ダン・グラッデン

アメリカの野球選手 (1957 - )

クリントン・ダニエル・グラッデンClinton Daniel "Dan" Gladden1957年7月7日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(外野手)。

ダン・グラッデン
Dan Gladden
ミネソタ・ツインズ時代(1987年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンノゼ
生年月日 (1957-07-07) 1957年7月7日(67歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1979年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1983年9月5日
NPB / 1994年4月9日
最終出場 MLB / 1993年10月3日
NPB / 1994年10月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

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1979年サンフランシスコ・ジャイアンツに入団。5年目の1983年に大リーグデビュー。俊足巧打の1番打者として活躍した。1987年ミネソタ・ツインズへ移籍、1987年と1991年のツインズのワールドシリーズ制覇に貢献したが、1992年デトロイト・タイガースへ移籍。

1993年11月15日、読売ジャイアンツに入団。三拍子揃った選手との触れ込みで、センターを守る予定であったが、肩力、走力共に全盛期より衰えており春季キャンプやオープン戦でまずい守備を連発したためレフトを多く守らせることとなり、前年までレフトを守っていた松井秀喜が開幕直前の4月2日から急遽ライトにコンバートされることとなった。また通算222盗塁から期待されたが盗塁数は2に終わった。プロレスラーのハルク・ホーガンを思わせる風貌で気性が荒く、後述の乱闘も含めて1年間に2度の退場処分を受けている。シーズン中は1番打者として定着し、98試合で15本のホームランを打つなど長打力を見せた。巨人のリーグ優勝、日本一に貢献したものの同年11月10日に自由契約となり現役を引退。

1995年ツインズのスカウトに就任。1996年コロラド・ロッキーズのスカウトを務め、1999年にはツインズの巡回コーチに就任。現在はミネソタ州でツインズのWCCOラジオ野球解説者を務めている。

乱闘騒ぎ

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1994年5月11日神宮球場でのヤクルト戦で7回表、ヤクルト、西村龍次の投球が頭部をかすめ、倒れこんでかわしたものの、グラッデンは叫びながらマウンドへ歩き、西村に詰め寄ろうとしたが、制止した中西親志捕手にキャッチャーマスクの上から中西を殴りつけ、中西も激昂してグラッデンの顔面をキャッチャーミットで殴ったり振り払う等応戦。さらにグラッデンも中西がアッパーカットで倒れた所を容赦なく襲いかかったりと本塁上で激しい殴り合いに発展したことで、両軍がベンチから飛び出して大乱闘となった。結果的にグラッデンと中西は暴力行為、西村は危険投球でそれぞれ退場処分を受けた。この乱闘でグラッデンは左手小指と右手親指を骨折、中西は顔面骨折と左目打撲の重傷を負った。(その後、グラッデンは制裁金10万円と10日間の出場停止処分を受けた)

伏線は2回表に西村が巨人の村田真一の頭部に死球を与え負傷退場へと追いやり、続いて3回裏、今度は巨人の木田優夫が打席に立った西村の左腰付近に死球を与えていた(この際、ヤクルトの野村克也監督が「報復死球ではないか」と球審に抗議)。なおこの試合の翌日には西村、木田、グラッデンの3人はセントラル・リーグから事情聴取を受けている。また、この試合以降危険球制度が導入された。

エピソード

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  • 野球解説者に転身後、巨人時代チームメイトだった松井秀喜ニューヨーク・ヤンキースに入団、日本のテレビ局からインタビューを求められたが、チームメイトで主力選手だったにもかかわらず「彼のことはよく覚えてないね」とコメントした。しかし、松井がメジャーで活躍すると、「私が巨人にいて彼がチームメイトだった時、彼はまだ幼かった。でも現在は見違えるほど成長している。大したものだ。」と褒めていた。
  • 1987年のワールドシリーズでは、満塁本塁打を打っている。
  • ツインズ時代の1988年1989年に1試合・1イニングずつ、(敗戦処理として)投手としての登板歴もある。通算2試合登板、2イニングを投げて防御率は4.50。相手のインディアンスドック・エドワーズ監督から、「カーブでストライクを取っているから、大したもんだよ」と褒められるほどであった。被安打2、四球1、奪三振0。また、1988年には二塁と三塁も1試合ずつ守っているが、いずれも守備機会はなかった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1983 SF 18 72 63 6 14 2 0 1 19 9 4 3 3 1 5 0 0 11 3 .222 .275 .302 .577
1984 86 384 342 71 120 17 2 4 153 31 31 16 6 1 33 2 2 37 3 .351 .410 .447 .857
1985 142 561 502 64 122 15 8 7 174 41 32 15 10 2 40 1 7 78 10 .243 .307 .347 .653
1986 102 402 351 55 97 16 1 4 127 29 27 10 7 0 39 3 5 59 5 .276 .357 .362 .719
1987 MIN 121 482 438 69 109 21 2 8 158 38 25 9 1 2 38 2 3 72 8 .249 .312 .361 .673
1988 141 633 576 91 155 32 6 11 232 62 28 8 2 5 46 4 4 74 9 .269 .325 .403 .728
1989 120 501 461 69 136 23 3 8 189 46 23 7 5 7 23 3 5 53 6 .295 .331 .410 .741
1990 136 571 534 64 147 27 6 5 201 40 25 9 1 4 26 2 6 67 17 .275 .314 .376 .690
1991 126 511 461 65 114 14 9 6 164 52 15 9 5 4 36 1 5 60 13 .247 .306 .356 .662
1992 DET 113 459 417 57 106 20 1 7 149 42 4 2 5 5 30 0 2 64 10 .254 .304 .357 .661
1993 91 386 356 52 95 16 2 13 154 56 8 5 4 2 21 0 3 50 14 .267 .312 .433 .744
1994 巨人 98 410 374 46 100 19 0 15 164 37 2 1 6 1 29 0 0 64 6 .267 .319 .439 .758
MLB:11年 1196 4962 4501 663 1215 203 40 74 1720 446 222 93 49 33 337 18 42 625 98 .270 .324 .382 .707
NPB:1年 98 410 374 46 100 19 0 15 164 37 2 1 6 1 29 0 0 64 6 .267 .319 .439 .758

年度別投手成績

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W
H
I
P
1988 MIN 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 3 1.0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 0.00
1989 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 1.0 2 0 1 0 0 0 1 0 1 1 9.00 3.00
MLB:2年 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 9 2.0 2 0 1 0 0 0 1 0 1 1 4.50 1.50

記録

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NPB

背番号

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  • 25 (1983年 - 1984年)
  • 32 (1984年 - 1994年)

関連項目

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外部リンク

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