テオフィロ・クビジャス
テオフィロ・クビジャス(スペイン語発音: [teˈofilo kuˈβiʎas], 1949年3月8日 - )は、ペルー・リマ・プエンテ・デ・ビエドラ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは攻撃的ミッドフィールダー。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
1970年のクビジャス | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
テオフィロ・フアン・クビジャス・アリサガ Teófilo Juan Cubillas Arisaga | |||||
愛称 | El Nene(エル・ネネ、坊や) | |||||
ラテン文字 | Teófilo Cubillas | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ペルー | |||||
生年月日 | 1949年3月8日(75歳) | |||||
出身地 | リマ | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 71kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (OH) | |||||
代表歴 | ||||||
1968-1982 | ペルー | 81 | (26) | |||
監督歴 | ||||||
1988 | アリアンサ・リマ | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ペルー代表としては81試合に出場し、史上最多の26得点を挙げた。1970 FIFAワールドカップでは準々決勝進出に貢献し[1]、コパ・アメリカ1975では優勝した[2]。1978 FIFAワールドカップでは再び準々決勝に進出した[3]。FIFAワールドカップ本大会では2大会で5得点ずつ、計10得点を挙げた。
国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)の投票によってペルー史上最高の選手に選出されており、またIFFHSは世界トップ50にクビジャスを含めている[4]。1972年には南米年間最優秀選手賞を受賞した。2004年には、ペレによってペルー人選手で唯一FIFA 100に選出された[5]。2008年2月、ブラジルのFIFAワールドカップ初優勝からの50周年を記念して選考された「過去50年の南米ベストイレブン」に選出された[6]。
経歴
編集クラブ
編集その少年のような風貌からエル・ネネ(El Nene、坊や)というニックネームを持つ。16歳だった1966年、アリアンサ・リマからデビュー[7]。アリアンサ在籍時の1966年と1970年にはプリメーラ・ディビシオンの得点王に輝いた[8]。1972年にはコパ・リベルタドーレスで得点王となり、南米年間最優秀選手賞を受賞[9]。
1973年、スイス・スーパーリーグのFCバーゼルに移籍金9万7000ポンドで移籍[10]。1973-74シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは2得点を挙げた[11]。1974年夏、ポルトガル・スーペル・リーガのFCポルトに移籍金20万ポンドで移籍[10]。
1979年、北米サッカーリーグ(NASL)のフォートローダーデール・ストライカーズと契約し、リーグ戦5シーズンで59得点を挙げた。1981年のロサンゼルス・アステクス戦では7分間でハットトリックを達成している[12]。1984年にアリアンサ・リマに復帰し、ユナイテッドサッカーリーグ(USL)のサウスフロリダ・サンフォートラーダーデールを経て、1987年5月、アメリカン・サッカーリーグ(ASL)のフォートローダーデール・ストライカーズと契約[13]。1988年にはタイトル獲得まであと一歩に迫ったが、ワシントン・ディプロマッツに敗れて優勝を逃した[14]。ディプロマッツ戦後、ストライカーズはクビジャスを放出[15]。1989年3月、マイアミ・シャークスと契約したが、8試合に出場してわずか1得点に終わり、7月3日に放出された[16]。その後はオーストラリアに渡り、ゴールドコースト・リーグのミラマール・イルシオネスでアマチュア選手としてプレーを続けた[17]。
代表
編集3度のFIFAワールドカップに出場し、最初の2大会では5得点ずつを挙げている。5ゴール以上を記録した大会が2度以上ある選手は他にミロスラフ・クローゼとトーマス・ミュラーのみである。1970年代のFIFAワールドカップの歴史を象徴する選手のひとりに数えられている[18]。メキシコで開催された1970 FIFAワールドカップでは4試合すべてで得点し、ペルー代表の上位進出に貢献した。1次リーグではブルガリア戦、モロッコ戦(2得点)、西ドイツ戦で得点し、準々決勝では結果的に優勝するブラジル相手に得点したが、ブラジルに敗れて準々決勝敗退となった。クビジャス自身は5得点で得点ランキング3位となった[1]。大会の最優秀若手選手賞を受賞し、ジャイルジーニョ、ゲルト・ミュラーに次ぐ得点数でブロンズブーツ(得点ランキング3位)を受賞した。クビジャスは大会のオールスターチームに選ばれ、ブラジル代表のペレは自身の後継者とみなした。
