トガ・テムル
トガ・テムル(ペルシア語: طغاتیمور Togha Temür, ? - 1353年)は、イルハン朝の最後のハン(在位:1337年 - 1353年)。イルハン朝のハンを称した人物の中で最後に没した、イルハン朝の事実上最後のハンである。
トガ・テムル طغاتیمور | |
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イルハン朝ハン | |
トガ・テムルの貨幣 | |
在位 | 1337年 - 1353年 |
死去 |
1353年 アストラバード付近 |
王朝 | イルハン朝 |
生涯
編集チンギス・カンの弟ジョチ・カサルの末裔。ホラーサーン、マーザンダラーンを統治した。ムハンマドをハンに擁するタージュ・ウッディーン・ハサン・ブズルグ(大ハサン、ジャライル朝の創始者)の政敵アリー・ジャファル、ホラーサーンの統治者シャイフ・アリーを中心とする貴族によってハンに擁立された。
先にハンを称したムーサーと共同戦線を張って大ハサンとの戦いに挑むが、マラーガで大ハサンの軍隊と遭遇すると一戦も交えずに逃亡する。大ハサンとハサン・チュチュク(小ハサン)の和解が成立した後、大ハサンはトガ・テムルのハンの地位を承認し、イラクに招いた。トガ・テムルは宰相(ワズィール)の意見に従って増税と給与の削減を行うが、この政策は大ハサンの意図からは外れたものであり、小ハサンの離間策にかかって大ハサンとの関係は完全に決裂し、彼はホラーサーンに帰国した。
1341年に弟アリー・ケウンに説かれて3度のイラク遠征を敢行するが失敗した。1353年にアストラバード付近でサルバダール政権の君主ヤフヤー・ケラヴィによって暗殺された。
参考文献
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