デビッド・アーズマ
デビッド・アラン・アーズマ(David Allan Aardsma, 1981年12月27日 - )は、アメリカ合衆国コロラド州デンバー出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
アトランタ・ブレーブス時代 (2015年7月28日) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | コロラド州デンバー |
生年月日 | 1981年12月27日(42歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 205 lb =約93 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2003年 MLBドラフト1巡目 |
初出場 | 2004年4月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集プロ入り前
編集2000年、チェリー・クリーク高等学校卒業。卒業度はペンシルベニア州立大学に進学したが、2001年にテキサス州ヒューストンにあるライス大学へ転校した。同大ではクローザーとして活躍し、2002-2003シーズンには同大学のセーブ数のシーズン記録と通算記録を塗り替えた。また、2003年のカレッジ・ワールドシリーズでは打者16人中15人を抑えるなど、2勝1セーブを挙げ、チームの初の全国優勝に貢献した。
ジャイアンツ時代
編集2003年のMLBドラフト1巡目(全体22位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名され、プロ入り。この年は傘下のA+級サンノゼ・ジャイアンツで18試合に登板し、防御率1.96という成績だった。
2004年4月6日、ミニッツメイド・パークで行われた開幕2戦目のヒューストン・アストロズ戦で、AA級及びAAA級を経験することなくメジャーデビューを果たした。6回裏から3番手として登板し、2回を3安打1四球ながらも無失点に抑え、家族や友人の前でメジャー初登板初勝利を挙げた。だが、シーズン最初の6登板こそ自責点1、防御率1.80で乗り越えたものの、その後の5試合中4試合で失点するなど打ち込まれ、トータルでは11試合で防御率6.75と、結果を残すことは出来なかった。
2005年はAA級ノーウィッチ・ナビゲーターズで開幕を迎えた。
カブス時代
編集2005年5月28日にラトロイ・ホーキンスとのトレードで、ジェローム・ウィリアムズと共にシカゴ・カブスへ移籍した。マイナーでは11試合の先発を含む42試合に登板したが、メジャーに昇格することは出来なかった。
引き続きカブスに在籍していた2006年は、メジャーで45試合に登板した。このうち負けている場面での登板が32試合と、重要な場面はそれほど任されなかったが、9月に12回連続無失点の好投を見せるなど、8月以降は25試合で防御率3.21の数字を残した。また、左打者を被打率.190(63打数12安打)に封じ込めた。
ホワイトソックス時代
編集シーズン後の10月16日、ニール・コッツとのトレードで、シカゴ・ホワイトソックスへ移籍。前年終盤の好投もあって、2007年は開幕ロースター入りを果たした。その期待に応え、開幕戦でこそいきなり1点を失うものの、最初の15登板では22回を投げ、防御率1.64という好投を見せた。ところが5月19日のカブス戦でアウトを一つしか獲れずに5点を失うと、翌日のカブス戦でも1回で4点を失い、更に6月2日のトロント・ブルージェイズ戦でも1回5失点と、急に精彩を欠くようになった。この後一旦マイナーへ降格し、6月19日にメジャー復帰を果たすも、7月4日のボルチモア・オリオールズ戦で3失点(自責点2)したのを最後に再び降格し、マイナーでシーズンを終えることとなった。この年はマイナーでも自己最悪の防御率4.33に終わるなど、終わってみれば飛躍のシーズンとはならなかった。
レッドソックス時代
編集2008年1月28日にトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍。この年は7月終了時点で38試合に投げ、防御率2.75、被打率.207、39.1回で41奪三振など軒並み優秀な数字を残していたが、それ以降は前年同様息切れし、8月以降は9試合で防御率17.36、被打率.465という別人のような不振に陥った。結局シーズンでは防御率5.55に終わる。
マリナーズ時代
編集2009年1月15日、レッドソックスがマーク・コッツェイと再契約したのを受け、1月20日にトレードでシアトル・マリナーズへと移る。ブランドン・モローと交互にクローザーとして起用され、4月10日にキャリア初セーブをマークした。その後モローの不調と先発転向により正クローザーとなり、自己最多の73試合に登板。与四球率こそ4.29と制球力は改善されなかったものの、シーズン通して防御率2点台以下をキープ。リーグ4位となる38セーブをマークし、WHIPも1.16を記録した。
2010年も開幕からクローザーを務めた。最初の6登板は無失点で抑え、6セーブを稼いだものの、武器である速球のキレがあまり良くなく、前半戦終了時点で2点以上失った試合が6試合に上り、防御率も5.40にとどまる。しかし後半戦は復調し、22試合を防御率0.84に抑え、被打率も.121と、ほぼ非の打ちどころのないピッチングを披露。シーズンでは31セーブをマークし、アメリカンリーグの7位にランクインした。
2011年は、1月に左足の手術、7月にはトミー・ジョン手術を受けるなど故障に見舞われ、4月にマイナーリーグで5試合に登板したのみに終わった。10月31日にFAとなった。
ヤンキース時代
編集2012年2月22日、ニューヨーク・ヤンキースと1年総額50万ドルで契約した。6月にマイナーリーグでトミー・ジョン手術後の初登板を記録すると、9月27日のトロント・ブルージェイズ戦で約2年ぶりとなるMLB復帰を果たした。この年はこの1試合登板に終わった。
2013年3月29日にDFAとなり[1]、その後放出された。
マーリンズ傘下時代
