トランス・ワールド航空128便墜落事故

トランス・ワールド航空128便墜落事故とは1967年11月20日に発生した航空事故である。ロサンゼルスボストンシンシナティピッツバーグ経由で結んでいた定期便が墜落し、この事故で乗員乗客82人中70人が死亡した[1]:1

トランス・ワールド航空 128便
1964年8月に撮影された事故機
事故の概要
日付 1967年11月20日
概要 パイロットエラーによるCFIT[1]
現場 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ケンタッキー州ブーン郡コンスタンス
北緯39度5分3.73秒 西経84度40分11.99秒 / 北緯39.0843694度 西経84.6699972度 / 39.0843694; -84.6699972座標: 北緯39度5分3.73秒 西経84度40分11.99秒 / 北緯39.0843694度 西経84.6699972度 / 39.0843694; -84.6699972
乗客数 75
乗員数 7
負傷者数 12
死者数 70
生存者数 12
機種 コンベア 880
運用者 アメリカ合衆国の旗 トランス・ワールド航空
機体記号 N821TW
出発地 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス国際空港
第1経由地 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港
最終経由地 アメリカ合衆国の旗 ピッツバーグ国際空港
目的地 アメリカ合衆国の旗 ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港
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事故機

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TWA128便に使用された機体はコンベア880(機体記号:N821TW)[1]:1であった。事故機は1960年12月に製造され、翌1961年1月トランス・ワールド航空へと引き渡された。128便の運行に入る前の時点の飛行時間は合計で18,850時間だった。 運用されている間様々な整備記録が作成され、整備手順通りに整備が行われたが、高度計の異常が報告された事はなかった[1]:(Appendix B)

事故

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128便はロサンゼルス国際空港東部標準時[注釈 1]17時37分に出発し、シンシナティまでは特に問題は発生していなかった[1]:2–4。 当初の飛行計画ではシンシナティ空港の滑走路18(現:滑走路18C)へILS方式で着陸する予定だったが、着陸予定の滑走路の中央のマーカービーコンやグライドスロープ、及び進入灯が使用不可になっていた[1]:9。こういった状況では本来は操縦士が滑走路を視認するまで1,290フィート (390 m)の最低アプローチ高度を維持する必要があった[1]:9–10

20時56分、128便はアウターマーカーを通過した事を報告し、着陸許可が出た[1]:2。クルーは降下を開始し、着陸時の最終チェックリストの確認を開始した[1]:2。しかし、着陸進入中に高度875フィート (267 m)に達した128便は滑走路18のセンターラインから9,357フィート (2,852 m)手前で429フィート (131 m)右にズレた地点の木に激突した[1]:2。生存者の証言によるとその時の衝撃はハードランディングのようだったと例えられ、そこから複数回バウンドした後最後の衝撃が続いたとしている[1]:2。128便は滑走路から6,878フィート (2,096 m)手前の森林で止まり、そこで機体はバラバラになり炎に包まれた[1]:2

事故機に乗っていた82人の内、60人は即死し、事故後数日以内に更に10人が死亡した[1]:16 。残りの12人(乗客10人乗客2人)は負傷したものの生存した[1]:3。生存者の一人によると事故機は目の前で崩壊し、爆発する寸前に間一髪機体から降りて走って逃げたという[2]

影響

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ケンタッキー州ヘブロンにある事故の表示板

国家運輸安全委員会(NTSB)が事故調査を行った[1]:1。NTSBは最終事故調査報告書で、クルーが天候が悪化する状況だったにもかかわらず有視界飛行方式によって高度計を確認せずにそのまま着陸しようとしたパイロットエラーが原因だと結論付けた[1]:38

当時のオハイオ州知事だったジム・ローズ英語版は事故を受けシンシナティ空港の滑走路18を閉鎖するよう命じた。その後滑走路の使用が再開された時はNTSBの推奨に従って手前の丘に高出力の灯やグライドスロープのビーコンを設置した。

注釈

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  1. ^ NTSBの最終報告書では記載されていた時刻は全て東部標準時に統一されているため本項もそれに準ずる[1]:2

出典

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関連項目

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外部リンク

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