1974 FIFAワールドカップは南米予選で敗退したが、翌年のコパ・アメリカ1975ではペルー代表に2度目のタイトルをもたらした。クビジャスは準決勝のブラジル戦で得点し、決勝プレーオフにも出場した[2]。アルゼンチンで開催された1978 FIFAワールドカップでは5得点を挙げ、アルゼンチン代表のマリオ・ケンペスに次いで得点ランキング2位となった。1次リーグ初戦のスコットランド戦では直接フリーキックによる得点を含めて2得点を挙げ[19]、イラン戦では2つのPK成功を含む3得点を挙げてハットトリックを達成した。ペルー代表は準々決勝に駒を進めたが、8年前のメキシコの時と同様に、ブラジル、ポーランド、アルゼンチンと強豪が揃った2次リーグでは3戦全敗に終わった。クビジャスは1次リーグからの6戦全てに出場している[3]。
1982 FIFAワールドカップに出場したペルー代表にはクビジャスの他にセサル・クエト、ホセ・ベラスケス、フリオ・セサル・ウリベなどの選手を擁していたが、1次リーグではカメルーン戦 (0-0) とイタリア戦 (1-1) に引き分け、ポーランド戦(1-5)に敗北。3試合で勝ち点2を獲得したのみで、1次リーグ敗退となった。敗退から1ヶ月後、クビジャスはペルー代表からの引退を発表した。
現役引退後
編集アメリカ・フロリダ州・コーラルスプリングスに在住し、少年サッカースクールを運営している。また、サッカー解説者としても活動している。
所属クラブ
編集- 1964-1973 アリアンサ・リマ
- 1973 FCバーゼル
- 1973-1977 FCポルト
- 1977-1978 アリアンサ・リマ
- 1979-1983 フォートローダーデール・ストライカーズ
- 1984 サウスフロリダ・サンフォートラーダーデール
- 1984 アリアンサ・リマ
- 1985 サウスフロリダ・サンフォートラーダーデール
- 1987 アリアンサ・リマ
タイトル
編集クラブ
編集- アリアンサ・リマ
- プリメーラ・ディビシオン 優勝 (2) : 1977, 1978
- FCバーゼル
- スイス・リーグカップ 優勝 (1) : 1973
- FCポルト
- スーペル・リーガ 準優勝 (1) : 1975
- タッサ・デ・ポルトガル 優勝 (1): 1977
- FLストライカーズ
- 北米サッカーリーグ 準優勝 (1) : 1981
- サウスフロリダ・サン
- ユナイテッドサッカーリーグ 優勝 (1): 1985
代表
編集- ペルー代表
- コパ・アメリカ 優勝 (1) : 1975
個人
編集- タイトル
- ペルービアン・プリメーラ・ディビシオン 得点王 (2) : 1966, 1970[8]
- 1970 FIFAワールドカップ 最優秀若手選手賞
- 1970 FIFAワールドカップ オールスターチーム
- 1970 FIFAワールドカップ ブロンズブーツ
- コパ・リベルタドーレス 得点王 (1) : 1972
- 南米年間最優秀選手賞 (1) : 1972
- 南米サッカー連盟(CONMEBOL) オールスターチーム: 1973[20]
- コパ・アメリカ1975 最優秀選手賞
- 1978 FIFAワールドカップ シルバーブーツ
- 1978 FIFAワールドカップ オールスターチーム
- 北米サッカーリーグ オールスターチーム (2) : 1980, 1981[21]
- 北米サッカーリーグ 最優秀ミッドフィールダー (1) : 1981
- 選出
- IFFHS選出 20世紀世界最優秀選手 48位 : 1999
- フランス・フットボール誌選出 「FIFAワールドカップ(1930-1990)トップ100選手」 : 2000[22]
- ワールドサッカー誌選出 「100人の偉大なサッカー選手」 : 2000[23]
個人成績
編集クラブでの出場記録
編集クラブ成績 | リーグ | カップ | 国際大会 | 通算 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
ペルー | リーグ | カップ | 南米 | 通算 | ||||||
1966 | アリアンサ・リマ | プリメーラ | ? | ? | – | ? | ? | ? | ? | |
1967 | ? | ? | – | – | ? | ? | ||||
1968 | ? | ? | – | – | ? | ? | ||||
1969 | ? | ? | – | – | ? | ? | ||||
1970 | ? | ? | – | – | ? | ? | ||||
1971 | ? | ? | – | – | ? | ? | ||||
1972 | ? | ? | – | ? | ? | ? | ? | |||
1973 | ? | ? | – | – | – | – | ? | ? | ||
スイス | リーグ | スイス杯 | ヨーロッパ | 通算 | ||||||
1973-74 | FCバーゼル | スーパーリーグ | ? | ? | ? | ? | ? | 2[11] | ? | ? |
ポルトガル | リーグ | ポルトガル杯 | ヨーロッパ | 通算 | ||||||
1973-74 | FCポルト | スーペル・リーガ | 12 | 4 | 2 | 2 | - | 14 | 6 | |
1974-75 | 30 | 9 | 4 | 4 | 4 | 2 | 38 | 15 | ||
1975-76 | 29 | 28 | 5 | 3 | 4 | 4 | 38 | 35 | ||
1976-77 | 14 | 7 | 2 | 1 | 2 | 1 | 18 | 9 | ||
ペルー | リーグ | カップ | 南米 | 通算 | ||||||
1977 | アリアンサ・リマ | プリメーラ | 32 | 23 | 32 | 23 | ||||
1978 | 15 | 12 | 10 | 7 | 25 | 19 | ||||