編集2013年4月13日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズでは10試合・防御率2.57と一定の数字を残していたものの、5月15日に放出された。その後、NPBの阪神タイガースが獲得に名乗り出したが[2]、アーズマ本人が日本への移籍を望んでいなかったため、阪神への入団は実現しなかった。
メッツ時代
編集2013年5月20日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[3]。傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズでは主に9回のマウンドを任され、8試合・11奪三振・防御率1.13・3セーブと実力を発揮した。6月8日にメジャーに昇格。6月は10試合に登板し、防御率1.80・被打率.171と、マイナーでの好調を維持する快投を見せた。しかし、6月には1つだけだった四球を7月だけで7個与えるなど徐々に調子は下降し、防御率も7月に3点台、8月に4点台となる。9月にはビハインドでの場面の登板が増えるなど、かつてのようにクローザーとして活躍することは出来なかった。シーズンでは43試合・防御率4.31という成績で、3年振りにメジャーでの40試合以上の登板を果たした。シーズン終了後の10月31日にFAとなった。
メッツ退団後
編集2014年1月23日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ[4]が、3月21日に放出された。5日後の26日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結び[5]、開幕から傘下のAAA級メンフィス・レッドバーズでマウンドに立った。16試合連続無失点を記録するなど、シーズンでは35試合・38奪三振・防御率1.46と力を発揮したが、この年はメジャーで登板することはなかった。シーズン終了後の11月4日にFAとなった。
2015年2月15日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。開幕後は傘下のAAA級オクラホマシティ・ドジャースでプレーしていたが、6月4日に自ら選んで契約を途中で放棄する「オプトアウト」を行使して自由契約となった。6月6日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ[6]。9日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[7]。8月24日にDFAとなり[8]、9月1日に自由契約となった。
2016年2月5日にブルージェイズとマイナー契約を結んだ。開幕から傘下のAAA級バッファロー・バイソンズでプレーしていたが、5月24日に「オプトアウト」を行使して自由契約となった[9]。
2017年4月5日に独立リーグ・アトランティックリーグのロングアイランド・ダックスと契約[10]。23試合に登板して1勝2敗9セーブ・防御率2.01・31奪三振の成績を残した。
引退後
編集投球スタイル・人物
編集- 150km/hを超える速球が主な武器。2010年は、全投球のうち75.8%が速球だった[12]。
- 姉のアマンダ・アーズマ(Amanda Aardsma)は1997年にコロラド州代表でミス・ティーンUSAに出場した経歴を持つ女優で、ドラマ『CSI:科学捜査班』などに出演している[13]。
- 2010年6月に第1子が誕生した[14]。
- 祖父母がオランダ出身であるため、ワールド・ベースボール・クラシックの際にはオランダ代表の候補に名前が挙がった(選出はされていない)。
- メジャーリーグでプレーした経験のある全選手をアルファベット順に並べると、このアーズマが先頭に来る[15]。アーズマが2004年にメジャーデビューするまでは、ハンク・アーロンが先頭だった。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | SF | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 61 | 10.2 | 20 | 1 | 10 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | 8 | 8 | 6.75 | 2.81 |
2006 | CHC | 45 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5 | 1.000 | 225 | 53.0 | 41 | 9 | 28 | 0 | 1 | 49 | 1 | 0 | 25 | 24 | 4.08 | 1.30 |
2007 | CWS | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 3 | .667 | 151 | 32.1 | 39 | 4 | 17 | 3 | 1 | 36 | 2 | 0 | 24 | 23 | 6.40 | 1.73 |
2008 | BOS | 47 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 4 | .667 | 228 | 48.2 | 49 | 4 | 35 | 2 | 5 | 49 | 3 | 0 | 32 | 30 | 5.55 | 1.73 |
2009 | SEA | 73 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 6 | 38 | 6 | .333 | 296 | 71.1 | 49 | 4 | 34 | 3 | 0 | 80 | 2 | 0 | 23 | 20 | 2.52 | 1.16 |
2010 | 53 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 31 | 0 | .000 | 202 | 49.2 | 33 | 5 | 25 | 5 | 2 | 49 | 2 | 0 | 19 | 19 | 3.44 | 1.17 | |
