デミアン
『デミアン-エーミール・シンクレールの少年時代の物語』(Demian: Die Geschichte von Emil Sinclairs Jugend)とは、1919年に発表されたヘルマン・ヘッセの教養小説である。この作品は当初「エーミール・シンクレール」という名で刊行されていた。しかし、1920年半ばにOtto FlakeとEduard Korrodiが作者はヘッセであることを証明する論文を発表し、1920年7月にヘッセは『Vivos voco』誌上で真実であることを認め、以後「ヘルマン・ヘッセ」の名で公刊されている。1960年にはプロローグが追加された。
背景
編集第一次世界大戦の最中である1914年11月3日、当時スイスのベルンに住んでいたヘッセは、祖国ドイツに「友よ!その調子でなく!(O Freunde, nicht diese Töne)」という論文を送った。しかし、その論文は、ドイツの戦争継続を批判する内容であったため、ドイツでは厳しい批判を受けてしまう。そのため、ヘッセは、新聞の論評などで「臆病者」や「裏切り者」と罵られていた。1915年、ドイツ領事館で徴兵検査を受けたが、近視を理由に不合格となり、ドイツ捕虜援護事務所で、ドイツ人捕虜に読み物を選ぶ仕事に就く。
マスコミを通じた中傷、仕事による疲弊、1916年3月の父親の死などのさまざまな悩みを抱え、肉体的苦痛を感じるまでに病むが、分析心理学で有名なユングの弟子であるJoseph Bernhard Langたちの助けを借りながら、精神の回復を遂げる。そして、1917年9月から10月にかけて深い精神世界を描いた作品デミアンを執筆した。ヘッセの作品では初めて、「自己を追い求める」といった主題を取り扱っている。ヘッセの作風が、一変した作品であった。
主人公の「シンクレール」という名は、外交官のIsaac von Sinclairから着想を得ており、彼と詩人のフリードリヒ・ヘルダーリンとの友情をモデルとして描かれた物語である。
あらすじ
編集小さな町のラテン語学校に通う10歳の主人公エーミール・シンクレールは、些細な理由で、悪童クローマーに脅されてしまう。深く苦しんでいたシンクレールは、ある日、町にやって来たマックス・デミアンに救われる。デミアンは、シンクレールにカインとアベルの逸話について、そして明と暗の両者が存在している二つの世界について語った。そして、それは、シンクレールに大きな影響を残し、シンクレールの葛藤の日々が始まる。
主な訳書
編集影響
編集第一次世界大戦の敗戦後、混乱期にあったドイツでは、この作品は、オスヴァルト・シュペングラーの『西洋の没落』と並んで、広く読まれていた。「明」(公認された世界)と「暗」(公認されていない世界)二つの世界に戸惑いつつも、真の自己を求めていく姿を描いたこの作品は、ヘッセの代表作と評価され、ドイツ国内だけでなく、世界中の青年たちに長く読み継がれ、大きく深い影響を与えた。
その他
編集脚注
編集- ^ “Demian, The Great Gatsby, Zorba the Greek Best-selling World Classics”. 2018年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月2日閲覧。
参考資料
編集- 『デミアン』高橋健二訳(新潮文庫)ISBN 978-4102001028
- ウリ・ロートフス『素顔のヘルマン・ヘッセ』鈴木久仁子・相沢和子訳(エディションq)ISBN 978-4874175699
外部リンク
編集- [1] - 『デミアン』の梗概
- [2] - ヘッセの伝記と『デミアン』の解説
- ヘッセの伝記と『デミアン』の解説
- [3] - 『デミアン』の非公式サウンドトラック