ディミトリス・エレフセロプーロス
ディミトリス・エレフセロプーロス(ギリシア語: Δημήτρης Ελευθερόπουλος、1976年8月7日 - )は、ギリシャの元サッカー選手、現サッカー指導者。元ギリシャ代表。選手時代のポジションはGK。
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名前 | ||||||
本名 | ディミトリス・エレフセロプーロス | |||||
ラテン文字 | Dimitris Eleftheropoulos | |||||
ギリシャ語 | Δημήτρης Ελευθερόπουλος | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ギリシャ | |||||
生年月日 | 1976年8月7日(48歳) | |||||
出身地 | ピレウス | |||||
身長 | 190cm | |||||
体重 | 83kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
オリンピアコス | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1994-2004 | オリンピアコス | 152 | (0) | |||
1995-1996 | → プロオデフティキ(loan) | 30 | (0) | |||
2004-2005 | メッシーナ | 10 | (0) | |||
2005-2006 | ミラン | 0 | (0) | |||
2006 | ローマ | 0 | (0) | |||
2006-2007 | アスコリ | 14 | (0) | |||
2007-2009 | シエナ | 14 | (0) | |||
2009-2010 | PASヤニナ | 7 | (1) | |||
2010-2011 | イラクリス | 28 | (0) | |||
2011 | パニオニオス | 12 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1999-2001 | ギリシャ | 12 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2012-2013 | パニオニオス | |||||
2013 | AEKラルナカ | |||||
2015 | オリンピアコス・ヴォロス | |||||
2015-2016 | パントラキコス | |||||
2016 | ヴェリア | |||||
2016-2017 | アステラス・トリポリス | |||||
2017 | ケルキラ | |||||
2018 | イラクリス | |||||
2020 | パナハイキ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
クラブ歴
編集幼少期からオリンピアコスFCのサポーターであった彼はそのオリンピアコスの下部組織に加入し、1994年にトップチームに昇格。1995年にプロオデフティキFCに期限付き移籍し、翌年にオリンピアコスに復帰した。1997年はフォト・ストラコシャ、アレコス・ラントスに次ぐ第3ゴールキーパーであったが、二人は怪我とパフォーマンスの悪さでポジションから外れてドゥシャン・バイェヴィッチ監督に起用された。しかし翌年に膝の変形性関節症が悪化し肩にも転移したためシーズンを棒に振った。UEFAチャンピオンズリーグ 1998-99の快進撃には間に合い、最優秀ゴールキーパーに選出された。また、2001年10月23日のUEFAチャンピオンズリーグ 2001-02・マンチェスター・ユナイテッドFC戦ではルート・ファン・ニステルローイのペナルティキックを止めた[1]。他方で2003年12月10日のUEFAチャンピオンズリーグ 2003-04ではユヴェントスFC相手に7-0の大敗を喫した。
2004年にセリエAのACRメッシーナに移籍したが、マルコ・ストラーリの牙城を崩す事は出来なかった。
2005年にACミランに移籍。翌年にASローマに移籍したが、出場機会は得られなかった。
2006-07シーズンにアスコリ・カルチョ1898 FCに移籍[2]。2007年6月11日にACシエナが2年契約で獲得したがアレクサンダー・マンニンガーの控えであった[3]。2009年5月28日に家庭の事情で退団した。
同月30日にPASヤニナFCに完全移籍。
2010年8月3日にイラクリス・テッサロニキFCに完全移籍[4]。翌年にパニオニオスFCに移籍し、12月21日に引退した[5]。
代表歴
編集1999年2月にベルギー代表との親善試合で代表初出場。2001年9月5日の2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選・フィンランド代表戦が代表最後の試合となった。
プレースタイル
編集反射神経に優れており、シュートストップに定評があった。また、ペナルティエリアを飛び出してのセーブにも定評があった。他方でクロスの対応は不得手であった。
監督歴
編集引退したパニオニオスで監督業を始めた。
2016年9月27日に就任したアステラス・トリポリスFCでは選手時代にチームメイトであったスティリアノス・ヴェネティディスをコーチに加えた[6]。2017年2月17日に0-5の大敗を受けて双方合意で契約解除[7]。
参考文献
編集- ^ “Win sends Man Utd through”. BBC. (23 October 2001) 28 October 2016閲覧。
- ^ “Tactical Formation”. Football-Lineups.com. 1 March 2007閲覧。
- ^ 4–3–1–2 Football Formation
- ^ http://www.iraklis-fc.gr/shownews08.jsp?newsCode=20100803171538125&CMCCode=9001&extLang=LG[リンク切れ]
- ^ “Archived copy”. 7 January 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年12月21日閲覧。
- ^ “Προπονητης της Βέροιας ο Ελε”. 29 January 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。26 January 2016閲覧。
- ^ “Τέλος ο Ελευθερόπουλος από τον Αστέρα” (英語). Contra.gr 2017年2月18日閲覧。
外部リンク
編集- ディミトリス・エレフセロプーロス - Soccerwayによる個人成績
- ディミトリス・エレフセロプーロス - Soccerway
- ディミトリス・エレフセロプーロス - transfermarkt(選手)
- ディミトリス・エレフセロプーロス - transfermarkt(監督)
- ディミトリス・エレフセロプーロス - TheFinalBall.com
- ディミトリス・エレフセロプーロスの監督成績 - thefinalball.com
- ディミトリス・エレフセロプーロス - National-Football-Teams.com