アメリカ | リーグ | USオープン杯 | 北中米カリブ海 | 通算 | ||||||
1979[27] | FLストライカーズ | 北米サッカーリーグ | 32 | 16 | — | – | – | — | 32 | 16 |
1980[27] | 34 | 18 | – | – | – | – | 34 | 18 | ||
1981[27] | 34 | 19 | – | – | – | – | 34 | 19 | ||
1982[27] | 18 | 4 | – | – | – | – | 18 | 4 | ||
1983[27] | 23 | 8 | – | – | – | – | 23 | 8 | ||
ペルー | リーグ | カップ | 南米 | 通算 | ||||||
1984 | アリアンサ・リマ | プリメーラ | 4 | 4 | 4 | 4 | ||||
アメリカ | リーグ | USオープン杯 | 北中米カリブ海 | 通算 | ||||||
1985[28] | サウスフロリダ・サン | USL | 2 | 1 | – | – | – | – | 2 | 1 |
ペルー | リーグ | カップ | 南米 | 通算 | ||||||
1987 | アリアンサ・リマ | プリメーラ | 13 | 3 | 13 | 3 | ||||
アメリカ | リーグ | USオープン杯 | 北中米カリブ海 | 通算 | ||||||
1988[29] | FLストライカーズ | ASL | ? | 7 | – | – | – | – | ? | 7 |
通算 | ペルー | 233 | 152 | 0 | 0 | 16 | 13 | 249 | 165 | |
スイス | 10 | 3 | 2 | 2 | 2 | 2 | 14 | 7 | ||
ポルトガル | 85 | 48 | 13 | 10 | 10 | 7 | 108 | 65 | ||
アメリカ | 163 | 75 | 0 | 0 | 0 | 0 | 163 | 75 | ||
総通算 | 491 | 278 | 15 | 12 | 28 | 22 | 534 | 312 |
注記: 国内リーグの記録にはNASLのプレーオフの出場試合数も含む。
代表での得点
編集# | 日時 | 場所 | 相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1969-07-17 | ボゴタ | コロンビア | 2–1 | 3–1 | 親善試合 |
2. | 1969-09-07 | リマ | パラグアイ | 1–0 | 2–1 | |
3. | 2–0 | |||||
4. | 1969-08-17 | ボリビア | 2–0 | 3–0 | 1970 FIFAワールドカップ・南米予選 | |
5. | 1970-07-02 | チェコスロバキア | 2–1 | 2–1 | 親善試合 | |
6. | 1970-09-02 | ルーマニア | 1–1 | 1–1 | ||
7. | 1970-02-24 | ブルガリア | 1–2 | 5–3 | ||
8. | 1970-06-02 | レオン | 3–2 | 3–2 | 1970 FIFAワールドカップ | |
9. | 1970-06-06 | モロッコ | 1–0 | 3–0 | ||
10. | 3–0 | |||||
11. | 1970-06-10 | リマ | 西ドイツ | 1–2 | 1–3 | |
12. | 1970-06-14 | グアダラハラ | ブラジル | 2–3 | 2–4 | |
13. | 1972-04-05 | メキシコシティ | メキシコ | 1–1 | 1–2 | 親善試合 |
14. | 1972-04-23 | ブカレスト | ルーマニア | 1–1 | 2–2 | |
15. | 1973-03-04 | リマ | グアテマラ | 2–0 | 5–1 | |
16. | 4–1 | |||||
17. | 1973-04-23 | パナマ | 3–0 | 4–0 | ||
18. | 1975-08-20 | チリ | 2–0 | 3-1 | コパ・アメリカ1975 | |
19. | 1975-09-30 | ベロオリゾンテ | ブラジル | 2–0 | 3–1 | |
20. | 1977-07-17 | サンティアゴ・デ・カリ | ボリビア | 2–0 | 5–0 | 1978 FIFAワールドカップ・南米予選 |
21. | 3–0 | |||||
22. | 1978-06-03 | コルドバ | スコットランド | 2–1 | 3–1 | 1978 FIFAワールドカップ |
23. | 3–1 | |||||
24. | 1978-06-11 | イラン | 2–0 | 4–1 | ||
25. | 3–0 | |||||
26. | 4–1 |
脚注
編集- ^ a b “Group D”. World Cup 1970 results and line-ups. RSSSF. 28 March 2011閲覧。
- ^ a b Martin Tabeira (12 August 2009 (last updated)). “Copa América 1975”. RSSSF. 28 March 2011閲覧。
- ^ a b “Group D”. World Cup 1978 finals - results and line-ups. RSSSF. 28 March 2011閲覧。
