Billboard Albums
- ^ musicline.de
- ^ dutchcharts.nl - Yes - Talk
- ^ Howe (2020), pp. 182–184.
- ^ Morse (1996), p. 98.
- ^ Howe (2020), pp. 184–185.
- ^ “Discogs”. 2024年8月30日閲覧。
- ^ Morse (1996), p. 103.
- ^ Howe (2020), p. 195.
- ^ Morse (1996), p. 102.
引用文献
編集- Morse, Tim (1996). Yesstories: Yes in Their Own Words. New York: St. Martin's Press. ISBN 0-312-14453-9
- Howe, Steve (2020). All My Yesterdays. London: Omnibus Press. ISBN 978-1-785581-79-3