ダミール・マルコータ
ダミール・マルコータ(Damir Markota)ことダミール・マルコータ・オメルホジッチ(Damir Markota Omerhodžić 、1985年12月26日 - )は、クロアチアのプロバスケットボール選手。スペイン男子プロバスケットボールリーグ1部リーガACBのビルバオ・バスケット所属。ユーゴスラビアボスニア・ヘルツェゴビナサラエボ出身。ポジションはスモールフォワード、パワーフォワード。211cm、102.1kg。
ビルバオ・バスケット No.25 | |
---|---|
ポジション | SF/PF |
基本情報 | |
愛称 | "Šveđo" |
クロアチア語 | Damir Markota Omerhodžić |
国籍 |
クロアチア スウェーデン |
生年月日 | 1985年12月26日(39歳) |
出身地 |
ユーゴスラビア ボスニア・ヘルツェゴビナ サラエボ |
身長 | 211cm (6 ft 11 in) |
体重 | 102.1kg (225 lb) |
キャリア情報 | |
ドラフト | 2006年 59位 |
選手経歴 | |
2001-2002 2002-2003 2003-2006 2006-2007 2007 2007 2007-2008 2008 2008 2008-2009 2009-2010 2010-2012 2012 2012-2013 2013 2013-2014 2014-2015 2015- |
KK Zabok Sanac Karlovac KKシボナ・ザグレブ ミルウォーキー・バックス タルサ・66ers ミルウォーキー・バックス スパルタク・サンクトペテルブルク ジャルギリス・カウナス KKシボナ・ザグレブ メノルカ・バスケット ビルバオ・バスケット ユニオン・オリンピア KKザグレブ ベシクタシュ ブローゼ・バスケッツ ビルバオ・バスケット シボナ・ザグレブ イスタンブールBB |
Stats Basketball-Reference.com | |
来歴
編集ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォで生まれた彼はボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の最中、スウェーデンで育った。ストックホルムのチームでマチェイ・ランペと共にプレーし、14歳の時にクロアチアに移り、その後KKシボナ・ザグレブと契約したが、2002-2003シーズンまで他チームにレンタルされた。バスケットボールスウェーデン代表からオファーを受けていたが、これを断り、クロアチアの市民権を得た。
バスケットボールクロアチア代表に招集され、2003年のジュニア世界選手権で平均5.8得点、4,2リバウンドをあげた。2005年のU-20バスケットボール欧州選手権ではチームトップの平均18.3得点、10.8リバウンド、2.9アシストをあげた[1]。
2004年のNBAドラフトにエントリーしたが、とりやめた。2005年に母親の旧姓であるマルコータに改名した[1]。
2005-2006シーズンには、平均7.8得点、5.1リバウンドをあげて、控え選手としてはユーロリーグの中でもトップクラスの活躍を見せた[2]。
2006年のNBAドラフト2巡59位でサンアントニオ・スパーズに指名されたが、2007年のドラフト2巡指名権2つとの交換でミルウォーキー・バックスに交渉権がトレードされた。バックスは同年夏、マルコータと複数年契約を結んだ[3]。2007年2月、NBAデベロップメント・リーグのタルサ・シックスティシクサーズに送られた[4]。同年9月8日、バックスからウェーバーされ[5]、2日後にロシアのスパルタク・サンクトペテルブルクと契約を結んだ。2008年初めにリトアニアのBCジャルギリスと契約した。
2008年の北京オリンピック代表に選ばれていたが、カメルーン戦で半月板を損傷したため欠場することとなった[6]。
2008年8月14日、KKシボナ・ザグレブと契約を結んだ[2]。しかしひざの負傷もあり十分なパフォーマンスを見せることができなかった。同年10月、リーガACBのメノルカ・バスケットと契約[7]、2009年1月、ビルバオ・バスケットに加入した[8]。
2010年9月1日、スロベニアのユニオン・オリンピアと1年契約を結んだ[9]。2012年1月、給料の支払いがきちんと行われないオリンピアを退団し、KKザグレブと契約した[10]。
2012年8月、ベシクタシュJKと1年契約を結んだ[11]。2013年9月27日、ブローゼ・バスケッツと契約を結んだ[12]。11月25日、ビルバオ・バスケットとシーズン終了までの契約を結んだ[13]。
2014年10月、KKシボーナとシーズン終了まで契約、3度目の復帰を果たした[14]。しかし、2015年1月2日、シボーナを退団[15]、同日、トルコのイスタンブールBBと契約を結んだ[16]。
脚注
編集- ^ a b “PROSPECT PROFILE”. nba.com. 2015年7月19日閲覧。
- ^ a b “Cibona brings back Markota”. euroleague.net (2008年8月14日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Menorca interested in Damir Markota”. thehoop.blogspot.jp (2008年10月26日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Significant Transactions”. nba.com. 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Bucks Request Waivers On Damir Markota”. RealGM Wiretap (2007年9月8日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “CRO – Markota knocked out of qualifiers with meniscus injury”. 国際バスケットボール連盟 (2008年7月16日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Markota utočište pronašao kod Baždarića i Stojića” ( ). sportske.jutarnji.hr (2008年10月27日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Bilbao Basket brings in Damir Markota”. eurocupbasketball.com (2009年1月15日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Damir Markota potpisao za Union” ( ). index.hr (2010年9月1日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Damir Markota officially joins KK Zagreb”. SPORTANDO (2012年1月2日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Damir Markota signs in Turkey”. InsideHoops (2012年8月22日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Bamberg holt Kroaten Markota” ( ). focus.de (2013年9月27日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Damir Markota vuelve el Bilbao Basket” ( ). bilbaobasket.biz (2013年11月25日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Damir Markota u Ciboni!” ( ). KKシボーナ (2014年10月17日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Cibona Zagreb officially part ways with Damir Markota”. SPORTANDO (2015年1月2日). 2015年7月19日閲覧。
- ^ “Istanbul BSB announces Vujacic, Jenkins and Markota”. SPORTSANDO (2015年1月2日). 2015年7月19日閲覧。