- ^ Karel Stokkermans (30 January 2000). “World Player of the Century”. IFFHS' Century Elections. RSSSF. 28 March 2011閲覧。
- ^ “Pele's list of the greatest”. BBC (4 March 2004). 19 August 2011閲覧。
- ^ All-Star First Team Selection (1958-2008) Retrieved on January 17, 2009. Archived 2008年12月31日, at the Wayback Machine.
- ^ Clemente Lisi (14 February 2012). “What Ever Happened To... Teofilo Cubillas”. US Soccer Players. 18 March 2012閲覧。
- ^ a b Peruvian Championship: Top Scorer Retrieved on January 3, 2009
- ^ José Luis Pierrend (22 December 2000 (updated)). “South American Player of the Year 1972”. RSSSF. 15 January 2012閲覧。
- ^ a b Jan Alsos. “Teofilio Cubillas (Peru)”. Planet World Cup. 15 January 2012閲覧。
- ^ a b Antonio Zea and Marcel Haisma (9 January 2008 ( updated)). “European Champions' Cup 1973-74 – Details”. RSSSF. 18 March 2012閲覧。
- ^ “Team Records and League Honors”. Fort Lauderdale Strikers. 18 March 2012閲覧。
- ^ CUBILLAS SIGNS WITH STRIKERS Miami Herald, The (FL) - Saturday, May 7, 1988
- ^ The Year in American Soccer - 1988
- ^ STRIKERS LOSE FINAL, RELEASE CUBILLAS Miami Herald, The (FL) - Sunday, August 28, 1988
- ^ SHARKS OWNER CUTS CUBILLAS , CLAIMS POOR PLAY, LITTLE EFFORT Miami Herald, The (FL) - Monday, July 3, 1989
- ^ BACK TROUBLE - GOLD COAST SOCCER Sun-Sentinel - Friday, JUNE 21, 1991
- ^ Teofilo Cubillas: Legends of the Football World Cup Retrieved on April 8, 2009
- ^ David Edbrooke (1 February 2008). “The 25 best free-kicks of all-time (#11)”. The Telegraph. 29 March 2011閲覧。
- ^ CONMEBOL All-Star Team Retrieved on January 3, 2009
- ^ NASL All-Star teams, all-time Retrieved on January 3, 2009
- ^ France Football's World Cup Top-100 1930-1990 Retrieved on January 3, 2009
- ^ World Soccer: The 100 Greatest Footballers of All Time Retrieved on January 3, 2009
- ^ Placar's 100 Craques do Século Retrieved on January 3, 2009
- ^ Os 100 Craques das Copas (Placar Magazine) Retrieved on January 3, 2009
- ^ CONMEBOL All-Star first team 1958-2008 Retrieved on January 3, 2009
- ^ a b c d e David Litterer. “Part 1: Player Biographies, A-H”. TOP INTERNATIONAL STARS IN THE NASL, 1967-1984. American Soccer History Archives. 17 March 2012閲覧。
- ^ “Teofilo Cubillas”. North American Soccer League Players. Nasljerseys.com. 18 March 2012閲覧。
- ^ “Ft. Lauderdale Strikers”. American Soccer League 1988 Season. A-League Archives. 18 March 2012閲覧。
- ^ “Teófilo Cubillas - Goals in International Matches”. Rsssf.com (2006年11月3日). 2009年1月21日閲覧。