チャールズ・ホール・ディロン
チャールズ・ホール・ディロン(英語: Charles Hall Dillon, 1853年12月18日 - 1929年9月15日)は、アメリカ合衆国の政治家、弁護士。所属政党は共和党。宗教は会衆派教会[1]。アメリカ合衆国下院議員(3期)やサウスダコタ州最高裁判所判事を務めた[1][2]。
チャールズ・ホール・ディロン Charles Hall Dillon | |
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生年月日 | 1853年12月18日 |
出生地 |
アメリカ合衆国 インディアナ州、デュポイス郡、ジャスパー |
没年月日 | 1929年9月15日 (75歳没) |
死没地 |
アメリカ合衆国 サウスダコタ州、クレイ郡、バーミリオン |
出身校 | インディアナ大学ブルーミントン校ロー・スクール |
所属政党 | 共和党 |
配偶者 |
Maude B. Tripp Frances D. Jolley |
選挙区 | サウスダコタ州第1選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1913年3月4日 - 1919年3月3日 |
在任期間 | 1903年 - 1911年 |
第一次世界大戦における対独宣戦布告の決議の審議で、ジャネット・ランキンらと共に反対票を入れた下院議員の一人である[1]。
経歴・人物
編集チャールズ・ホール・ディロンは、1853年12月18日にインディアナ州デュボイス郡ジャスパー近郊に住んでいたマシュー・B・ディロンとメアリー・ディロン(旧姓:スチュワート)の間に生まれた[1]。1874年にインディアナ大学で学士 (理学)号を取得して卒業し、1876年に同大ブルーミントン校ロースクールで修士号(法学)を取得した[1]。同年、弁護士資格を取得すると、地元ジャスパーで弁護士活動を始めた[2]。1882年にダコタ準州ミッチェルに移り[2]、1903年から1911年までサウスダコタ州上院議員を務めた。また、1900年と1908年には共和党全国大会の代表を務めている[1][2]。1912年、アメリカ下院議員選挙にサウスダコタ州1区から出馬して当選し[3]、3期連続当選を果たしたが、1918年の共和党予備選挙でチャールズ・クリストファーソンに敗れた[4]。落選後はヤンクトンで弁護士活動を再開させ、1922年から州最高裁判所の判事を務めた[1][5]。1924年にはアメリカ上院議員選挙に挑戦したが、共和党からの指名が獲得できずに無所属で出馬。ディロンは3,835票(得票率1.9%)しか獲得できずに8人中6位という不甲斐ない結果に終わった[6]。同選挙では共和党から出馬したウィリアム・H・マクマスターが当選を果たしている[6]。落選後も判事を務め、1926年11月15日に辞任した[2]。1929年、サウスダコタ州バーミリオンで死去し、ヤンクトン墓地に埋葬された[2]。
政策
編集第一次世界大戦中の1917年4月5日、連邦議会は対独宣戦布告決議の採決を行った。ディロンはジャネット・ランキンら50人の下院議員と共に反対票を投じた[7]。決議自体は373票の賛成多数で可決されている。また、サウスダコタ州2区選出で同じ共和党のロイヤル・ジョンソンも宣戦布告決議に反対したが、サウスダコタ州3区の民主党議員ハリー・ガンディーは賛成票を投じた[7]。
家族
編集- 妻:モード・B・トリップ - 1889年8月28日に結婚し、1894年11月6日に亡くなった[1]。
- 岳父:バートレット・トリップ - ダコタ準州裁判所首席判事、 第25代駐オーストリアアメリカ合衆国大使などを務めた弁護士、外交官[8]。
- 後妻:フランシス・D・ジョリー - 1900年9月26日に結婚。ヴァーミリオンのジョン・L・ジョリー大佐の娘[1]。
- 兄:ジョン・フランクリン・ディロン - 1920年にパイク郡とデュボイス郡からなる第57司法管区の巡回裁判所判事を務めた[9]。
- 妹:フローラ・H・ディロン - テネシー大学の歯学部を卒業し、インディアナ州初の女性歯科医として活動した[9]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i George W. Kingsbury (1915). History of Dakota Territory Vol. IV. シカゴ: The S.J. Clarke Publishing Company. pp. 357-358
- ^ a b c d e f “DILLON, Charles Hall; 1853 – 1929”. bioguide.congress.gov. 2021年5月10日閲覧。
- ^ “South Dakota Elections”. 2021年5月10日閲覧。
- ^ “Official Vote by counties”. 2021年5月10日閲覧。
- ^ “Official Vote of South Dakota by Counties November Electoin, 1922”. 2021年5月10日閲覧。
- ^ a b “Official Vote, General Electoin, 1924”. 2021年5月10日閲覧。
- ^ a b “U.S. House of Representatives tally sheet for the Declaration of War on Germany, April 6, 1917”. U.S. Capitol Visitor Center. 2021年5月10日閲覧。
- ^ “Dakota Images: Bartlett Tripp”. South Dakota History 2(1). (1971) .
- ^ a b Evan H. Dillon (2018年12月31日). Descendants of John and Mary Dillon of Tyrrell County, North Carolina with additional notes on the related Spruill, Hunnings, and Alexander families. Family Tree Maker
関連項目
編集外部リンク
編集アメリカ合衆国下院 | ||
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新設 | サウスダコタ州第1選挙区 選出議員 初代: 1913年3月4日 - 1919年3月3日 |
次代 チャールズ・クリストファーソン |
公職 | ||
先代 エリソン・スミス |
サウスダコタ州 最高裁判所判事 1922年 - 1926年 |
次代 ニュートン・バーチ |