チャン・ドゥック・ルオン
チャン・ドゥック・ルオン(陳 徳良、ベトナム語:Trần Đức Lương / 陳德良[1]、1937年5月5日〈保大12年3月25日〉 - )は、ベトナムの政治家。第3代ベトナム社会主義共和国主席を務めた。
チャン・ドゥック・ルオン Trần Đức Lương 陳德良 | |
任期 | 1997年9月24日 – 2006年6月27日 |
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国家副主席 | グエン・ティ・ビン チュオン・ミー・ホア |
共産党書記長 | ドー・ムオイ レ・カ・フュー ノン・ドゥック・マイン |
首相 | ヴォー・ヴァン・キエット ファン・ヴァン・カイ |
任期 | 1992年10月8日 – 1997年9月29日 |
国家主席 | レ・ドゥック・アイン チャン・ドゥック・ルオン (兼務) |
首相 | ヴォー・ヴァン・キエット |
任期 | 1987年2月16日 – 1992年10月8日 |
国家評議会議長 →国家主席 |
チュオン・チン ヴォー・チ・コン レ・ドゥック・アイン |
閣僚評議会議長 | ファム・ヴァン・ドン ファム・フン ドー・ムオイ ヴォー・ヴァン・キエット |
出生 | 1937年5月5日(87歳) (保大12年3月25日) フランス領インドシナ 大南 広義省 |
政党 | ベトナム共産党 |
署名 |
チャン・ドゥック・ルオン | |
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各種表記 | |
チュ・クオック・グー: | Trần Đức Lương |
漢字・チュノム: | 陳德良(陳徳良) |
日本語読み: | ちん とくりょう |
英語表記: | TRAN Duc Luong |
経歴
編集ベトナム中南沿海地方のクアンガイ省に生まれる。学校を卒業した後、1955年にハノイに移り住んだ。地質学を学んだルオンは、卒業後、地図製作者としての職を得て、地質総局に勤務した。1959年9月、第20地質団第4地質泰隊長に就任。同年12月29日、ベトナム労働党(後のベトナム共産党)に入党した。1970年代に党の職員となる。1979年9月、地質総局長および総局党委員会委員長に任命される。1982年3月、ベトナム共産党第5回党大会において中央委員候補となる。同年12月には国家科学技術委員会副委員長となり、1984年には委員長に昇格。
1986年12月、第6回党大会において中央委員に選出。1987年2月、副首相に就任。1996年7月、第8回党大会において政治局員に選出される。1997年7月、第10期国会議員に選出。9月24日、国家主席に就任。同年12月の第8期党中央委員会第4回総会で政治局常務委員に昇格。
2001年4月、第9回党大会で政治局常務委員会が廃止され、政治局員にのみ再選、党内序列第2位となる。2002年5月、第11期国会議員に選出。7月、国家主席に再選される。
ルオンは国家主席在任中、法秩序の維持と犯罪の撲滅に対して厳格な姿勢で臨んだ。2004年5月7日、ベトナムの「裏社会」の頭目ナム・カム(本名チュオン・ヴァン・カム, Trương Văn Cam, 張文甘)の死刑判決に対する恩赦願を却下し、6月3日には刑を執行している。
2006年4月に開催された第9回党大会で政治局員を退任。同年6月27日、任期を1年残して国家主席を辞任し、政界から引退した。
脚注
編集- ^ 中国新闻网 (2005年7月24日). “越南主席陈德良:学习汉语 让年轻一代了解历史”. news.sina.com.cn. 2022年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月19日閲覧。 “临行前,陈德良挥毫为广西民族学院题词。落款处是工工整整、漂亮的“陈德良”三个汉字。”
参考文献
編集- 坂村哲雄『ベトナム指導者一覧 2001』ビスタ ピー・エス、2001年