ディーク・リチャーズ
ディーク・リチャーズ(Deke Richards、1944年4月8日 - 2013年3月24日)は、出生名Dennis Lussier、[1]Deke Lussierとしても知られるアメリカ合衆国のソングライター、音楽プロデューサー。モータウンで活躍した。[2]
ディーク・リチャーズ Deke Richards | |
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出生名 | Dennis Lussier |
別名 | Deke Lussier |
生誕 | 1944年4月8日 |
出身地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス |
死没 | 2013年3月24日(68歳没) |
ジャンル | R&B、ポップス |
職業 | 音楽プロデューサー、ソングライター |
レーベル | モータウン |
共同作業者 | デビー・ディーン、ジャクソン5、スプリームスほか |
プロデューサー・チーム「The Clan」およびザ・コーポレーションとして知られる。後者はジャクソン5の初期のヒット曲「帰ってほしいの」「ABC」「小さな経験」「ママの真珠」「きっと明日は (ジャクソン5の曲)」で知られている。
略歴
編集カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ[3]。 父は脚本家のデイン・ラッシャー。1962年の映画『Eegah』でバンド・メンバーの一人を演じ、その後、芸名ディーク・リチャーズを使うようになった。デビー・ディーンのバンドでバック・シンガーをしているときに彼女に曲を書き、スプリームスの1966年にハリウッド劇場公演にてモータウンのベリー・ゴーディーと出会う。ゴーディーは感銘を受け、リチャーズと音楽プロデューサー、ソングライターとして契約した[3]。
ディーク・リチャーズは、ジャクソン5の他、ボビー・ダーリン、マーサ&ザ・ヴァンデラス、ザ・ブラックベリーズ (The Blackberries)、ステイシー・ジョンソン (Stacie Johnson)などに曲を書いた[4]。1968年にホーランド=ドジャー=ホーランドがモータウンを去ると、スプリームスをプロデュースするようになる[3]。スプリームスのナンバー・ワン・ヒット「Love Child」を共作し、イギリスでトップとなったダイアナ・ロスの「I'm Still Waiting」を単独で作詞作曲した。同曲は1990年代にコートニー・パインがカバーしている[5]。
参照
編集- ^ BBC News, Jackson 5 producer Deke Richards dies aged 68, March 26, 2013. Retrieved March 26, 2013.
- ^ “From Motown to LA, Michael Jackson left a lasting mark”. Detroit News. (June 26, 2009)
- ^ a b c Hollywood Reporter, Deke Richards, Motown Songwriter and Producer, Dies at 68, March 25, 2013. Retrieved March 26, 2013.
- ^ Weaver, Tom (2005). Earth vs. the sci-fi film makers. McFarland. p. 176. ISBN 0-7864-2210-6
- ^ a b The Detroit News, Deke Richards, of Motown's The Corporation, dies Archived 2014年3月22日, at the Wayback Machine., March 25, 2013. Retrieved March 26, 2013.