トム・ケリー (内野手)
ジェイ・トーマス・ケリー(Jay Thomas Kelly , 1950年8月15日 - )は、アメリカ合衆国ミネソタ州ビッグストーン郡グレースビル出身の元プロ野球選手(一塁手、外野手)、監督。左投左打。愛称はTK[1]。
ツインズ監督就任直後のケリー(1987年) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ミネソタ州ビッグストーン郡グレースビル |
生年月日 | 1950年8月5日(74歳) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 188 lb =約85.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 一塁手、外野手 |
プロ入り | 1968年 MLBドラフト8巡目 |
初出場 | 1975年5月11日 |
最終出場 | 1975年7月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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経歴
編集1968年のMLBドラフト8巡目(全体178位)でシアトル・パイロッツから指名され、プロ入り。1980年までの13年間の現役時代でのメジャー経験は1975年にミネソタ・ツインズでの1年だけであり、大部分をマイナーで過ごしている。なお現役時代の本職は外野手であったが、メジャーでは一塁手での出場が最も多かった。
1977年、ツインズ傘下のAAA級タコマ・ツインズで選手兼任の監督となった。この時27歳の若さであった。「君はリーダーの素質がある。きっといい監督になれる」と勧められて転向したが、1979年からは3年連続でパシフィックコーストリーグの最優秀監督賞を受賞した。同時期にシカゴ・ホワイトソックスで監督を務めていたトニー・ラルーサは「彼は知名度はないが、将来は大リーグをリードする存在になる」と断言していた[要出典]。
1983年にはツインズの三塁コーチに抜擢され、1986年9月12日には解任されたレイ・ミラーの後を受けて監督に就任した。この年の最終戦[2]終了後、スタンドのファンに向かって「今年は残念な結果に終わりましたが、来年ここ(当時本拠地のメトロドーム)にワールドシリーズを持ってきます」と宣言し、翌1987年にアメリカンリーグ優勝を果たして本当にワールドシリーズを戦うことになった。そのワールドシリーズではセントルイス・カージナルスを破って世界一にも輝いた[1]。
1991年にはアトランタ・ブレーブスとの史上初の”前年最下位同士”となったワールドシリーズを制し、2度目のシリーズ優勝を経験した[3]。
1992年には日米野球でMLB選抜の監督を務めている。その後はチームの緊縮財政もあって今ひとつのシーズンが続くが、その間にトリー・ハンター、ジャック・ジョーンズ、クリスチャン・グーズマン、コーリー・コスキー、ダグ・ミントケイビッチ、ラトロイ・ホーキンス、エリック・ミルトンらの2000年代前半のツインズを支える面々が育ち、最終年の2001年には9年ぶりのシーズン勝ち越し(85勝77敗で2位)を記録した。
2012年1月26日、古巣ツインズはケリー在籍時の背番号『10』を永久欠番に指定したい旨を示した[4]。この年の9月8日にケリーを本拠地ターゲット・フィールドに招いてセレモニーが催され、正式に永久欠番に指定された[5]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1975 | MIN | 49 | 147 | 127 | 11 | 23 | 5 | 0 | 1 | 31 | 11 | 0 | 0 | 2 | 3 | 15 | 0 | 0 | 22 | 3 | .181 | .262 | .244 | .506 |
MLB:1年 | 49 | 147 | 127 | 11 | 23 | 5 | 0 | 1 | 31 | 11 | 0 | 0 | 2 | 3 | 15 | 0 | 0 | 22 | 3 | .181 | .262 | .244 | .506 |
表彰
編集背番号
編集- 16(1975年)
- 41(1983年 - 1986年)
- 10(1987年 - 2001年)
脚注
編集- ^ a b 「トム・ケリー」『パンチョ伊東のMLB名鑑1999』ベースボール・マガジン社 244頁
- ^ “Chicago White Sox at Minnesota Twins Box Score, October 5, 1986” (英語). Baseball-Reference.com. 2019年1月31日閲覧。
- ^ 「1991 Magic Twins トム・ケリー」『1991大リーグ総集編』 週刊ベースボール1991年12月28日増刊号 ベースボール・マガジン社 48頁
- ^ “Twins announce plans to retire Tom Kelly's Number 10” (英語). MLB.com (2012年1月26日). 2019年1月31日閲覧。
- ^ Paul Walsh (2012年9月5日). “Twins to retire Tom Kelly's No. 10 jersey on Saturday” (英語). Star Tribune. 2019年1月31日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com