トルクァート・タッソ
トルクァート・タッソ(Torquato Tasso, 1544年3月11日 - 1595年4月25日[1])は、16世紀イタリアの叙事詩人。
トルクァート・タッソ Torquato Tasso | |
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トルクァート・タッソ | |
誕生 |
1544年3月11日 イタリア、ソレント |
死没 |
1595年4月25日 (51歳没) イタリア、ローマ |
職業 | Poet |
言語 | イタリア |
ジャンル | |
署名 | |
ウィキポータル 文学 |
生涯
編集ソレントに生まれる。父ベルナルド・タッソも詩人であった。パドヴァ大学で法律を学んだが、やがてこれを断念し、1562年に叙事詩『リナルド』(Rinardo)を出版した。
フェラーラの枢機卿ルイージ・デステに仕え、1573年に牧歌劇『アミンタ』(Aminta)および叙事詩の傑作『解放されたエルサレム(La Gerusalemme liberata, 1575年)を書いた。ルイージに従い1571年にフランスに赴き、詩人ロンサールに会う。
帰国後エステ家のフェラーラ公アルフォンソ2世に仕え厚遇される。この頃大いに名声を博し、多くの模倣者が出た。公の妹レオノーラを恋し、多くのソネットを捧げている。しかし『解放されたエルサレム』の内容が異端と見られることを恐れ、一部を書き改めたが、そのことを心痛し精神に異常を来し、公によって1577年に幽閉された。一度脱出したが、再び聖アンナ病院に収容され、7年間を過ごした(1579年 - 1586年)。
退院後、ゴンザーガ家のマントヴァ公ヴィンチェンツォのもとに赴いたが、さらに流浪を続け、詩作した。
晩年、教皇クレメンス8世が彼を桂冠詩人に叙するためローマに招聘したが、称号を授与される直前にローマの聖オノフリオ修道院で没する。その数奇な生涯は、ゲーテをはじめとして多くの作家の題材とされた。
作品
編集- 詩論に関する論述(Discorsi dell' arte poetica, 1567年 - 1570年)
- 『詩作論』、村瀬有司訳、水声社、2019年
- パストラル アミンタ(Pastoral Aminta, 1573年)
- 『愛神の戯れ 牧歌劇アミンタ』、鷲平京子訳、岩波文庫、1987年
- 解放されたエルサレム(La Gerusalemme liberata, 1575年)
- 『エルサレム解放』、鷲平京子訳、岩波文庫、2010年
- 弁明(Apologia, 1586年)
- 英雄詩に関する論述(Discorsi del poema eroico, 1594年)
- 宗教詩『オリーヴ山』(Monte Oliveto, 1592年)
- 宗教詩『キリストの涙』(Lacrime di Cristo, 1593年)
- 戯曲(Torrismondo、1588年)
脚注
編集関連項目
編集- タッソー、悲劇と勝利
- トルカータータッソ - 2021年の凱旋門賞を制した、ドイツの競走馬。馬名は本項の人物が由来となっている。
外部リンク
編集- Project Gutenberg e-text of Jerusalem Delivered (Edward Fairfaxによって英訳された『解放されたエルサレム』のテクスト)
- Project Gutenberg e-text of Torquato Tasso ゲーテ作『トルクァート・タッソ』原文