トランス・ワールド航空840便ハイジャック事件
トランス・ワールド航空840便ハイジャック事件は、1969年8月29日に発生したハイジャック事件である。
1964年にロサンゼルス国際空港で撮影された事故機 | |
ハイジャックの概要 | |
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日付 | 1969年8月29日 |
概要 | ハイジャック |
現場 | ギリシャ上空 |
乗客数 | 120 |
乗員数 | 7 |
負傷者数 | 2 |
死者数 | 0 |
生存者数 | 127 (全員) |
機種 | ボーイング707-331B[1] |
運用者 | トランス・ワールド航空 |
機体記号 | N776TW[2] |
出発地 | レオナルド・ダヴィンチ国際空港 |
経由地 | エリニコン国際空港 |
目的地 | ベン・グリオン国際空港 |
事件の経緯
編集1969年8月、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は、イスラエルのイツハク・ラビン(当時は国連特命全権大使)がトランス・ワールド航空の840便(ローマ - アテネ - テルアビブ)に搭乗するという情報を掴んだ。
29日、2人のハイジャック実行犯(サレーム・イサウィとライラ・カリド)は、ハイジャックを決行、しかしラビンは搭乗していなかった。ライラは840便の航路を変えさせ、シリアのダマスカス国際空港に着陸させた。乗客・乗員127名のうち、イスラエル人の2名を除く全員がそこで解放された。
トランス・ワールド航空840便(ボーイング707型機)の機首部分は爆破された。同年12月、イスラエルは捕虜にしていたシリア人・エジプト人の71人の兵士の釈放と交換で2名の人質を解放させた。
事件後
編集このトランス・ワールド航空840便に対するハイジャックの成功で、ライラ・カリドは「美人革命家」として世界的に有名になる。そして、ライラは翌年には、PFLP旅客機同時ハイジャック事件にも実行犯の1人として登場することになる。
トランス・ワールド航空840便は修理され再び就航した後に、パンアメリカン航空に売却された。1980年にアメリカ空軍のデビスモンサン空軍基地に移され、KC-135輸送機の予備機となった。
脚注
編集- ^ Ottaway, Susan (2008). Fire over Heathrow: The Tragedy of Flight 712. Barnsley: Pen and Sword Books Ltd. ISBN 978-1-84415-739-6
- ^ "FAA Registry (N776TW)". Federal Aviation Administration.