ティンチョー
ティンチョー(ビルマ語: ထင်ကျော်、ラテン文字転写: Htin Kyaw、1946年7月20日 - )は、ミャンマーの政治家、慈善団体活動家、元財務官僚。第9代ミャンマー連邦共和国大統領。アウンサンスーチーの側近を長く務めた。
ティンチョー ထင်ကျော် Htin Kyaw | |
任期 | 2016年3月30日 – 2018年3月21日 |
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副大統領 | ミンスエ ヘンリーバンティオ |
国家顧問 | アウンサンスーチー |
出生 | 1946年7月20日(78歳) イギリス領ビルマ ラングーン |
政党 | 国民民主連盟 |
配偶者 | Su Su Lwin |
概要
編集イギリス統治下のビルマ首都ラングーンで、ミン・トゥ・ウン(en:Min Thu Wun、詩人・作家・学者・NLD議員候補)の次男として生まれる。温厚な人柄で人望が厚い人物とされる[1]。
アウンサンスーチーは、ビルマトップの英語学校だったメソジスト英語学校(現ダゴン第一高等学校、en:Basic Education High School No. 1 Dagon)時代の同級生。1962年同校を卒業し、ラングーン大学(現ヤンゴン大学、en:University of Yangon)芸術専攻に入学。1963年に、当時ラングーン芸術科学大学(現ヤンゴン大学)の一部だったラングーン経済大学(現ヤンゴン経済大学、en:Yangon Institute of Economics)に進み、教員として働きながら学位の取得を目指し、1968年経済学修士(統計学)の学位を取得[2]。
1970年から大学のコンピューターセンターでプログラマーや、 システムアナリストを務め、1971年から72年にかけロンドン大学コンピューター科学研究所(en:Institute of Computer Science)に留学。当初は「オックスフォード大卒」とされたが、事実は違ったようだ。なお、1974年の一時期、アジアエレクトロニクス連盟の東京での研修の為来日している。帰国後にラングーン大大学院でもコンピューター学を学び、75年に理学修士(コンピューター科学)を取得し、同年ミャンマー第二産業省(en:Ministry of Industry (Myanmar) 2)重工業企業局課長補佐となる。1980年計画・財務省外国経済関係局副課長。1987年アーサー・D・リトル経営大学院(現ハルト・インターナショナル・ビジネススクール)留学[1][3]。
1992年に退官して国民民主連盟(NLD)に入党。スーチーの自宅軟禁中、外部との対話を取り持ち、食料や医薬品その他の生活必需品を提供したという。2000年に、アウンサンスーチーがヤンゴンからマンダレーに移動しようとしたのを幇助した容疑で9人の活動家とともに逮捕され、4ヶ月間インセイン刑務所で勾留された。
慈善事業や開発プロジェクトを扱うスーチーのドーキンチー財団の運営を支援しており[2]、2012年、同財団の幹部となった[4]。
1973年に結婚した妻Su Su Lwin(en:Su Su Lwin)はNLDの下院議員(ヤンゴン地方域トングワ郡区選出)で、下院外交委員長を務める。義父U Lwin(en:U Lwin)もNLD創設者の一人[5]。
2015年11月8日に実施された総選挙でNLDは圧倒的な勝利を収めた。ただ、軍事政権下で制定された憲法の規定では外国籍の配偶者や子を持つ者は大統領になることはできず、イギリス国籍の息子を持つNLD党首のアウンサンスーチーは大統領就任資格を奪われている。新政権を担うこととなったNLDは憲法の条項を棚上げするなどの措置によってアウンサンスーチーの大統領就任を模索したものの、そうした措置には軍部が強硬に反対した。これによってNLDは、アウンサンスーチーの側近であってその「代理」を務めることができる人物として、ティンチョーを自党の大統領候補に擁立した。2016年3月10日にティンチョーはミャンマー議会で大統領候補に指名された[6]。3月15日には正式に大統領に選出され、3月30日に大統領就任式が上下両院合同の連邦議会で行われ正式に就任[7]。健康問題を抱えていたが、2018年3月21日に大統領職を辞任した[8]。
政策
編集閣僚
編集職名 | 氏名 | 任期 |
大統領 | ティンチョー | 2016 - 2018 |
副大統領 | ミンスエ | 2016 - |
ヘンリーバンティオ | 2016 - | |
国家顧問 | アウンサンスーチー | 2016 - |
外務大臣 | アウンサンスーチー | 2016 - |
大統領府大臣 | アウンサンスーチー | 2016 - |
内務大臣 | チョー・スェー | 2016 - |
国防大臣 | セイン・ウイン | 2016 - |
