デニス・マッキノン
デニス・マッキノン(Dennis McKinnon 1964年11月4日- )はジョージア州クイットマン出身のアメリカンフットボール選手。NFLのシカゴ・ベアーズなどで1983年から1990年まで7シーズンプレーした。ポジションはワイドレシーバー。ニックネームはシルキーD(Silky D)[1]。
Dennis McKinnon | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
基本情報 | |||||||||
ポジション | ワイドレシーバー | ||||||||
生年月日 | 1961年8月22日(63歳) | ||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 ジョージア州クイットマン | ||||||||
身長: | 6' 1" =約185.4cm | ||||||||
体重: | 182 lb =約82.6kg | ||||||||
経歴 | |||||||||
大学 | フロリダ州立大学 | ||||||||
ドラフト外 | 1983年 | ||||||||
初出場年 | 1983年 | ||||||||
初出場チーム | シカゴ・ベアーズ | ||||||||
所属歴 | |||||||||
| |||||||||
受賞歴・記録 | |||||||||
スーパーボウル制覇(1回) | |||||||||
第20回 | |||||||||
NFL 通算成績 | |||||||||
| |||||||||
Player stats at PFR |
経歴
編集ボビー・ボウデンの下[1]、フロリダ州立大学で先発WRの地位を確保できなかった彼は[2]、1983年、ドラフト外フリーエージェントでシカゴ・ベアーズに指名されて入団した。1年目の1983年には3試合に先発出場し、20回のレシーブで326ヤードを獲得、4TDをあげるとともに、34回のパントリターンで316ヤード、1TDをあげた[3]。
1985年、31回のレシーブで555ヤードを獲得、7TDをあげた。第20回スーパーボウルでも先発し優勝を味わった。なお彼はラップソング『スーパーボウルシャッフル』の一員には入らなかった[4]。
1987年9月14日のニューヨーク・ジャイアンツとのマンデーナイトフットボールで94ヤードのパントリターンTDをあげた[5][6]。また同年10月25日のタンパベイ・バッカニアーズ戦では65ヤードのリターンを見せている[7]。この年40回のパントリターンで405ヤード、2TDをあげた[3]。
ウィリー・ゴールトが退団した1988年[2]、チームトップの45回のレシーブで704ヤードを獲得、3TDをあげた[8]。また40回のパントリターンで405ヤード、チーム記録となる2TDをあげた(この記録は2006年にデビン・ヘスターに更新された。)。フォッグボウルとして知られる同年12月31日のフィラデルフィア・イーグルスとのプレーオフでは、マイク・トムザックから64ヤードのTDパスを含む[9]4回のレシーブで108ヤード、1TDをあげて、20-12の勝利に貢献した[10]。
1990年、プランBでダラス・カウボーイズへ移籍した[11]。サンディエゴ・チャージャーズとの開幕戦でトロイ・エイクマンからの28ヤードのTDパスをレシーブ、17-14でチームは勝利し、ホームテキサス・スタジアムでの連敗を14で止めた。この試合でのTDがカウボーイズであげた唯一のTDとなっている[12]。この年7試合に出場、14回のレシーブで172ヤードを獲得した[3]。その後、カウボーイズからウェーバーされた彼は、同年11月、マイアミ・ドルフィンズと契約したが[13]、その2日後に解雇された[14]。ドルフィンズでは背番号42番を着用しており、翌週のロサンゼルス・レイダース戦では、ドルフィンズの殿堂入りWRポール・ウォーフィールド(背番号42)、ラリー・ゾンカ、ボブ・グリーシー、ジム・ランガーの表彰がハーフタイムに予定されていた[15]。
ベアーズのパントリターナーとして、デビン・ヘスターに次ぐチーム歴代2位の127回で、ヘスター、ジョージ・マカフィーに次ぐ歴代3位の1,171ヤードをリターンし、3TDをあげている[16]。
8シーズンで194回のレシーブで、3,012ヤードを獲得、22TDをあげた。また129回のパントリターンで、1,191ヤード、3TDをあげている。
現役引退後、NCAAディビジョンIIIに所属するイリノイ州デュページ郡にあるイリノイベネディクティン大学のオフェンスコーディネーターを務めた[17]。
1999年に「Bearly Active Productions」を設立した[18]。
人物
