デュルタル
デュルタル (Durtal)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、メーヌ=エ=ロワール県のコミューン。
Durtal | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 |
県 (département) | メーヌ=エ=ロワール県 |
郡 (arrondissement) | アンジェ郡 |
小郡 (canton) | ティエルセ小郡 |
INSEEコード | 49127 |
郵便番号 | 49430 |
市長(任期) |
コリンヌ・ボベ[1] (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | C.C. des Portes-de-l'Anjou |
人口動態 | |
人口 |
3382人 (2013年) |
人口密度 | 56人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯47度40分22秒 西経0度14分24秒 / 北緯47.6727777778度 西経0.24度座標: 北緯47度40分22秒 西経0度14分24秒 / 北緯47.6727777778度 西経0.24度 |
標高 |
平均:34m 最低:21m 最高:94 m |
面積 | 60.58km2 |
公式サイト | Ville de Durtal |
地理
編集ボージョワ地方に属する、アンジューのコミューンである。レ・ラリの北西に位置する。コミューン面積の南側をロワール川 (支流)が流れている。
由来
編集1030年にはラテン語化された名(Castrum) Duristalliであったことが証明されている。フランスのこの地域では非常にまれな、ゲルマン語が含まれた地名のひとつである。ゲルマン語の-stallは、未知の要素によって先行してできている。
歴史
編集いくつかの出土品は、コミューンの地に先史時代およびケルト人が定住していたことを指し示している。磨かれた石斧、青銅の斧、斧や剣、矢じりの断片、ラ・テーヌ文化の腕輪や青銅のシカが見つかっている。ラ・グランド・ピエールという場所にはかつて巨石記念物があった。この古代の定住地は、ロワール川支流の渡河地点とつながっていた[2]。
コミューンとしてのデュルタルの誕生は、アンジュー伯フルク・ネラによってデュルタル砦が築かれた1040年にさかのぼる。
中世のデュルタルはボージュのセネシャル管区に含まれていた。アンシャン・レジームからフランス革命前夜まで、町はラ・フレーシュのエレクション(行政上、財政上の区画)管区に含まれていた。
人口統計
編集1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2008年 | 2013年 |
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3102 | 3161 | 3251 | 3240 | 3195 | 3224 | 3325 | 3382 |
参照元:1962年から1999年まで人口の2倍カウントなし。1999年までEHESS/Cassini[3]、2004年以降INSEE[4][5]
ギャラリー
編集-
デュルタル城と橋
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ヴェルロン門
-
ロワール川
-
かつての洗濯場
姉妹都市
編集脚注
編集- ^ Mairie de Durtal, Corinne Bobet, nouveau Maire de Durtal, consulté le 7 avril
- ^ (Port 1978, p. 90)
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=12330
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr
参考文献
編集- Célestin Port, Dictionnaire historique, géographique et biographique de Maine-et-Loire et de l'ancienne province d'Anjou : D-M, t. 2, Angers, H. Siraudeau et Cie, 1978, 2e éd.