国境大臣 | イェー・アウン | 2016 - |
国家顧問大臣 | チョー・ティン・スェー | 2016 - |
情報大臣 | ドクター・ペー・ミィン | 2016 - |
宗教・文化大臣 | トゥラ・アウン・コー | 2016 - |
農業・畜産水産・灌漑大臣 | ドクターアウン・トゥ | 2016 - |
運輸・通信大臣 | タン・シン・マウン | 2016 - |
資源・環境保護大臣 | オウン・ウイン | 2016 - |
電力・エネルギー大臣 | ペー・ジン・トゥン | 2016 - |
労働・入国管理・人口統計大臣 | テイン・スェー | 2016 - |
工業大臣 | キン・マウン・チョー | 2016 - |
経済・貿易大臣 | ドクター・タン・ミィン | 2016 - |
教育大臣 | ドクター・ミョー・テイン・ジー | 2016 - |
保健・スポーツ大臣 | ドクター・ミィン・トゥエ | 2016 - |
計画・財務大臣 | チョー・ウイン | 2016 - |
建設大臣 | ウイン・カイン | 2016 - |
社会福祉・救済定住大臣 | ドクター・ウイン・ミャッ・エー | 2016 - |
ホテル・観光大臣 | オウン・マウン | 2016 - |
[9] |
アウンサンスーチーはかねてから、新大統領は何らの権限を持たない傀儡であって全てを決定するのは自分であると明言していた。新政権ではアウンサンスーチーは外務大臣兼大統領府大臣、さらには新設の「国家顧問」に就き、政権の実権を掌握する体制を整えた。
大統領選で落選した他の2人は副大統領になる。1人目は軍人議員団が擁立した元中将でヤンゴン管区首相のミンスエ、2人目はNLDの国会議員(民族代表院選出)で少数民族チン族出身のヘンリーバンティオ[10][11]。
著書
編集- (Dala Ban名義)"The Father's Life: Glimpses of my Father"
脚注
編集- ^ a b “スー・チー氏側近のティン・チョー氏、財務官僚出身の「裏方」”. 日本経済新聞 (2016年3月11日). 2022年6月25日閲覧。
- ^ a b “ミャンマー大統領候補に選ばれた詩人の息子”. WSJ (2016年3月11日). 2016年3月12日閲覧。
- ^ “Who Is Htin Kyaw, Myanmar's Newly Elected President?” (英語). VOA (2016年3月15日). 2022年6月25日閲覧。
- ^ “キーパーソンティンチョー氏=ミャンマー大統領に選出された”. 毎日新聞 (2016年3月16日). 2016年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月12日閲覧。
- ^ “スー・チー氏側近が大統領就任へ ティン・チョー氏、民間出身は初 英名門大卒の元官僚”. 産経新聞 (2016年3月10日). 2016年3月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月12日閲覧。
- ^ “ミャンマー スー・チー氏側近が大統領就任か”. NHKNEWSWEB. 2021年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月12日閲覧。
- ^ “ティン・チョー氏、ミャンマー大統領に正式就任”. 読売新聞 (2016年3月30日). 2016年3月30日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “ミャンマーのティン・チョー大統領が辞任 健康問題が理由か”. SankeiBiz(サンケイビズ) (2018年3月21日). 2022年6月25日閲覧。
- ^ “ミャンマー新政府の閣僚人事が改めて発表される”. MYANMAR JAPON(ミャンマー・ジャポン). 2016年6月3日閲覧。
- ^ “ミャンマー スーチー氏側近、大統領に 半世紀ぶり文民”. 毎日新聞 (2016年3月16日). 2016年3月12日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “Myint Swe: Myanmar elects a notorious blacklisted former general as vice-president”. Sydney morning helard. 2016年3月12日閲覧。
公職 | ||
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先代 テイン・セイン |
ミャンマー連邦共和国大統領 第9代:2016年3月30日 - 2018年3月21日 |
次代 ミンスエ (大統領代行) |