2012 | NYY | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 5 | 1.0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 9.00 | 2.00 |
2013 | NYM | 43 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 4 | .500 | 178 | 39.2 | 39 | 7 | 19 | 6 | 4 | 36 | 1 | 1 | 20 | 19 | 4.31 | 1.46 |
2015 | ATL | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 6 | .500 | 179 | 30.2 | 25 | 6 | 14 | 3 | 1 | 35 | 1 | 0 | 17 | 16 | 4.70 | 1.27 |
MLB:9年 | 331 | 0 | 0 | 0 | 0 | 16 | 18 | 69 | 29 | .471 | 1525 | 337.0 | 296 | 41 | 183 | 22 | 16 | 340 | 12 | 1 | 169 | 160 | 4.27 | 1.42 |
年度別守備成績
編集年 度 |
球 団 |
投手(P) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2004 | SF | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
2006 | CHC | 45 | 1 | 5 | 0 | 1 | 1.000 |
2007 | CWS | 25 | 2 | 4 | 1 | 0 | .857 |
2008 | BOS | 47 | 3 | 6 | 0 | 0 | 1.000 |
2009 | SEA | 73 | 2 | 5 | 0 | 1 | 1.000 |
2010 | 53 | 2 | 3 | 1 | 0 | .833 | |
2012 | NYY | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
2013 | NYM | 43 | 1 | 5 | 0 | 0 | 1.000 |
2015 | ATL | 33 | 0 | 1 | 1 | 0 | .500 |
MLB | 331 | 11 | 29 | 3 | 2 | .930 |
背番号
編集- 33(2004年)
- 54(2006年 - 2007年)
- 53(2008年 - 2010年)
- 35(2012年)
- 30(2013年)
- 32(2015年)
脚注
編集- ^ Overbay makes Yanks; Aardsma designated
- ^ 新助っ投!阪神“超大物抑え”アーズマ獲得へ サンケイスポーツ
- ^ Aardsma signs Minor League deal with Mets
- ^ “Indians invite RHP David Aardsma to Major League Camp” (英語). MLB.com Indians Press Release (2014年1月23日). 2014年1月24日閲覧。
- ^ Jenifer Langosch (2014年3月26日). “Cards sign Aardsma to add to bullpen mix” (英語). MLB.com. 2014年3月26日閲覧。
- ^ Mark Bowman (2015年6月6日). “Aardsma signed to Minor League deal” (英語). MLB.com 2015年8月28日閲覧。
- ^ Carlos Collazo (2015年6月9日). “Aardsma joins Braves to give 'pen a boost” (英語). MLB.com 2015年8月28日閲覧。
- ^ Jon Cooper (2015年8月24日). “Bethancourt recalled, will see playing time” (英語). MLB.com 2015年8月28日閲覧。
- ^ Steve Adams (2016年5月23日). “David Aardsma Opts Out Of Blue Jays Contract” (英語). mlbtraderumors.com. 2017年6月4日閲覧。
- ^ Steve Adams (2017年4月5日). “Nolan Reimold, David Aardsma Sign With Atlantic League’s Long Island Ducks” (英語). MLB Trade Rumors. 2017年6月4日閲覧。
- ^ JeffTodd (2018年2月5日). “Quick Hits: Aardsma, Coke, Market Analysis” (英語). MLB Trade Rumors. 2018年2月6日閲覧。
- ^ 『月刊スラッガー』2011年2月号、日本スポーツ企画出版社、2011年、36頁。
- ^ 『月刊スラッガー』2010年4月号、日本スポーツ企画出版社、2010年、35頁。
- ^ 『月刊スラッガー』2011年4月号、日本スポーツ企画出版社、2011年、33頁。
- ^ Baseball Players with Last Names Starting with A
関連項目
編集- メジャーリーグベースボールの選手一覧 A
- クリス・アーノルド (NPBの歴代の選手を五十音順に並べると、先頭に来る選手)
外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- David Aardsma stats MiLB.com
- David Aardsma (@TheDA53) - X(旧Twitter)