編集ベアーズのヘッドコーチだったマイク・ディトカによればブロックの優れたレシーバーであった[3]。2005年にシカゴ・トリビューンのインタビューで、ディフェンスばかりが偉大であったと注目されているが、ウォルター・ペイトンを中心とした1985年のオフェンスは、ボール保持時間でNFL1位、得点で2位となっており、ランオフェンスでは3年連続NFLトップとなったことを指摘、ディフェンス選手に十分な休養を与えていたことを指摘した。また自分たちが、シーズン序盤に圧勝したニューイングランド・ペイトリオッツではなく、シーズン中、唯一敗れたマイアミ・ドルフィンズと対戦できなかったことを悔しがった[1]。
母親はバスの運転手をしており、タンパベイ・バッカニアーズとのアウェーでの試合では、食料をチームに持っていった[1]。
ジョンソン・プロダクツ・カンパニーの創設者、ジョージ・ジョンソンの娘と結婚したが、離婚訴訟になっている[19]。
脚注
編集- ^ a b c d Steve Rosenbloom (2005年12月19日). “Dennis McKinnon”. シカゴ・トリビューン. 2013年6月2日閲覧。
- ^ a b Robbie Andreu (1989年1月6日). “Receiver No Longer In Shadow Bears` Mckinnon Takes Over Spotlight”. サン・センティネル. 2013年6月2日閲覧。
- ^ a b c d e “McKinnon, Dennis “Silky D””. Lee's Autograph Hall of Fame. 2013年6月2日閲覧。
- ^ “Dennis McKinnon – Gridiron Greats & The Super Bowl Shuffle”. YAHOO! SPORTS (2012年12月16日). 2013年6月2日閲覧。
- ^ “Photo of Richard Dent and Dan Hampton of the Bears knocking down the Giants' Phil Simms in the first quarter (AP); Bears Embarrass Giants With Aid of Eight Sacks”. ニューヨーク・タイムズ (1987年9月15日). 2013年6月1日閲覧。
- ^ “MNF History: 1987”. ABCスポーツ (2002年8月29日). 2013年6月2日閲覧。
- ^ Bob Sakamoto (1990年12月30日). “Bailey Shuns Fair Catch For More-than-fair Return”. シカゴ・トリビューン. 2013年6月1日閲覧。
- ^ Paul Eide (2012年1月31日). “Chicago Bears: Leading Receiver for Each of the Last 25 Years”. bleacherreport.com. 2013年6月1日閲覧。
- ^ Kevin Noonan. “Hazy Memories From Fog Bowl of 1988”. bleacherreport.com. 2013年6月2日閲覧。
- ^ “1988: Bears Defeat Eagles in “Fog Bowl””. fs64sports.blogspot.jp (2010年12月31日). 2013年6月2日閲覧。
- ^ “Cowboys Sign Slaton, Washington”. ロサンゼルス・タイムズ (1990年3月4日). 2013年6月2日閲覧。
- ^ Matt Cordon. “1990 Review: Cowboys Win Opener, but Then Struggle”. 2013年6月2日閲覧。
- ^ “ON THE SIDELINES : Dolphins Sign 2 Pass Receivers”. ロサンゼルス・タイムズ (1990年11月16日). 2013年6月2日閲覧。
- ^ Russ White (1990年11月20日). “Dolphins Activate Limbrick Vs. Raiders”. オーランド・センティネル. 2013年6月2日閲覧。
- ^ “Mckinnon Or Whoever, 42 Is Still Warfield”. サン・センティネル (1990年11月20日). 2013年6月2日閲覧。
- ^ “Top 10 punt returning - career”. bears-stats.com. 2013年6月1日閲覧。
- ^ “Ex-bear Mckinnon Lifts Ibc's Hopes”. シカゴ・トリビューン (1994年9月10日). 2013年6月2日閲覧。
- ^ “Community with Marie Lazzara” (2013年3月28日). 2013年6月2日閲覧。
- ^ Karen Springen (1992年3月22日). “So Much For Family Ties”. THE DAILY BEAST. 2013年6月2日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference
|
|