デイヴィッド・ダンラップ・ニューサム(David Dunlop Newsom、1918年1月6日 - 2008年3月30日)は、アメリカの外交官

1938年、カリフォルニア大学バークレー校英語科卒、1940年コロンビア大学大学院ジャーナリズム研究科修士課程修了。

海軍を経て、国務省入省。パキスタン在勤(1947年-1950年)、ノルウェー在勤(1950年-1951年)、イラク在勤(1951年-1955年)、近東局アラビア半島担当官(1955年-1959年)などを経て、駐リビア大使1965年1969年)、アフリカ担当アメリカ合衆国国務次官補1969年 - 1974年[1]駐インドネシア大使1974年 - 1977年)、駐フィリピン大使1977年 - 1978年)、 政治担当国務次官(1978年-1981年)を歴任。

1979年10月、モハンマド・レザー・パフラヴィーニューヨーク病院=コーネル医療センターに入院した際、彼は(当時は国務次官であった)ニューサムの知らぬままに、一時的なコード名として「デイヴィッド・D・ニューサム」を用いた。

ニューサムは6冊の本の著者であると共に『クリスティアン・サイエンス・モニター』紙の常連コラムニストでもあり、1981年から2005年にかけて400本以上のコラムを寄稿した[2]

脚注

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  1. ^ , US: Department of State, http://www.state.gov/r/pa/ho/po/12045.htm .
  2. ^ , The Christian Science Monitor, (2004-01-07), http://www.csmonitor.com/2004/0107/p09s02-coop.html .

参考文献

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公職
先代
ジョーゼフ・パルマー2世
アメリカ合衆国国務次官補(アフリカ担当)
1969年7月17日 - 1974年1月13日
次代
ドナルド・B・イーサム
先代
フィリップ・ハビブ
アメリカ合衆国国務次官(政治担当)
1978年4月19日 - 1981年2月27日
次代
ウォルター・J・ストーセル
外交職
先代
エドウィン・A・ライトナー
在リビアアメリカ合衆国大使
1965年7月22日 - 1965年10月16日
次代
ジョーゼフ・パーマー2世
先代
フランシス・J・ガルブレイス
在インドネシアアメリカ合衆国大使
1974年2月27日 - 1977年10月6日
次代
エドワード・E・マスターズ
先代
ウィリアム・H・サリヴァン
在フィリピンアメリカ合衆国大使
1977年11月11日 - 1978年3月30日
次代
リチャード・W・マーフィー